■ 2010/04/03 ミネアポリスより
またまた長いご無沙汰でございました。何から書いたらよいのか、本当に頭の中がぐちゃぐちゃでその上ミネアポリスと東京の時差は14時間、ほぼ昼夜逆転で子供達が時差などということに全く無頓着ですから、常に誰かが起きていて、きゃあきゃあ、ギャアギャアとうるさいことこの上ありません。私のか弱い脳みそはとっくの昔にどこかへ流れ出し、ただただ眠い・・・ 助けて〜〜〜
■ 2010/04/10 祝・復活祭「主に向かって新しき歌を歌え」
復活祭です。われわれ音楽家はなによりもまず「主に向かって新しき歌を歌え」に立ち戻り、声を挙げようではありませんか。
本郷教会の<復活祭オラトリオ>も無事終了した由、まずはお目出とうございます。くわしくはすでにkooonoさんが。感謝!
http://web.me.com/kooono/サイト/days/エントリー/2010/4/5_イースター.html
■ 2010/04/17 4/17
今東京は4/17(土)の朝ですね。三十何年か前にリオ・デ・ジャネイロで太郎が生まれました。彼は、彼の地と日本の時差12時間を背負ったまま成長し、いまだにそのまま生きています。
こちらは金曜日の夕方です。2人の子供、3歳半の女の子とと8ヶ月の男の子を相手に文字通りくんずほぐれつの毎日で体重減少。
今日の本郷教会SDGのカンタータは67番とか。blog:musica21 で claudia姉の苦心談を拝見し、通奏低音との音程差で内容を語り、道無き道を行くがごとき転調、しかし必ず目指した目的地へ・・・といった、自分の歌う旋律だけでは面食らうしかないバッハの奇妙な音程を思い出しています。レシタティーヴォの歌詞を見ると「Todes Gift 死の毒、Pestilenz der Hoelle 陰府をも滅ぼすペスト、Gefahr 危険、Schrecken 驚愕・・・」といった恐ろしい言葉が並んでいます。こういった言葉に食らいつくバッハの蛭のごとき攻撃性と執拗さにはどんな歌い手もお手上げです。皆様のご健闘、ご成功を祈ります。
■ 2010/04/20 こどもたち
3歳半の茜は思いつくことをすべて言葉にし、それにメロディをつけて歌う。私に似たのかな? 私にもこういう時代があって、目に入った文字は電柱の広告まで歌ってみた記憶あり。
茜はまだ字が読めないので、言葉も即興。ある日なにやらシューマン風の節で「〜この傘さして。わたしとあなたのために〜」となんども繰り返していた。翌日、もう1度聴きたくなったので「茜ちゃん、きのうのように歌って!」と頼むと「わたし、きのうのようには歌いたくないの。」その言葉、忘れるんじゃないよ。
彼女は「魔女の宅急便」という宮崎アニメに夢中で、放っておけば日に2回は見たいらしい。両親からもキツく言われているので1回にしてもらっているが「私も魔女になりたいなあ。このコンピュータの中に入りたいの」と言ってため息。その他TVはClifford, Curious George, Sesame Street, Caiu, Arthur のほかに恐竜の子供たちのアニメなどなど PBSkids という局が大サービスの毎日。日に3本ぐらいに絞りたいのだが、そのたびにリモコンを掴んで大立回りが繰り返される。
輝はまだ這うことが出来ないので、ベッドやソファーから転がり落ちることを除けばそれほどの心配はない。ただ日々増え続ける体重にはお手上げ。10kgになり、抱いて2階に上がるのも今日限り、と毎日思う。彼はなにより歌が好きなので助かる。
_ momo [本当にお疲れ様でした!!! 茜は「ごみがツルッと飛んできて〜」などとおもしろおかしい歌をつくっては歌っています。 ダ..]
■ 2010/04/27 ミネアポリス日本語補習校
4/3(土)から茜もこの補習校幼稚部ほし組の生徒になりました。週1回土曜日のみの学校ですが、3歳から18歳〜〜の生徒が通っています。始業式の日に理事長の石田卓三氏よりこの補習校についての行き届いた説明がありました。「この学校は『日本人補習校』ではなく『日本語補習校』と呼びます。」との言葉にハッとしました。
ここでは、アメリカで日常生活を送る子供たちが日本へ帰った時、日本語に不自由しないように、すべて日本語で話し日本語で授業を受けます。生徒は三年保育の幼稚部から高校三年生までで、日本人の家庭の子供が30パーセント、残りの70パーセントは両親のどちらかが外国人で、それも色々な国の人がいます。また血縁に日本人がいなくても、日本語を学びたい人は入学出来るそうです。
週一回土曜日の8時40分から正午過ぎ迄、子供達は皆非常に元気で楽しそうです。授業中カフェテリアでは父兄がパソコンを開いたり、コーヒーを飲んだりし乍ら、こちらも開放的な雰囲気で話がはずんでいます。父兄といっても70パーセントが外国人ですので、興味深い光景です。私はリオとワシントンDCで日本語補習校を体験しましたが、そのどちらとも異なるものでした。
このように海外で育ち、アメリカの学校教育を週5日、日本語補習校の授業を週1回受けている子供たちの意識とはどのようなものなのでしょうか。
4/10の朝礼では高1〜高3の生徒が今年の抱負を発表しました。眼鏡をかけた男の子が「僕はとにかく生きてればいいや、と思っていましたが、今年は少しは笑うようにしたいと思います」と言ったのが拍手喝采でした。この年頃の男の子の本音なのかも知れません。
高3の女子生徒は、日本語の本を辞書を片手に読んでいるが、これがすらすら読めるようになりたい、二つの言語をマスターすることは大変ではあるが、二つ知っていることによって、第三、第四の言語への興味も湧くのではないか、と語り、また別の女子は、これまで日本人として生きるべきなのか、アメリカ人として生きるべきなのか迷っていたが、両方を生きるという環境に恵まれたのだから、両方を生きよう、と決心した。しかしそれには普通の二倍の努力が必要であることにも気付いた。努力します、と頼もしいかぎりでした。さまざまな国の父兄同士の交流といい、このような生徒たちの考えといい、新しい日本の未来を想像させるものでした。日本もどんどん変って行くでしょう。
_ momo [毎週この朝礼発表では驚かされます! 子供たちの頑張る様子がすごく伝わってきて、感動します。 茜も楽しく通っていますし..]
■ 2010/04/29 天恵
飛行機に乗り込みました。機体に故障が見つかり、点検後に出発、との放送。嫌な予感。しかし、たった一人で帰るとはこんなにも楽なものか。その上思ったより空いていて私の右となり二つ空席。
なぜ一時帰国(?)するかというと、5/3, 5/8, 6/3とコンサートが三回あるのです。それも二回が完全なソロのリサイタルです。孫二人を相手にこの準備と練習をする毎日でした。これぞ超絶技巧。最初は「TVが聞こえないから止めて!」となまいきを言った茜も、私がマニヨン先生のレッスンを受けているのを目の当たりにして以来、文句を言わなくなりました。「なぜ練習するの?」とうるさく訊くので「練習しないでうまくなった人はいません」と言うと「アァー」としおらしい。輝は練習の間は腕に抱いているので、歌い終わると腕の痛み、肩の凝り、ギックリ寸前の腰。桃子も蝶々さんが子供を抱いて歌う場面は、先生に輝を抱いて、と言われ、我が子を胸に歌っていました。生きている子は舞台でのお人形よりずっと歌いやすいとのこと。
今回はマニヨン先生のレッスンというまことに特別な天の恵みがあったので、私も気が狂わずにすみました。しかもこの年になって初めて教えられたことが三つもあり、今、いささか唖然としています。
実は先週二度目のレッスンで<女の愛と生涯>全8曲が通りました。先生は私の解釈を気に入って下さり、これは私の録音よ、と仰ってこの<女の愛と生涯>とワグナーの<ヴェーゼンドンクの詩にとる五つの歌>のCDを下さったのです。
気品、客観性そして暖かみ。「深い声」という言葉を私もよく使いますが、私はマニヨン先生のお声から本当の深さを知りました。先生の門下からジェッシー・ノーマンが出て来た、というのも良く分かります。
次のレッスンでCDの御礼を申し上げ、感想を述べると「私は教えているように自分でも歌いたいと思っているの」とのお答え。この言葉は平易かつ簡明ですが、これを実行出来る声楽教師は実は稀なのです。
皆様、「バッカじゃん」と言われても、天の風が吹くまでは決してあきらめずに勉強をお続け下さい。
_ 小西 [先生お元気ですか?皆さまもご息災の由嬉しいです。 太郎先生のお誕生日ということで皆で練習場に入っていらした時に ハッ..]
_ Y.TANNO [小西さん、私、帰国以来あれやこれやでちょっとくたびれています。昨夜はシュッツの練習に行くつもりで、すっかり用意をして..]