■ 2007/11/05 <エリヤ>練習から本番へ
10/27、28 本郷教会 木管/弦楽/独唱/合唱
これまでの弦楽のみの練習でも「これだけでも音楽が成り立っている」ということがはっきり分かり、単なる分奏ではない面白さに皆喜んでいたのですが、ここにフルート、オーボエ、ファゴットが加わってさらに各場面の情景、人物の情緒表現が明確になりました。歌手の言葉の伝える事柄はオーケストラの音型、リズム、和声、転調によってさらに雄弁になって行きます。
以下はこの練習中に寄せられた、ヴァイオリン奏者 林由紀子さんからのメールです。
■ 2007/11/10 <エリヤ>を聴く
mixi に寄せられた天音さんの感想です。お許しを得て転載させて戴きました。
淡野弓子指揮、東京ハインリッヒ・シュッツ合唱団のメンデルスゾーン「エリア」を聞いた。
この季節に毎年演奏される「レクイエムの集い」で、大作「エリヤ」が採り上げられた。
エリヤはイスラエルの預言者であり、人々と神の狭間にあって、孤独で過酷な人生を生きる。
その様相をダイナミックで繊細な音楽的表現で構築された作品。
3時間近い音楽が、珠玉の場面が数々体験でき、あっという間の出来事。
しかも壮大な宇宙的ダイナミックス&人間的な麗しい繊細さの極致の表現。
5名のソリストと合唱団とオーケストラ&オルガンで、東京カテドラルマリア大聖堂の
ほぼ600人の魂が一つになって、音楽の至福の喜びを共有し味わい尽くした。
すべての人の顔が奇跡を体験した喜びに満たされていた。
ソリストの中には、ミネソタ州ミネアポリスから1歳になった茜ちゃんを連れて来日された
マイミクmomoさんが素晴らしいソプラノを聞かせてくださった。
前回聞いた時より声の幅、表現が広がり、今後ますます期待できる。
弟君、太郎くんもますます音楽的にも人間的にも大きな存在感を示しはじめて愉しみな価値ある合唱団となっている。
音楽には時空間を超え、人と高次元の存在が共存する奇跡が起きるという貴重な夜となった。
天音さま
全身全霊で聴いて下さったのですね。いや共に音楽を生きて下さったのですね。有り難うございました。Y.T.
今回<エリヤ>でお願いしたオーケストラのプレイヤーは、今迄になく若い人たちが多かった。わたくしの旧い友人であるドイツ人奏者たちの弟子、孫弟子といった世代がすでにプロとして活躍しているのだ。また、9月初めの公開講座でバッハのカンタータ勉強した瀬戸瑶子さんのヴァイオリンの学生さんたち五名も一緒に弾いた。指揮者もコンサートマスターも70歳に手が届こうというのだから当然の現象かもしれないが、自分たちが苦労して学び得たものを受け継いでくれる人々を目の当たりにし、彼らの音とともに演奏出来たのは誠に心強くも嬉しいことであった。
練習時、ずっと一緒に居た二人の子供達も良くがんばってお母さんたちが演奏するのを遠くから支えた。とくに三歳のシオン君は、聴くそばからメロディを覚えていったとのこと、それにしてもこんな破天荒な練習を許して下さった寛大な奏者、歌い手の皆々様、本当に有り難うございました。
追記:本日この一つ前の記事にコンサートの写真を加えました。
■ 2007/11/16 失せものが!
11/15 <エリヤ>終了後なんと今日に至る迄ただただ家捜しに明け暮れた、といっても過言ではないほど、毎日私の心を悩ませていた 「失せもの」、11/2 コンサート終了直後に受け取った某所からの請求書なのですが、これがないと、どこへ幾ら払ったらよいの
か分からない、という重要書類、今朝出て来ました!!
ここに到る迄、幾つもの書類の山を一山五回は探し、中身を確かめたバッグは10種に及び、パラパラとめくった楽譜数知れず・・・きのうまで出てはこなかった・・・
今朝、もう一度頭を整理し、初心に戻って、まずは2.5kgの<エリヤ>のスコアをめくる。この作業はすでに何回となく繰り返していた、が無い。しかしもう一度、私は背表紙の上下を両手に持って振るった・・・
パラリと落ちたのは、メンデルスゾーン・コーアへのお誘いのチラシ、オケの方々へのスケジュール表、そして、グリーンの封筒! なんと、堅い表紙とこのプリントとの間に真空状態で収まっていたのが、私の探していた「請求書」だった・・・。これが出て来る迄はBlogどころではなかったのです。
消えたのは請求書だけではありません。コンサートの翌日の11/3、桃子が消えました。私達、桃子夫婦と茜、それに私の4人は奈良の私の母を訪問することになっていました。わたしにしては珍しく早くから「のぞみ」の指定券を買って待っていたのですが、桃子達のU-Rail Passでは「のぞみ」に乗れないとのこと、この解約騒ぎのあとに一つ残っていたこと、それは、桃子の U-Rail Pass を Japan-Rail-Pass というのに換えないと、とかいう手続きでした。私たちは東海道新幹線の改札口に到着、桃子が「ここで待っててね、パスをもらって来るから」といって消えたのが10:45。なんとそれから30分待っても1時間待っても桃子は帰って来ないのです。桃子はわたしの携帯を持っていたのですが、私は自分の携帯の番号を知らなかったので、家に電話して夫に尋ねると「なんたること!」と驚き慌てなかなかわたしの携帯の番号に辿り着かない・・・その内に公衆電話が時間切れ、などというイライラが続き、やっと桃子に電話をすれど「留守電」。途方に暮れる。キースは「彼女は僕のパスもチケットも持っているんだ。もう少し待とう」
私は、桃子がどのような経路でどこへ行って何をしたか自分で歩いてみようと思い、桃子の出て行った八重洲南口改札を通って左に曲がり八重洲北口の変換所に。窓口で桃子がパスを貰ったかどうかを訊くと、11時前に済んでいるとのこと。私はさらに「このあたりで女性がひっくり返って病院に運ばれた、というような事故はありませんでしたか?」と訊くと「ございません」と笑われてしまいました。
さて、再び駅構内に入るとすれば、至近距離の改札は八重洲北口。私はそこを通過し左側を見乍ら構内を南口の方に歩いてくると、まずは東北新幹線の改札があり、次に東海道新幹線の改札口が!!! 謎が解けました。一つだと思っていた東海道新幹線の改札口は二つあったのです。お上りさんの桃子(私もそうですが)はこの改札に私達がいないので、中に入りご丁寧に列車に乗り込み、端から端迄歩いて私達を探していた、とはあとで分かった事ですが、とにかくキースに「桃子は先へいったに違いない、我々もすぐに出発しよう」といって、13:06 の「ひかり」に乗り込み、それからずっと桃子、自宅、太郎に電話をかけ続けるも皆お話中。この三者、お互いに善後策を相談し合っていたのでした。
やっと、ほんとうにやっと桃子が電話に出たのです。すでに三島でした。「お母さん、ごめんなさい。名古屋でそっちに乗り換えます。」
名古屋で乗り込んで来た桃子の姿を見た途端、私に抱かれていた茜は両手を上げ身体ごと左右に大きく揺らして喜びました。
京都で近鉄に乗り換え、その後は弟夫婦が迎えに来てくれて無事老人ホームの母を見舞うことができました。この日の母はなかなかはっきりしていて「まあ、ユミコちゃん! 会いたかった!」といって顔を覆って泣いています。「まだバッハをやっているの? ユミコのバッハを聴かないと年が越せないような気がするの」と。母は、私が家族の面倒を見ずに音楽ばかりやっていることをとても心配し、「一体いつまで音楽をやっているの」というようなことをいつも言っていましたので、この日こんなことを言ってくれるとは想像もしていませんでした。それから四代の女性の写真を撮り、めでたし、という結末です。
こんな話に長々とお付き合い下さり有り難うございました。
■ 2007/11/17 追悼者記念礼拝 於 本郷教会 11/4(日)
太陽が古都の山間に沈み、大騒ぎだった11/3も静かに暮れて行きました。私は翌11/4の記念礼拝に出席したかったので、桃子たちを奈良に残し、京都から「のぞみ」の最終に乗って帰京。
上荻の本郷教会では年に一度、教会員の親族、友人など、亡くなられた方々のお名前を週報に記し、写真を飾って礼拝を守ります。今年は内尾くんのご両親が<エリヤ>とこの礼拝のために福岡からおいでになるとのことで、私も内尾くんのさわやかな笑顔の入った写真立てを持って教会に行きました。聖書、賛美歌、そして写真をバッグに入れた時、予期せぬ涙・・・・。それまでは半ば確信犯的な彼の行動から、彼は死の直前にある種の達成感を感じたのでは・・と勝手に想像し、「諦めるしかない」と自分に言い聞かせて生きて来たのですが、この日の朝はただ「可哀そうに」という気持ちで一杯でした。
縁とは不思議なもので、内尾くんは少年時代を西荻で過ごし、お父上の勤務でニューヨークにいた時も「西荻へ帰りたい」といつも言ってそうです。昨年の春から武蔵境に住んでいた内尾くんは、中央線の西荻窪から北へ徒歩9分という場所にある本郷教会には自転車で来ていました。音楽礼拝<Soli Deo Gloria>のための日曜日の練習にはかなり熱心に参加し、土曜日の本番ではシュッツやバッハを楽しそうに歌っていました。礼拝にも出席するようになり、受洗の意志を固め、廣田牧師の許で洗礼準備の勉強も始めていました。ご両親は、内尾くんの西荻を愛する気持や教会に対して抱いていた思いを尊重され、この日、本郷教会の礼拝に出席されたのです。
礼拝が終わりオルガンの後奏が鳴り始めた時、私の目の前をスッと内尾くんが飛んで行ったように感じました。とても嬉しそうでした。
■ 2007/11/29 ヘレン・ケラー記念音楽コンクール
11/23(金・祝)
朝10時から午後5時過ぎ迄缶詰状態のコンクール審査。いつもの合唱コンクール審査の後は口も利けない程がっくりしてしまうのですが、この日は違いました。まず、会場が静かでした。どの人も注意深く歩いており、聴こえてくる練習の音も独特の澄んだ音です。聴力で生きている人たちの非常に集中した雰囲気に満たされていました。それは「第57回ヘレン・ケラー記念音楽コンクール」http://mainichi.jp/enta/art/news/20071124k0000m040030000c.htmlという盲人学生のコンクールだったのです。
ピアノのペダルに足が届かず台を置いてもらって弾く小学校低学年から高三、さらにあと二、三年年上の学生迄、視覚障害を持ちつつも、音楽の勉強に本気に取り組んでいる少年少女たちの演奏は、晴眼者のそれとは明らかに異なる潔さの漂うものでした。彼らの特徴を挙げるとすれば、深い集中度と透徹した聴力といえるのではないでしょうか。音楽家であれば「良い耳」は必要不可欠とはいえ、単に音程の差やリズムの型、和音が聴き取れるだけではなく、一音の持つ世界の広がりや深みを感じ取る力、単に美しいだけではなく、精神性を湛えた音を発する能力は、当日の審査員でもあったヴァイオリンの和波孝禧さん、鍵盤奏者 武久源造さんの演奏からも常に感じられる稀有な特質です。
審査員は上記のお二人に音楽評論の梅津時比古氏、それに私の四人でしたが、すぐに点数をつけてしまうのではなく、四人が一人ひとりの演奏について感想を述べ合い、最後に順位を決めるというものでした。合唱コンクールでは、一位から最終位までそれぞれの審査員が順位をつけ、それを集計して数字の少ない順に入賞が決まって行く、というもので、誰がどのような視点で順位をつけたかは、分からないことが多く、繊細な意見の交換というところまではなかなか行きません。
表彰式もとても静かでした。合唱コンクールは歌う人数も多く、学校単位なので、順位が発表された時の会場の凄まじさといったらありません。ブロックごとに「キャアアーッ」という声が上がり、さながら天変地異が起こったかのような騒ぎとなるのです。
この「ヘレン・ケラー記念音楽コンクール」では演奏中も実に静かでしたし、受賞式も皆付き添いの人と一緒に気を付け乍ら壇上に来るので、目の見える人はその動きをじっと見守り、見えない人もどこからどんな人がステージに上って行くのかを知ろうと集中してしているので、これまた本当に静かでした。
音楽に限らず、音というものを大切にしている人々の中にいるととても気が休まるものです。良い体験でした。
_ formatvorlage20 [ http://www.joshstricklandonline.com/aciphex-foradil.html ..]
_ aria [初めてコメントを書かせていただきます。 私は元シュッツ合唱団に所属していらしたK田先生の合唱団、コール・アーテムに所..]