■ 2017/09/16 『天地創造』の練習 ブラウンシュヴァイク
9/10(日)VW-Halleにて行なわれるハイドン《天地創造》の練習が始まりました。
9/7、8の練習では800人とは思えない実に静かで澄んだ歌声が響き、しかも皆が確実に同じ方向を目指していることが分かりました。指揮者のヘッカー氏は《天地創造》のテキストが言わんとしていることと、ハイドンの音楽との繋がりを明確に捉え、800人の声を実に丁寧に引き出し乍ら、流麗高雅な演奏へと導きます。その指揮は、ひと言で言うなら彼の謙遜な人柄と音楽と人間に対する深い愛から発せられたもので、歌い手も奏き手も、まずとても穏やかな気持ちで音を発し言葉を伝える事が出来ました。
GPのあとで配られたプログラムを見ると、この催しにかけた入念な準備が窺え、なるほどと思いました。800人の合唱といっても個人単位ではなく全て教会合唱団、またはそのような音楽を専門にしているグループ計28団体で成り立っていたのです。ブラウンシュヴァイクの合唱団、ヴォルフェンビュッテルなどドイツの合唱団に南アフリカのナミビア、チェコ、イングランド、インド、日本からの参加。教会音楽という共通の土台が見知らぬ人々の声をここまで一つにするのか、と驚きました。プログラムにはこの各合唱団の名称、写真、指揮者名が記され、なんと最後の2ページには歌う人全ての名前が記されています。
さてこれから会場目指し出発です。ではまた。
■ 2017/09/17 『天地創造』本番
ブラウンシュヴァイクでの《天地創造》、聴衆6000人まで行かなかったようですが、それでも次から次へと人が席に着き、空席が埋まって行く様子は見ていて楽しいものでした。入り口のチェックは非常に厳しく、爆弾が紛れ込み火災が起こった時の対策には万全を尽くしていました。
プログラム解説では、初演はハイドンが指揮をし、鍵盤はサリエリが弾いた、とか、フランツ皇帝がハイドンに、《四季》と《天地創造》ではどちらがお奨めですか、と尋ねたところ、「それは《天地創造》ですよ。なにしろここでは天使が口をきき神について語るのですから。」との答えだったとか面白い事が沢山書かれていました。
音楽が始まり快調に進みます。良い演奏のあとには拍手が起こるという、オペラや歌舞伎のような雰囲気で、普段慣れ親しんだ「オラトリオ」のコンサートとは大分趣きは違いましたが、これはハイドンの《天地創造》の持つ分かり易さ、親しみ易さにあるのでしょうか。最初の何人かの方々の挨拶のなかに「ひょっとしてフェミニズムからは文句が出るかもしれませんが、この曲は実に誠に素晴らしく・・云々」というのがあり笑ってしまいました。これは第3部でアダムとイヴがこの世に誕生した時、イヴがアダムに向かって「あなたの意志は私の掟、主がそう定められたのです」と語る台詞を指しているのでしょうか。しかし後に続く二人の愛の2重唱は音楽も演奏も絶品で後には大きな拍手が起こりました。
カーテンコールはソリスト、オケの奏者に続いて各合唱団の指揮者が壇上に呼ばれ深紅の薔薇が1本ずつ贈られました。太郎も私もこのお褒めに与り、ここで手渡された薔薇一輪は今迄に贈られた沢山の花束の中でも強く心に刺さり、私にとっては50年の合唱指揮人生のハイライトだったかも知れません。
演奏会後のパーティはまたまた思いがけないものでした。南アフリカナミビアの人たちが嬉しさの余り故郷の歌と踊りを始め、回りにいた人たちも皆その輪の中に入ってきたのです。私は鼻こそ小さかったとはいえ、どこからみても子象のような歌い手さんと手を取り合って歌い踊り実に生まれ変わった気分でした。
■ 2017/09/18 独日協会合唱団&シュッツ合唱団・東京 交歓演奏会
9/11(月)ベルリンへ向け列車で移動。この日は独日協会センターのホールで独日協会合唱団との交歓演奏会です。準備を進めて下さり、ツアーコンダクターでもあるカトリン・シュミットさんが、月曜日という日の集客を最後迄心配されていましたが、なんと満席。
‛独日協会合唱団′の<ほたるこい>で開幕。ドイツ人も日本人も共に日本語で「ホ、ホ、ホタルこい」と迎えられた時には、これまで “独日文化交流” などという表現で難しく考えていたことがスッと消え、我々シュッツ合唱団の気持ちもパッと開いてメンデルスゾーンの<Abschied von Walde 森をあとに>で返礼。続いて ’独日′が シューベルトの《鱒》をモーツアルト風、ベート−ヴェン風、ワグナー風の編曲でそれは面白く歌い、我々は An die Nachtigall と題して夜鶯にまつわる歌を歌いました。そのあと ‛独日’ の野崎織音さんがロッシーニの《アルジェリアのイタリア女》からのアリア<Cruda sorte>が堂々と披露され、盛り上がったところに Homesong medley と題された数々のドイツの歌。最後には太ったバリトンの男性のソロと合唱で、有名な<Berliner liebt Musike>が歌われ雰囲気は最高潮に。予定では休憩のあとに我々のステージということだったのですが、カトリンさん曰く「休憩のあとで人が帰ってしまうと惜しいから休憩無し」とのことでなんとこのベルリンソングのあとすぐに我々のシュッツ<Veni rogo 来れ王よ>を歌うということに。そしていよいよ武久源造作曲《万葉集》です。
《万葉集》は「いろはにほへと」によるファンタジアに始まり「なかなかに」「恋い恋いて」「にぎたずに」(ソロ曲/合唱曲)、「ひんがしの」がそれぞれヨーロッパの中世かた後期ロマン派までの作曲技法を駆使して作られており、日本語の歌詞が分からなくても音楽によって話が伝わるというもの。作品については次の機会に譲りますが、「船が出ようとしている」とか「日が沈み月が昇る」といった内容がすべて伝わったのには驚きました。続いてルターの歌詞によるシュッツのモテット<Vereih uns Frieden われらに平和を>を歌い終幕。
終演後は食事会。ここでは飲めや歌えやの騒ぎになり、日本の「花」に始まり童謡を次々に歌って最後は「第9」。やはり異国で同朋の人に出会うと独特の情緒が湧いて来るのでしょうか。笑いあり涙ありの素晴らしい邂逅でした。次回はエアフルトでのコンサートをお伝えします。
■ 2017/09/28 エアフルト
お蔭様で9/15午後7時半、全員無事羽田に到着致しました。皆様からの応援、誠に有り難うございました。帰国して12日も経ってしまいましたが、これからエアフルトで行なわれた最後のコンサートについてお伝え致します。
エアフルトはマルティン・ルターが学び修道生活を送った街です。彼は法律家になるべくエアフルト大学に入り、その後ロースクールで学んだのでしたが、ある日近郊の草原で雷雨に遭い突如修道士になろうと発心しアウグスティナー修道院に入ったのです。
今回私たちを教会コンサートに招いて下さったのは150名ものメンバーを擁するエアフルト市最大のアウグスティーナー・カントライでした。このカントライが礼拝で歌っているプレーディガー・キルヒエは13世紀に建立された教会で、この教会と修道院はかの神秘家マイスター・エックハルトがその働きの足場としたところだということを知り驚愕! 現在は年間50数回にもおよぶコンサートが行なわれています。
オルガンの説明をしますから朝8時に来て下さい、と言われ、エックハルトの名の記された美しい扉の前で待っていると、なんとオルガニストの Prof. Dreißig がワイシャツにチョッキという軽装で自転車で現れたのです。厳めしい人を想像していたので、ここで2度びっくり。
後方のオルガンバルコニー左右一杯に古色蒼然たるバロックスタイルのオルガンパイプ。1648年(30年戦争締結の年/シュッツのGeistliche Chormusik 公刊の年)に奉献された楽器の前面のみを残し、後ろはシューケのモダン楽器とのこと。すべてコンピューターで制御されているので、武久さんは「37」という番号をもらって、そこに演奏曲のストップを記憶させました。ドライシヒ先生はシュッツのコンチェルトを歌う徳永ふさ子さん、太郎、私の3人に、ここに立てば一番綺麗な声が通る、という場所を教えて下さいました。私が初めてドイツの中世のゴシック建築の教会で歌ったのは半世紀ちょっと前の1964年でした。良くも飽きずに同じ事を続けてきたものです。なにはともあれその夜は我々のコンサートなのです。慎重に、大胆に、を繰り返しながらのリハでした。
本番の話はまた長くなりますので、今夜はこれで。おやすみなさい。