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ムシカWeb通信


■ 2017/04/07 《ブロッケス受難曲》

 《ブロッケス受難曲》の本番が終ってすでに5日が過ぎました。いやはや、こんなに我が身の危険を感じつつ歌い終えた本番も珍しい。5時半開演、終演9時ちょっと前。全体で106ナンバーあるうち、私の歌った「シオンの娘」のレシタティーヴォとアリアは24曲、およそ5分の1です。時間にして正味40分ほどでしょうか。12月に指揮者のオーディションを受け歌うことが決まってからほぼ100日間、ただたださらいました。最初のうちは1日3時間半さらっても4曲ぐらいしか進まず、1曲、1曲とだんだん形にはなるものの、全部歌い通せるのかが不安でした。また「シオンの娘」は普通の意味での一人格ではないので、作者が「シオンの娘」という役柄を通して何を伝えたいのかがはっきりせず、五里霧中の日々でした。「シオンの娘」の発言は生々しく直情的で、そのヒステリックな物言いから、なにか抑えているものがあるなと思いました。そしてそれがイエスに対する愛だと分かったのです。信仰的な愛は「信徒の魂」という役が語りますが、それとは別に「シオンの娘」はもっと生々しくイエスにすり寄って行く女性なのだということがはっきりしてきたのです。ここまで分かるのに2ヶ月ぐらいかかったように思います。

 彼女を客観的に演ずるというのはその台詞が許しませんでした。この世あの世の化け物がすべて彼女に憑衣しているのではないか、と思うより先に私がシオンの娘に乗っ取られたように感じました。こんな恥ずかしい有り様だったのですが、それでも1曲だけ、荒れ狂うシオンの娘を説得して正気に戻し、型を崩さず厳粛に歌った曲がありました。ユダが後悔と煩悶の長いレシタティーヴォの最後に「首を吊ろう」といった後に歌うユダへの挽歌です。ひれ伏したくなるような名曲でした。

 翌日、私の机の上には太郎が持ってきたらしいシュッツとバッハの譜面が置かれていました。次の本番はイースター4/16(日)です。歌ってみるとこれが本当に不思議なことに身も心も軽々とホイホイと歌えてしまうのです。こんなに疲れているのにと思いましたが、理由は簡単、「復活」の歌だからです。オンガクってやっぱり大したものですね。


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