■ 2012/06/03 聖霊降臨祭
5/27(日)ミネソタは日本に14時間遅れて聖霊降臨祭を祝いました。今年の元旦、ルター派の聖アンドリュー教会で歌った桃子&弓子の2重唱から5ヶ月、またこの教会の Music Director が呼んで下さり、再びデュエットをすることに。曲はシュッツのクライネ・ガイストリヒェ・コンツェルテより《O bone Jesu》。
説教は洗礼者ヨハネがヘロデの命令で首を斬られる話でした。聖霊降臨祭になぜ、と思いましたが、ヨハネは全身これ聖霊の人だったのです。聖霊は我々人間の内に宿る、すべての人が聖霊に満たされれば世界は変わる、との確信に溢れた牧師の説教でした。
礼拝後、「インスパイヤされました。」という言葉を牧師さんから戴き、ホッとしました。私たちの歌の直後が説教でしたから。シュッツが好きだ、という人も何人も現れ、驚きました。
■ 2012/06/07 母音、子音そして倍音
武久さんの便りを読んでいて「トイレの便器に流れる水音までもが、綺麗な倍音を発します。」の箇所で古い記憶が甦りました。私の場合は窓の下を通る車のタイヤの音から高い倍音が聞こえたのです。1990年代の初め、ギーベル先生の家に2ヶ月間泊まり込みで、毎日明けても暮れても、首の中(正確には声帯)でまず低音を出し、そこから第4倍音(2オクターヴ上)へ跳ぶ、という練習を繰り返していた時の体験です。
■ 2012/06/08 武久源造『ドイツ通信』 その2 (6/1)
昨日は、近くのシュタイナー・シューレのホールでチェンバロを弾きました。演奏を正面から受け止め、心と体で反応するいい聴衆でした。盛り上がる曲では、ブラボーもいっぱい貰った。
ところが、場所が場所だけに、最後の曲を弾き終えたら、司会者のような人が「何か質問はありませんか」と言った。すると、ちょっと手ごわそうな男性が
「何で、あの曲をあのように弾くのですか」と尋ねてくる。私は、できるだけ、簡潔に答える。ところが、彼はなかなか、簡潔な答えでは満足しない。どんどん、私の穴を突いて来る。私としても、それは願ってもないことなので、まるで大学の授業でもしているように、いろいろな例を引いて、いちいち実演を交えながら、私の解釈の根拠を、ドイツ語と英語を取り混ぜて、説明する。司会者が、「どうでしょう?」と尋ねる。彼は、「さらに、多くの質問があるけれども、ここでは遠慮します」と答える。
■ 2012/06/13 武久源造『ドイツ通信』 その3(後半) (6/3)
そして、今日は、ドルトムントで行われている合唱フェストに行ってきました。合唱といっても、ほとんどはゴスペルやポップス。そして、フォーク・ソングです。
朝から、町のメイン・ストリートが歩行者天国になっていて、野外ステージや教会を含めて15の会場があり、20分交替で、あちこちから駆けつけた様々なコーアが歌う。夜には、有名なコーアの、大きなコンサートもある、というもの。
■ 2012/06/14 帰ります。
これから30分ほどで家を出て空港へ。
桃子が私のレッスンの録音をDVDに移してくれています。
今回のミネソタ滞在、実に多くのことを学び感謝です。以前、ドイツでは歌えたが、日本に帰ると全然駄目、という体験をしました。耳に聞こえる音と自分の出す音の間にある密接な関係を知れば知るほど、日本の音環境を良くせねば、なにも始まらない、と大きなため息をついたのでした。
が、今思えばその頃の「ドイツでは歌えるのに」は、ほとんどドイツとドイツ人の音の助けで歌えていたということで、本当の私自身の技術ではなかったのです。
幸いにも、ここ2年のマニヨン・レッスンで、声の物理法則を知り、まずは頭で理解したのち、自分の声を比率の法則の中で整音する、という訓練のお蔭で、日本でもほぼ同じように歌えるようになったと思います。
6/17(日)のSDGの練習で皆様にお目にかかります。またよろしく!
■ 2012/06/15 楽しかった50日
昨日(6/14)ミネアポリスから帰国しました。今回は50日ほどの滞在でしたが、多くの方々にお会いし、興味深いお話を伺うことが出来ました。また家では、茜と輝の日々の成長を実感し、時に我が身の老いも思い知らされながらも、全体としては非常にリフレッシュしたと思います。
■ 2012/06/22 この1週間、そして明日は
6/17(日)久しぶりの礼拝オルガン奉仕。午後はSDGの練習。合唱とアルト・ソロで声を出した。違和感なく歌える場に感謝。
6/18(月)シュッツの練習。50日間の練習の成果を聴く。Schütz:Musikalische Exequien, ソロも重唱も合唱も全員が歌えるように、と頼んでおいた。各パートの人数が多くてもユニゾンが1本になることは基本中の基本である。どんな調律法でも1度と8度に妥協はない。忍耐強く和声の勉強をしたのだろう。渡米前よりずっとピシッとしていた。
どの音も美しい声で歌える歌手はそこここに存在するが、たった1音出して、その音が何調の第何音を出したかが分かる歌手は稀である。ソロでは「美しい声」までで及第でも合唱では常にこの和声感覚と実践の技術が問われる。
6/19(火)アクアリウスの練習。素直な気持ちの良い声。リスト《キリスト》のあとだからか、台風一過といった感じだ。こういうことが起こるのは苦しい本番があったればこそ。
6/20(水)シュッツの練習。ほぼ全員の出席。6/29(金)東大駒場900番教室における杉山好先生追悼演奏会で、Musikalische Exequienを歌う。この曲は音楽も素晴らしいが、歌詞がまたとなく良い。このレクイエムをシュッツに依頼したロイス公は生前密かに柩を作らせ、その上に自分の選んだ聖句と讃美歌の歌詞を彫らせていたという。シュッツはこの歌詞を用いて曲を作らねばならなかった。さらに公は、生前この曲を聴いたとのこと。歌詞を通読すると、一生をかけてイエス・キリストを求め続け、ついにキリストにまみえ、感謝して「これで良い」と言って旅立った人の姿が浮かぶ。新約聖書では預言者シメオンだが、この人の像にロイス公が重なってみえた。
どの部分も全員が歌えるように練習してあり、ハーモニーは今が一番良い。
6/21(木)2年前に脱稿した十万字の原稿がやっと活字になるとのことで、H社のS氏にお目に掛かる。
(読者の気持ちになって)「繰り返し読んで完全稿に」というのがこれからの仕事である。
6/22(金)明日歌うバッハのアリア(カンタータ7番)をさらう。
そして明日はSDG。以下、太郎のFaceBookの記事です。皆様、是非お出かけ下さい。
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_ 松浦のぶこ [淡野さま 私たち世代の使っている正調日本語を次世代に伝える義務があると思っています。「してもらう」ではなく、「してい..]