■ 2015/07/12 バッハ・カンタータ第170番 FBより
『ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京 40年の軌跡』の原稿、今1996年を書いているのですが、突如眼の前に現れた記録:淡野桃子メゾソプラノリサイタル ピアノ梅谷初 1996年8月16日(金)7時 ティアラ江東 にびっくりしました。梅ちゃんはこのあとドイツへ渡り20年間、それはがんばってずっとドイツでピアニストとして活躍。桃子はアメリカの大学を出てからパリへ行きましたが再びアメリカに戻りミネアポリスの冬を泣き乍ら過ごしてやっと今なんとか歌い手に。この二人が20年ぶりにリサイタルをするという。それはなんと2週間後の7月23日(木)7時 三鷹芸文「風のホール」<デュオうめもも>です。なんで今書いている原稿とこんな重なり方をするのだろう? なんか涙が・・・・・
そして、私、今日、バッハカンタータ170番を歌います。器楽とアルトのみのソロカンタータで面倒くさい歌ではあるのですが、なんか「歌ってから死にたい」という曲なのです。2声のオルガンと弦のユニゾンの間で、悪魔に持って行かれた自分の心の悩みを歌う第3曲目がなんともかとも・・・
実はこの170番3度目の挑戦です。初回のオルガンはアルノ・シェーンステット先生でした。先生はかのギュンター・ラミンの弟子にして、聖トーマス教会のオルガニストだった方です。戦後命がけで西ドイツに逃れて来られ、エーマン教授とともにヘルフォルトの教会音楽大学設立に尽力されました。私はこの学校でエーマン先生からシュッツを、シェーンステット先生からバッハを教えていただいたのです。
2回目のオルガンは武久源造さん、そして明日のオルガニストは武久さんの教えを受けた山口眞理子さんです。ライプツィヒの伝統がここ東京へ流れ込むさまを実感しています。バッハに伝えたいですね。
それと、今気がついたのですが、山口眞理子さんが教えを受けたもう一人の先生、河野和雄さんもヘルフォルトに学ばれシェーンステット先生の直弟子です。山口さんは孫弟子なんですね! いやこれも不思議な巡り合わせ!