■ 2007/06/01 瀬尾文子 その六
また、ある晩は、ゴットフリートが先に部屋に戻ったチャンスを捉えて、みんなで、今年の7月末に定年退職を迎えるマイスターに、どんなお別れのプレゼントをするか、ブレーンストーミングをしました。マッテーイさんのAbschiedsfeier-Gottesdienst(定年退職を記念する礼拝)は6月24日にエピで行われます。その終了後に、なにかしようということになりました。まじめなことをするか、ユーモアたっぷりのことをするか。その両方、ということに決まりました。これまでの演奏旅行の作文集を作るとか、写真集を作るとか(エピファニエン・カントライはおよそ2年に一回演奏旅行をしていて、これまでにドイツ国内のほか、トルコ、イタリア、ハンガリーなどに行っています。やはりこれらの旅行が、彼らにとって一番思い出深いことのようです)、いろんな意見が出ましたが、アイディアだけで、それ以上のことはまだ話し合えませんでした。そして話は自然に、カントライの「その後」のことになりました。
■ 2007/06/03 茜の洗礼式&<フィガロ>
5月27日 ペンテコステの日曜日、茜の洗礼式で、淡野家一同ミネアポリスに集合しました。晴れ渡った空、ミネソタの世界遺産と言いたいような白い雲! St.Andrew's Lutheran Church の11時30分からの礼拝で、茜ともう一人アメリカ人の赤ちゃんが洗礼を受けました。
父キースに抱かれた茜、そして母桃子と代父 淡野太郎(桃子の弟)、代母 ローリ・ニーミ(桃子の夫キースの妹)が前へ出て、茜の頭が洗礼盤の水で三度洗われるのを見守りました。会衆席の前列に双方の両親、日本から来た桃子の叔父、叔母、叔父の兄夫婦、さやか、キースと桃子の友人たちが並び式次第をしっかり見届けました。桃子は礼拝賛美でアンセムとバッハの聖霊降臨祭のカンタータ第68番から「Mein glaeubiges Herze わが信仰深き心よ」を独唱しました。聖書の語る「一同は聖霊に満たされ、‘霊’が語らせるままに、ほかの国の言葉で話しだした」「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」という、どんな人たちとも‘聖霊’によってコミュニケーションが可能であることが証明された聖霊降臨の祝日に、茜がキリストの教会のメンバーに加えて戴けたことをわたくしはことのほかうれしく思いました。
この前夜5/27土には、前にもお伝えしたJeune Lune (http://www. jeunelune.org) という一座のオペラ芝居
この一座のオペラは単にMozart 作曲のオペラをそのまま上演するのではなく、何重にも話を重ね、それをトリックとイルージョンによって「あっ」といわせる代物です。今回は初日の前にプレビューを二回見たので、細部の工夫なども良く分かり成る程と感心させられる場面が沢山ありました。
舞台は老いたフィガロと洋服ダンスに閉じ込められたこれも老いた伯爵のディアローグから始まります。そうそう序曲はロッシーニの「セヴィリアの理髪師の‘Figaro,Figaro’というひと節が鳴りそこからお馴染みの「フィガロの結婚」序曲に移ります。この序曲の間に「パリ。革命後残された家族が寂しく暮らしていた」という字幕が映され、その言葉とあの序曲がぴったり合う箇所があって、普段音楽だけを聴いているのとは全く違う感じでした。
舞台そのものはとても簡素で色も極力少なくしていますが、舞台奥にはスクリーンがあり、宮殿の広間や海など背景が映し出されるかと思うと、演じている俳優や歌手の顔が on time でアップになり、芝居と映画を一緒に見ているような感じで、これまた面白さが倍加します。特に観客に顔を見せないシーンなどは非常に効果的です。
このオペラ芝居に登場するのは革命後16年経って身分が同等となった伯爵とフィガロ、これまた年老いたバルトロとマルチェリーナ、バジリオ、それに当時のフィガロとスザンナ、伯爵と伯爵夫人、ケルビーノです。伯爵夫人とケルビーノは当時の彼等と16年後の彼等の両方を歌います。
ボーマルシェの戯曲は 1.セヴィラの理髪師、2.フィガロの結婚、3.罪ある母 と続き、音楽は 1.ロッシーニ、2.モーツアルト、3.ダリウス・ミヨーが作曲しているのですが、今回の舞台では 3.罪ある母 がモーツアルトのフィガロの音楽をうまく用いて驚くべきシーンとなって現れ出で、度胆を抜かれました。
老フィガロは老伯爵に、伯爵夫人ロジーナとケルビーノの間に取り交わされた手紙を朗読します。その手紙から伯爵は、自分の子供と信じていたレオンという息子が、実はケルビーノとロジーナの間に生まれた子供であることを知らされ、絶望のあまりピストル自殺をしてしまいます。
続くシーンで現れたのは柩(ひつぎ)、中には伯爵の遺骸が、と誰しも想像していると、そこには戦死したケルビーノが! ここから現実が過去へ遡り、いきなり生き返ったケルビーノはモーツアルトがバルバリーナに歌わせたカヴァティーナ「L'ho perduta, me meschina ピンを無くしてしまった、どうしましょう・・・」を「L'ho perduto, il mio core 失ってしまった僕の恋人」というテキストで歌うのです。このアイディアには泣かされます。さらにロジーナも現れ、伯爵との愛の思い出を歌ったかの有名な「Dove sono i bei momenti いずこへ、あの素晴らしい瞬間は」をケルビーノに向かって歌うのです。あってはならない現実を、転用とパロディによって真実に変えた驚くべきアイディアでした。
それにしても、この小さな劇団‘Jeune Lune’が
■ 2007/06/04 瀬尾文子 その七
3回目、4回目のコンサートは共に夜で、それぞれラウエンシュタイン、グラースヒュッテという街の中心にある教会でした。ラウエンシュタインには午後早くに着いて、東エルツ山地博物館になっているラウエンシュタイン城を見学しました。そういえば、この「東エルツ山地Osterzgebirge」という言葉は、Ost, Erz, Gebirgeの三つの部分から成るのですが、私は最初見まちがえて、みんなの前で「Ostergebirge(Oster+Gebirge復活祭山地?)」と読んでしまい、笑いを買いました。時期が時期だから仕方ありません。
■ 2007/06/05 恐ろしい現実
瞬く間に一週間が過ぎ、またもや日曜日(三位一体の祝日)を迎えました。午後は桃子の歌の生徒の発表会です。前夜桃子はオペラ芝居が終わってからプログラム作りを始め、明け方までかかってやっと準備が整いました。教会の礼拝のあと、ハイスクールの講堂へ。この日歌うのは七名、12歳から18歳ぐらいの若い子たちです。第一部:イタリア歌曲、第二部:ミュージカル、第三部:アンサンブルという構成で、各々この三つの部門を全部歌わねばなりません。一人ひとりの特徴や適性が良く見えて、なかなかのものでした。総じて皆素直、発声も踊りも演技も解放感に溢れていました。日本との比較は無意味なのでここでは何も言いませんが、こと声楽に関して、日本は勘違いが積み重なって100年が経ち、勘違いも一世紀となると常識に変わる、という恐ろしい現実が存在しています。実は私も声楽を始めて50年、これは批判ではなく、自戒であります。
■ 2007/06/06 瀬尾文子 その八 最終回
4月5日、聖木曜日。前日ラウエンシュタインに長居して寒い思いをしたので、グラースヒュッテにでかけるのは、プローべ開始ギリギリの時刻にしようということになりました。午前中に練習、午後はまた裏山に登ったり、シュミーデベルクのカフェでケーキを食べたりして時間をつぶしました。
■ 2007/06/12 「千の風」
本郷教会のバッハ・カンタータシリーズに毎回聴きにきて下さる素敵なご夫婦がいらっしゃいます。演奏が終わるといつも声を掛けて下さり、その日の感想や、ご自分たちの演奏の好みなども話してくださるので、段々親しくなり、ついに先日、夫人、松浦のぶこさんのお声を拝聴する仕儀に。
歌って下さった曲は、な、なんとバッハの<マタイ受難曲>からのアリア二曲、<Blute nur 血を流せ>と<Ich will mein Herze schenken わが心を捧げよう>でした。はっきりした解釈でさっぱりした歌い方、もちろん美しいソプラノです。お話のなかでアマチュアゆえに、自由ものが言えるという特権、という言葉があり、わたくしはそれをうれしく、頼もしく聴き、同感しました。と暫くしてメールを戴き、そこには一編のエッセイが・・・。今日はこのエッセイを強力援軍に、普段考えていることを綴ってみたいと思います。
エッセイはイギリスの少年合唱団 LIBERAの歌う「千の風に乗って」の紹介から始まります。「千の風」にはイギリス版の曲<Do not stand at my grave and weep>(私のお墓の前で泣かないで)というのがあり、これをLIBERAが歌っているそうです。作曲も演奏もまず比較にならない、とのこと、充分に想像がつきます。
松浦さんは80年代イギリスにお住まいでした。天性声のきれいな人が多いイギリスという国の子供たちは、公共の場で決して大声で叫ばないように躾けられていたこと、下校時、小学校にお子さんを迎えに行かれると、サッカーに興ずる子供たちの声が、風のささやきのように透明であること、家庭では親がきれいな声で子供に接し、学校では校門を入ったら勝手に走ったり叫んだりさせない、とのこと、わたくしも一時期シュッツ少年合唱団を教えていた時、日本の子供たちも、静かにゆっくりと本物の音楽を教えれば、かなり純度の高いハーモニーで歌うことを体験しました。
翻って日本の「千の風」は、松浦さんが日本のゴスペルとしては最高との評価をくだす永六輔作詞、中村八大作曲、坂本九演奏の「上を向いて歩こう」(1961)に比べると、「ひどく日本的西洋音楽である」と。そう、そうなんです、「日本的西洋音楽」、これこそが、6/5のブログに書いた「勘違い」なる単語の内容であります。演奏者も聴き手も西洋音楽を演奏している、と思い込んでいるのですが、そこで鳴っている(響いている、と本当は書きたいのですが、響かないのが特徴)音は、西洋っぽい色のついた日本風(日本の、でもない)の音、まあはっきり言えば「作り声」です。
松浦さんはさらに昨年のNHK紅白歌合戦の録音テープを「聞いてびっくり玉手箱、何と昭和20年代の藤山一郎や岡本敦郎の朗々たる懐メロ唱法の(下手な)真似ではないか!」と喝破、アマチュアの歯に衣着せぬ発言に感謝! わたくしは、自分の合唱団の練習(自分の仕事場)ではバシバシと物を言って、日本の状況、われわれを取り巻く「音」のレヴェルの低さをまずは各メンバーの頭で理解してもらうように務めていますが、ここでこれらのことを文章にするとなると、1)時間がいくらあっても書ききれない 2)専門家の発言であるから、読んで理解の及ばなかった人や、反論に責任を持たねばならない 3)それらのことをするひまは、今の私には無い、という理由から、今回は松浦さんの美しい「スカーフ」で禁じ手の相撲を取ろうと言うわけです。(本当に声のことで問題を抱えておられる方は、言葉での質問ではなく、実際に私の前で声をお聴かせください。)
松浦さんは続けます。「千の風」の歌詞についてです。かいつまんで書きますね。これは現代アメリカの貧しい一主婦の作品なのだそうです。1998年に当時92歳でボルティモアに住んでいたメアリ・フライさんと特定したのはアメリカの著名な新聞コラムニストのアギベイル・ヴァン・ブーレン女史。この詩が書かれたのは1932年、フライさんの家で預かっていたユダヤ人女子学生の母親がドイツで死去、ナチの脅威のため帰国が叶わず、泣き悲しむ彼女を励ますために、フライさんは思いの走るままに16行の詩を紙袋をひき裂いた茶色の紙切れに書いて手渡したとのこと。
フライさんは天性の詩人、ただただ無欲に詩を書き、その後いろいろな人たちに知られどんどん形を変えて全世界に広まって行きました。フライさんは2004年98歳で亡くなり、イギリスの高級紙タイムズには長いオビチュアリー(死亡記事)が載ったとのこと。こんなにはっきりした事実があるにもかかわらず、日本ではいまだに「作詞者不明」ということになっているのだそうです。
■ 2007/06/15 わたり鳥さま
コメント有り難うございました。わたり鳥さんがいま日本で流行の「千の風」の音楽を評して「日本的西洋音楽」といわれたその言葉に私は過剰反応し、その前に「藤山一郎、岡本敦郎」の名前が出て来ていたので、「日本的西洋音楽」を歌唱の方に結び付けてしまったのでした。わたり鳥さんは「話を展開」と言ってくださいましたが、実際はかなり「あらぬ方」へ迷走したのではないでしょうか。
「日本的西洋音楽」とは私にとっては「どんぴしゃり」の表現でした。とても一度には、また簡単には論じられないので、これをきっかけに折あるごとに感じていることを述べてみようと思います。
「作り声、つくり声」には大きく分けて二種類あり、一つは、他人の出している声を自分の耳で聞き、その人が「聞きとった範囲」で「聞いた(聴いた、には至らないことが多い)と思っている声」を「真似た」声です。もう一つ、こちらの方が多いのではないかと思いますが、「自分の趣味で自分の声を練り上げた声」です。いずれも本来の「自分の声」ではありません。
前者は、「学ぶ」は「まねぶ」から始まるとのことですから、名歌手の録音を聞いて、聞こえた範囲の真似をするのはある意味自然の現象かも知れません。が、「声」と呼ばれるものの元である「声帯」にも、スピーカーの役目をする「体格」にも二つと同じものはないのですから、どんなに努力を重ねても他人の声のようには鳴りませんし、成らないのです。
もう一つの「自分の趣味・・・」の方は問題の根が深くやや複雑です。なぜ自分の趣味で練り上げるのが問題なのか、とお考えの方もいらっしゃると思います。またそれこそ個人の趣味の問題ですから、他人がとやかくいうことでもないのかもしれません。ただこのケースが私の生徒だった場合は、私はその生徒の「趣味」と徹底的に戦わねばなりません。私は、よくこう言って、生徒にさらに嫌われます。「あなたよりわたしの方があなたの声について、またあなたの未来の声について良く分かっていると思う」。話は簡単です。趣味で固めた声は時間をかけても伸びないのです。また生徒の成長過程で「趣味」は洗練されて行きますので、忍耐強く諦めずに続けなければなりません。いつの日かお互いに抱き合って喜ぶ日が来るのです。このテーマはさらに説明が必要なのですが、長くなりますのでまたの機会に続きを書きます。
「日本的西洋音楽」とは、「西洋音楽」に自分好み、あるいは日本人好みの調味料を加え、口当たりを良くして、自他共に安直な満足感を得る、国際的には全く通用しない「音楽もどき」です。日本では「本当のこと」より「皆そう思ってる」ことの方が重要視され、疑問を持つ人を疎外しようとする動きが目立ちます。外国語の発音一つ取り上げても、本国の発音より「日本ではこう発音する」ということが先行しているのです。このようなことは本当の愛国の心ではありません。亡国の徴候です。
とても一回では書き切れません。最後に「ファルセット」はつくり声ではない、ということと、「どうしたら『西洋音楽』に『猿まね』でなく行き着くことが出来るか、行き着く『べき』なのか、という根本問題」に対しては「行き着くべきである」と申し上げます。この最終的なテーマは、わたり鳥さんの仰る「音楽はarsであるからには、材料を技によって練り上げるもの」を解きほぐす必要があり、それには莫大な時間が必要です。徐々に、ということでお許し下さい。
■ 2007/06/16 長崎麻子さんへ
お久しぶりです。瀬尾さんの演奏旅行日記 その五 にコメントを戴き有り難うございました。私は「インターネット」というものに触れたのがひどく遅く、さらに慣れるのに手間どり、この blog にも手こずり、I さんというこの Web のマスターとトップページほか Site のデザイナーである Sさんに文字通り手とり足とり教えてもらいながらの毎日、やっとこの頃ひとりで更新出来るようになったので、ひと月前に戴いたコメントにお返事を。
言い訳けが長くなりましたが、お元気ですか? 三月二十一日の目白が丘教会の<マタイ>ではお目に掛かれなかったので、どうしておいでかと思っていました。また本郷教会で「ファゴット」よろしくお願いします。バッハのカンタータではそれほど出番の多くないファゴットも、シュッツのシンフォニエ・サクレや詩編曲では大活躍です。太郎がファゴットのずらりと並んだ曲に前々から目を付けていますので、是非その時は長崎さんもご出演くださいね。瀬尾さんも九月には帰国、オルガンの腕も上がっていることでしょう。またお目にかかる日を楽しみに。 Y.TANNO
_ 長崎麻子 [淡野先生、ご無沙汰しております。 コメントへの返信、ありがとうございます! この春、転職および転居をし、その前後はバ..]
■ 2007/06/19 青空文庫
今頃になってこんなことを言うのは本当にどうかしているのですが、うかうかしていると「インターネット」で一日を棒に振りそうなのです。「青空文庫」というサイトを見つけてしまったのが運のつき、うわーーー
読みたくても読めなかった本がずらり!!! もちろん著作権の切れたものですが、著作権が残っていても著者が掲載を許可したものは載っているのです。いつもアメリカに来る時は本を抱え込んでくるのですが、これからは専門書と新刊のほかは「青空文庫」でOKです。今日は夏目漱石の「草枕」をひさびさに堪能し、高橋悠治の「音楽の反方法論序説」を一気に読了、そのあと岡本かの子の「小町の芍薬」(これは以前ウォン・ウィン・ツァンさんと武久源造さんのお二人に作曲をお願いし、ウォンさんのピアノ、武久さんのオルガン、それに私の歌で即興を交えながら演奏した思い出の作品)を懐かしく読み返しました。九鬼周造もいくつか読めますし、與謝野源氏は全巻収録されています。それにしてもすべて青空工作員(高橋悠治氏もその一人)と呼ばれるボランティアの入力作業に負うこの電子図書館の見事さ、あっぱれというほかありません。日本人も大したものです。本好きのあなたに教えて上げたいと思って書いているのですが、ハマッたらおしまいですよ。
_ 長崎麻子 [しばらくぶりでこのサイトにお邪魔したので、早速、というのも少しおかしいのですが、青空文庫、見てみました。 しかし、気..]
■ 2007/06/24 ア・カペラの時空~谺の戯れ〜
去る5月20日(日)午後2時30分より、長泉のベルフォーレというホールで沼津婦人合唱連盟主催のコンサートがありました。およそ40年ほど前、この連盟の創設者故中村義光氏が私を沼津の合唱講習会に講師として招いて下さったのがきっかけとなり、なにかことあるごとに沼津の方々とは交流が続き、中村先生亡きあとは、これも中村先生が手塩にかけて育てあげられた「沼津合唱団」の指揮者としてしばらくお世話になりました。「沼津合唱団」のコンサートではヘンデルの<メサイア>、ヴィヴァルディの<グローリア>、バッハの<ヨハネ受難曲>(ヴィンシャーマン指揮、バッハ・ゾリステンと共に)、同じくバッハの<マタイ受難曲>(東京でシュッツ合唱団とともに)、柴田南雄<宇宙について>などを演奏しました。また、この思い出のベルフォーレではバッハの<ロ短調ミサ曲>を演奏、この時はギーベル先生(Agnes Giebel ドイツの歴史的名歌手。リート、オラトリオ歌手として、特にバッハ歌手として世界的名声を得る。)がソプラノ・ソロをして下さり、万感胸に迫るコンサートとなりました。しかし団の高齢化に勝てず、これが「沼津合唱団」最後のコンサートでした。
今年は沼津婦人合唱連盟が創立三十周年ということで、わたくしたちハインリヒ・シュッツ合唱団・東京が歌わせていただくこととなったのです。なによりも良いプログラムを組みたかったので、選曲と構成には長い時間を費やしました。「合唱」というものをより楽しんで戴くべく、思い切って全部ア・カペラ作品にしました。
私は、音楽よりもとは申しませんが、作曲家の取り上げた歌詞に強い関心があります。聖書の言葉も、教会暦で決められた朗読箇所などは様々な作曲家が取り上げる頻度が高く、比較検討、演奏、鑑賞すべて楽しみが累乗化します。そこで今回、同じ歌詞、または同じ内容に付けられた作品二編を一組とし、また歌われる内容が遠く近く谺(こだま)し合うものを選んで演奏することにしました。
シュッツ合唱団は前日の5/19の午後、かれこれ30年以上お世話になっている御殿場のYMCA東山荘に集まり、一時半から夜の九時までびっちりと練習、皆で一泊して朝食後車に分乗、長泉へ向かいました。30分ほどで到着、「ベルフォーレ」のステージでそれぞれの曲に最もふさわしい並び方を試しながら、あっと言う間に三時間が経ちました。モンテヴェルディの「O Primavera おお春よ」では広々とした空間で飛んで来る声の距離を感じさせたかったので舞台を全部使って対旋律が反対の角から聞こえてくるように各パートをぐっと離して配置しました。それとは反対に「Io mi son giovinetta わたしは若い娘」では皆中央に集まり山台に腰を掛け身体をくっつけ合って近距離の囁き声で歌いました。
バッハの「Singet dem Herrn, ein neues Lied 歌え、主に向かいて新しき歌を」は4声部の合唱二つによる、すなわち8声部の復合唱の曲です。二つのグループの分け方は、例えば各パートに器楽を重ねるという選択をしたならば、一群は木管、二群は弦楽という風に音色に変化を持たすことが可能です。しかし今回は「声のみ」ということなので、各群同人数ですと変化に乏しく、なにか寂しい感じでしたので、あれこれ考えた結果、一群をソロアンサンブル、二群を合唱ということに決定、さてその次は並び方です。本番直前まで下手にソロアンサンブル、即ち4人、上手にそのおよそ七倍の人数が立っていました。どこから聴いても奇妙で、見た目も最悪、特に最終段階の「アレルヤ」では一、二群が一つとなり4声となるという、最高のクライマックスで声が分離して聞こえ、これは大変、と途方に暮れかけたその時、天啓のごとく閃いたのは、眞中にソロアンサンブル、左右に合唱、という配置でした。各パート1,2,の番号を掛けてもらい、あっと言う間に合唱群は二組に。合唱の人たちが急に半分の人数になるということで、「大丈夫ですか?」と尋ねますと「歌い易い」との返事、まあ大丈夫でなくても決行したと思いますが、これが大成功! 核となる音群が中心、応答する音群が左右からのステレオ、最後には一つとなる、という思った以上の効果でした。
沼津婦人合唱連盟の方がたが用意して下さった美味しいお弁当をいただき、いよいよ開演です。800席ということでしたが、ほぼ満員です。今回はすこしずつお話をしながら進める、というコンサートでしたので、一番最初にバスの人たちにドの音を出してもらい、聞こてくる倍音のソをテノールに、ミをアルト、バスの二オクターヴ上のドをソプラノに出してもらいました。幸いなことに自然倍音の心地良いハーモニーが広がりました。ここで完全に合えば合唱団全員が一つの身体、その日の演奏の基盤が整うというわけです。唐突ですが、民族音楽学者 故小泉文夫氏のフィールドワークによれば、首狩り族のグループは、毎朝首狩りに出る前に声を出し、純正律のハーモニーにはずれた声を出した者は部落に残して出かけるとのこと、また、歌が下手だった人たちはみんな滅んでいったそうです。この日、シュッツ合唱団員の首はまずまず健在でした。
■ 2007/06/26 武田正雄 フランス歌曲の楽しみ
6/24武田正雄氏による「フランス歌曲の楽しみ」という会が催されました。昨年のこの会が素敵でしたので、今年も是非と思っていたのですが、ただ今ちょっと遠方におりまして伺えませんでしたので、羽鳥典子さんに是非レポートを、とお願いしました。どうぞご覧下さい。因みに昨年の会については当サイトの<ムシカ・ポエティカWeb通信 Vol.1>に載っております。また後日正式にお伝えいたしますが、9/4火午後2:30より荻窪のかん芸館におきまして、武田正雄・三ッ石潤司 両氏による歌い手とピアニストのための「フランス歌曲講座」が開催されます。お覚え戴ければ幸いです。(Y.T.)
■ 2007/06/29 バイバイ 茜、バイバイ ミネアポリス・・・
あと数時間で飛行機に乗ります。東京には6/29の夕方に到着。ミネアポリスと東京の時差は14時間、このため、6/30のバッハ・カンタータ21番のプログラム・ノートと訳詞を昨夜中に仕上げねばならず、この数日間ただただ歯を食いしばる毎日でした。それにしても21番は是非皆様にお聴き戴きたく、心よりご案内申し上げます。6/30(土)午後6時 上荻の本郷教会です。バッハの魅力とひと口に言っても、外面をなぞるだけでも息が切れる作品ですのに、その底に隠された世界の広がりは途方もなく、ああでもない、こうでもないと秘密の鍵を探し出す作業は面白すぎて止められません。勿論演奏はその上を行く喜びですが。
桃子の3/3に始まった70数回におよぶモーツアルトの公演はすべて終了、一人の歌手の、また一人の役者の事故も病気もなく成功のうちに終わったことを心から嬉しく思います。八月末からボストン公演ですので、もし機会がおありでしたら、どうぞご覧下さい。お勧めです。なんていったって洒落ているのです。この一座のことはまた改めてお話したいと思っています。
いささかグロッキーの大人たちに囲まれ、茜は元気一杯、立って歩く、ということに強い意慾を持っていますが、つたい歩きがやっとです。
ではまた東京で。Yumiko Tanno
_ 淡野桃子 [お母さん、1月末から何回にもわたって来米し、茜の面倒を見てくれて、本当に感謝しています。母の不在によって、くの方々に..]
_ わたり鳥 [拙文「千の風」をふんどしならぬ「スカーフ」に使ってお相撲をとると断っていらっしゃる通り、文中の「日本的西洋音楽」とい..]