■ 2011/06/05 ミネアポリスから
ミネソタ時間 6/2 午後2時ミネアポリスに到着。眠い、ねむい・・。日本時間 6/3 明け方4時である。「どうして眠いの?」と茜。「アメリカの朝は日本の夜、日本の朝はアメリカの夜なの。だからいつでも眠いの」と言うと「ええっ、朝は夜なの? それはおかしいねえ。」彼女は怪訝な目付きで私を見上げていたが「おばあちゃま、アメリカにも沢山日本語を話す人がいるけど、みんな起きてるよ。」
■ 2011/06/11 聖霊降臨祭
今年は6月12日(日)が聖霊降臨祭。イエスが復活されて50日目に激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上に留まり、人々は聖霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話だした、という事実を記念してこの日はクリスマス、イースターと並んで、ペンテコステはキリスト教会の大切な祝祭日となっている。以前から私は「ほかの国々の言葉で話だした」(使徒言行録2;4)という記述に強く惹かれていた。人間に与えられた言語能力を知らされているように思うからだ。
日本国において外国語は、学ぶ事は非常に奨励されているが、日常的に話したり、外国語で表現活動を行うことはそれほど好かれてはいないように思う。「気取って」とか「所詮ネイティヴには敵わないじゃないか」に始まり「日本人なんだから日本語でお歌いなさい」などなど、わが半生はこんな言葉との戦いだったようにすら思える程だが、落ち込んだり頭を抱えたりする間は無かった。この問題を語り出すと、恐らく私は残りの人生すべてを使い尽くす事になりそうなのでここで止めておく。
桃子は水、木、金、土と“Glocal Mission Gethering”という興味深いミーティングに参加していて、いろいろな国の人に日本語の讃美歌を教えたり、さまざまな国の人や歌に接し、ディスカッションに加わって、目の覚めるような日々を送っている。Glocalとは globalとlocalを合わせた新語だそうだ。global といってもこれまでは、ヨーロッパ系の白人たちが「これが音楽」と言ってきたもので、そこにはアジア、アフリカほか多くの民族の音楽は入っていない。また逆に、われわれの歌っている日本語の讃美歌はほとんどが5線に書かれたドレミファの音楽なので、桃子はフト気付いて柴田南雄の《宇宙について》を引っ張り出し、隠れキリシタンの歌っている「キリヤデンズ」(「キリヤデンズ」は「キリエ エレイソン」が徐々に日本語に訛ってきた言葉)などなどのオラッシャがひょっとして日本最古の讃美歌かしらん、などと考え込んでいた。
参加している人々は、黒人アメリカ人のヴァイオリニスト、プエルトリコのドラマー、シンガー、ホンジュラスのギタリスト、ジンバブエのベーシスト、白人アメリカ人のトランペッター、シンガー、トンガの音楽家、韓国人歌手などなどで司会はインド人とのこと。アフリカの音楽家はわれわれの歌には ‘決して’ オルガンで伴奏しないで、と釘を刺したそうだ。歌は太鼓と一緒に歌うものとのこと。現行の日本キリスト教団の『讃美歌21』には多国籍に亘る讃美歌が網羅され、そこにはアフロの歌も入っていて、礼拝でも歌ったことがあるが、オルガン伴奏でしたね。「太鼓で」と断り書きがあれば、『讃美歌21』も『21』の名に恥じないものとなるだろう。その昔、讃美歌委員会の講習会で「教会で三味線で伴奏するということが ‘あり得ない’ 以上、ここでオルガンを教えているのです。」とキツく言い渡された事を思い出してしまった。このテーマもこの辺で止めておこう。
そう、6/12(日)に戻ろう。午後6時より上荻の本郷教会でSoli Deo Gloria<賛美と祈りの夕べ> Vol.266が開催される。
■ 2011/06/16 ポーリーヌ・ヴィアルド
シ〜ド〜|ラ〜シ〜|ソラシド|ソ〜ファ# |ソ#〜ラ〜|レ〜ド〜|シミソファ# |ミ〜〜 | という8小節のテーマはe-Mollで書かれていて、人の気を惹くには充分にセンチメンタルでありながら、なにか芯の通った節で、ある種の気位すら感じさせる。このテーマには5つの変奏があり、声楽の技を磨くに有効であることは無論だが、通して歌うことによって、身体の清浄化をもたらす、というエチュードである。
この曲はポ−リーヌ・ヴィアルド(Pauline Viardot 1821-1910)という当時一世を風靡したメゾ・ソプラノ歌手、作曲家、声楽教師であった女性によって書かれた。ミネアポリスに来ると桃子が毎日歌い、歌の生徒も歌い、マニヨン女史のスタジオでもいつも誰かが歌っている。私も歌いたいな、と思っていたらマニヨン先生が「このエチュードは歌う前の身体を隅々まで綺麗にします。練習するといいわ。」と仰った。このエチュードの基になっているのはセディエの発声技法とのことだ。
ポ−リーヌの父親はマヌエル・ガルシア1世(Manuel Garcia 1775-1832)というスペイン生まれの名歌手で、やはり作曲家、演出家であった。この人の実力は大変なものであったらしい。子供3人も皆歌い手となるが、ポ−リーヌの姉 マリアは落馬事故で早世。息子のマヌエル・ガルシア2世はバリトン歌手であったがとてつもない人物で、発声技法の研究にのめり込み、ついに喉頭鏡なるものを発明して歌を歌う時の声帯の動きを観察することに成功した。彼はパリのコンセルヴァトワールで教え、多くの優れた声楽家を世に送り出した。その中にはジェニイ・リンドなども含まれている。ジェニイ・リンドはメンデルスゾーンが夢中になったスウェーデンのソプラノ歌手。リンドは1820年生まれ、セディエは1821年、ポーリーヌ・ヴィアルドも1821年と、この3人同世代も同世代だ。文字による記録に頼るしかないので、あくまでも想像の域を出ないのではあるが、この3人の声はどこか似通っているような気がする。大きな怪物的な声ではなく、ナチュラルで心地良く、正確なピッチ、明晰な発音、そして気品と愛嬌がほど良いバランスで表現を支えていたのでは。
昨日マニヨン先生のレッスンを受けた。勿論ポーリーヌ・ヴィアルドのエチュードから。歌曲はシューマンのリーダー・クライスOp.24。これはハイネの詩による9曲のチクルスであるが、シューマンにしては素直でさばさばしており、一口でいうと感じの良い曲なので、なんとか自分のレパートリーにしたいと思っていたのだ。レッスンの前に曲についてちょっと調べてみるとなんと! この曲はシューマンがポーリーヌ・ヴィアルド(旧姓ガルシア)に捧げたものとのこと。ポーリーヌはクララの友人だったそうだ。なんでこういうことが起こるのか分からないが、あっという間に、この曲を「歌いたい」との気持ちは「歌わねば」「歌うぞ」へと変っていった。天才たちが味方してくれたような、実に幸せな気分で意気揚々と歌い出した私の歌に、マニヨン女史は1単語、1音符ずつダメを出された。子音のスピードとリエゾンの方法、2重母音を構成する2つの母音の時間の比率、2つの単語が繋がって1つの単語になった時の単語の歌い方etc.etc. 前から感じていた事だが、マニヨン女史のようにネイティヴではない方のドイツ語は明らかにより繊細かつ丁寧である。アグネス・ギーベルが縫い針を手にしながらその m は速過ぎるだの、人称代名詞は前後に隙間を取れ、とうるさく指示し、失敗すると縫い針が私の口元でピタリと直角に止まる、という恐怖体験を持つ私は、まさかここアメリカでギーベル先生以上の細かい注意を受けるとは想像もしなかった。とはいえこれは想像を遥かに超える幸せ、もって瞑すべし。
■ 2011/06/25 荒れ野に呼ばわる声
ハッと気付くと日本はもう6/25(土)ではないの! ミネアポリスは今24日金曜日正午です。実はここ数日のうちにどうしても問題を解決した上で決定しなければならなかった問題がありまして、それぞれ遠距離に住む3人がメールで議論を重ね、60数通のメール交換が続きました。
そんなわけで今夕行われるSoli Deo Gloriaのお知らせが今になってしまいました。皆様ごめんさない!
Before...
_ Yumiko Tanno [な、なんと!! 驚きと喜びで身が震えます。]
_ こにしくみこ [もうそろそろお帰りになられる頃ですね。 こちら蒸し暑いなか 本郷で汗を流しております。・ 残りの人生すべてを使い..]
_ Yumiko Tanno [こにしくみこさま 「大変興味があります。」とのお言葉に、おっちょこちょいの私は唇と舌がムズムズとして来るのですが、こ..]