■ 2007/04/01 ミネアポリスから戻りました。続いて瀬尾文子「演奏旅行記」二日目をお送りします。
この画面上ではどこにいても同じですが、わたくし三週間ぶりに東京の空気を吸っております。一番驚いたのは我が家の自然園です。わが孫娘の茜が反っくり返って駄々をこねているように真っ赤なチューリップが身をくねらせ、空き地は薄紫の諸葛菜が埋め尽くし、なんと例年は4月29日ごろに咲くつつじが早くも緋色の花を・・。空を見上げれば花みずきが!
今年は桜を見損なったのが残念だったのですが、春と初夏を一度に満喫した日曜日の朝でした。
午後はひさびさにユビキタス・バッハの仲間、ソリストの大石すみ子さん、羽鳥典子さん、星野正人さん、中村誠一さん、それにシュッツ合唱団の有志のメンバーとともにバッハのカンタータ112番をさらいました。詩編23「主はわたしの真実の牧者」をもとにパラフレーズされた歌詞が、合唱、アルト・ソロ、バスのアリオーゾ、ソプラノとテノールの二重唱、そしてコラールによって通して歌われ、清々しさ、麗しさ、深刻な場面、天にも昇る喜びなどが嫌味なく流れ、まことに今の季節にぴったりの讃歌です。今週の土曜日午後六時より上荻の本郷教会(T.03-3399-2730)で、シュッツのダビデ詩編第23編(三重合唱)とともに演奏致します。お時間がおありでしたら是非お出かけ下さいませ。
今夜はシュッツ合唱団の新年度初の練習をしました。5月20日の日曜日の午後、三島市の長泉で行なわれる<ア・カペラの時空>コンサートの演奏曲目です。モンテヴェルディの「わたしは若い娘」とフーゴー・ディストラーの「歌へ、主に向かって新しい歌を」を勉強しました。大宇宙の法則を発見し、ここぞという箇所でその音の響きが最大の効果を上げるように音を組み立てる天才の作品は、2、3分の曲にすら森羅万象がすべて書き尽くされているような印象を受けます。いつものようにワクワクする時でした。
天才といえば、ミネアポリスのオペラ芝居は<Don Juan Giovanni>から<Figaro>に変わり4月4日が初日でした。モーツアルトの音楽もまたその音楽に込められた内容の深さ、密度の高さ、鋭さ、そして悲しいまでに真摯な語り口に改めて感動、言わずもがなとはいえやはり「凄いなあ!」のひと言です。詳しくはまた時を改めて・・・。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
瀬尾文子「演奏旅行記」その二
2回目のコンサートは、宿泊地のシュミーデベルクの教会でした。1713-16年にGeorge Baehrによって建てられた教会です。ベーアは10年後にドレスデンのフラウエン教会を建築しています。シュミーデベルクの教会は、三位一体のシンボルである三角形を基本に設計されました。外観も、図で説明されてみればそんな感じがします。内部はこじんまりした印象で、入って正面にオルガンがあります。会衆席は円形で、二階にもベンチがありました。残響はありますが少ない方で、5度倍音がほとんど鳴らない変わった音響の空間でした。
■ 2007/04/07 <ヨハネ>が終わり淡野太郎ライプツィヒへ
三月十一日<受難楽の夕べ2007>、バッハ「ヨハネ受難曲」が無事終了しました。指揮者が暗譜という演奏会は全員の集中度がいやが上にもアップするものですね。太郎は三歳ごろに初めてこの曲のオーケストラの練習を聴き、最初はファゴットを吹く蘆野さんの隣で蘆野さんのひざに片手を乗せて通奏低音のパートに聴き入っていました。4歳ぐらいになると自分の背の高さと同じくらいの長さの筒状に巻いた紙のまん中を紐でゆわえて首に掛け、ファゴットだと思い込んで、音は自分でフンフン、フンフンと歌い乍ら間もなく全曲の通奏低音を覚えました。一年後に行われた「ヨハネ」公演のカセットテープにスコア、そして紙筒のファゴットを離さず、一日中ヨハネを聴いては紙のファゴットと共に歌っていました。その後どのパートも分かるようになったらしく、5、6歳になると、スコアを広げ指揮の真似を始め、小学校に入ると友だちを呼んできては「ヨハネごっこ」なる遊びに熱中、オーボエの1、と決められた子はその節を歌わなければならないので、分からなくなると「僕帰る」といって次々にいなくなり、最後は太郎一人になるという、まあ指揮者の孤独も早くから味わっていたようです。
というわけで当日は脳に焼き付いたまま躍り出ることのなかった原体験が恩師、先輩、同士、友人、後輩などなどのお力を得て奔出、せいせいしたことと思います。ご出演の皆様、ご来場の皆様、そして古くからまた遠くから応援して下さった皆々様、本当に有り難うございました。彼はその直後、ライプツィヒでお世話になった元ゲヴァントハウス室内合唱団の指揮者モルテン・シュルト・イエンセン氏からの連絡で、彼のコンサートで歌うべくあっという間に東京を発って行きました。以下ベルリンの瀬尾文子さん、そして淡野太郎の便りです。
■ 2007/04/11 瀬尾文子 その二
2回目のコンサートは、宿泊地のシュミーデベルクの教会でした。1713-16年にGeorge Baehrによって建てられた教会です。ベーアは10年後にドレスデンのフラウエン教会を建築しています。シュミーデベルクの教会は、三位一体のシンボルである三角形を基本に設計されました。外観も、図で説明されてみればそんな感じがします。内部はこじんまりした印象で、入って正面にオルガンがあります。会衆席は円形で、二階にもベンチがありました。残響はありますが少ない方で、5度倍音がほとんど鳴らない変わった音響の空間でした。
■ 2007/04/17 ミネアポリスから戻りました。
この画面上ではどこにいても同じですが、わたくし三週間ぶりに東京の空気を吸っております。一番驚いたのは我が家の自然園です。わが孫娘の茜が反っくり返って駄々をこねているように真っ赤なチューリップが身をくねらせ、空き地は薄紫の諸葛菜が埋め尽くし、なんと例年は4月29日ごろに咲くつつじが早くも緋色の花を・・。空を見上げれば花みずきが!
今年は桜を見損なったのが残念だったのですが、春と初夏を一度に満喫した日曜日の朝でした。
午後はひさびさにユビキタス・バッハの仲間、ソリストの大石すみ子さん、羽鳥典子さん、星野正人さん、中村誠一さん、それにシュッツ合唱団の有志のメンバーとともにバッハのカンタータ112番をさらいました。詩編23「主はわたしの真実の牧者」をもとにパラフレーズされた歌詞が、合唱、アルト・ソロ、バスのアリオーゾ、ソプラノとテノールの二重唱、そしてコラールによって通して歌われ、清々しさ、麗しさ、深刻な場面、天にも昇る喜びなどが嫌味なく流れ、まことに今の季節にぴったりの讃歌です。今週の土曜日午後六時より上荻の本郷教会(T.03-3399-2730)で、シュッツのダビデ詩編第23編(三重合唱)とともに演奏致します。お時間がおありでしたら是非お出かけ下さいませ。
今夜はシュッツ合唱団の新年度初の練習をしました。5月20日の日曜日の午後、三島市の長泉で行なわれる<ア・カペラの時空>コンサートの演奏曲目です。モンテヴェルディの「わたしは若い娘」とフーゴー・ディストラーの「歌へ、主に向かって新しい歌を」を勉強しました。大宇宙の法則を発見し、ここぞという箇所でその音の響きが最大の効果を上げるように音を組み立てる天才の作品は、2、3分の曲にすら森羅万象がすべて書き尽くされているような印象を受けます。いつものようにワクワクする時でした。
天才といえば、ミネアポリスのオペラ芝居は<Don Juan Giovanni>から<Figaro>に変わり4月4日が初日でした。モーツアルトの音楽もまたその音楽に込められた内容の深さ、密度の高さ、鋭さ、そして悲しいまでに真摯な語り口に改めて感動、言わずもがなとはいえやはり「凄いなあ!」のひと言です。詳しくはまた時を改めて・・・。
■ 2007/04/19 ミネアポリスから戻りました。そして瀬尾文子 演奏記 その二
先回4/17の更新記事がどういうわけか先先先回の場所に掲載されてしまったので、本日もう一度正しい順序に戻るかどうか試してみます。(以下4/17付本文)
この画面上ではどこにいても同じですが、わたくし三週間ぶりに東京の空気を吸っております。一番驚いたのは我が家の自然園です。わが孫娘の茜が反っくり返って駄々をこねているように真っ赤なチューリップが身をくねらせ、空き地は薄紫の諸葛菜が埋め尽くし、なんと例年は4月29日ごろに咲くつつじが早くも緋色の花を・・。空を見上げれば花みずきが!
■ 2007/04/20 瀬尾文子 その三
月曜日と火曜日は、コンサートがありませんでした。月曜日は日中に、それぞれ一時間半ずつのパート練習がありました。午前中はアルトとバスのパート練習だったので、ソプラノ3人で三時間かけて裏山をハイキングをしました。クラウディアは3人の子持ち、ブッカには3人のお孫さんがいますが、お二人の健脚ぶりには参りました。翌日筋肉痛になったのは、たぶん私一人で、そのことは口が裂けても言えませんでした。ここでは靴のせいにしておきます(私だけブーツでした)。もう一人のソプラノ、イルゼは相変わらず忙しそうに、街に食料品(果物やケーキやノド飴など)を仕入れにでかけていました。
■ 2007/04/25 強烈なる体験! E の 舞台
4月22日(日)
敬愛する S 先生・・・ドイツ語全般、聖書、バッハ、ニーチェ、キルケゴールなどなど、多くのことを広く深く教えて戴いている三十年来の私の師・・・の家に生まれた末っ子の「E 」の会が、学習院大学の創立百周年記念会館というところでありました。
ぶかっとした黒いズボンにピンクの長袖のシャツ、そして黒い上着を着たり脱いだり、野球帽をかぶったり、はずしたり、時に赤い着物を着たり、ひょっとこの手ぬぐいで顔を隠したり、靴も履いたり裸足になったりしながら、彼女は人生を語り、踊り、唄い、大道芸を披露したのでありました。「E 」の姿は、近頃はほとんど見かけない天然童子といった趣きで、足の裏からつむじ目掛けてどかんと野太いエネルギーが貫通し、その印象をひと言でいうなら「真っ当」であります。
途中、E に呼び出され、彼女の「身体」とわたくしの「声」でコラボレーションをすることに。即興のヴォーカリーズですから何を歌ったのか良く覚えてはいませんが、〜〜〜さくら、さくら、弥生の空に、咲く、咲く、咲く、・・散る、散る・・、君が代は〜〜千代に八千代に、千代に八千代に・・キツネ、コンコンコンコン・・・など切れ切れの言葉と共に上へ下へ前に後ろに西に東にわたしは声を放ち、彼女は跳ね、転げ、腕を伸ばし、身をよじりまた震わせ、あるときは首のみを動かし、さらに全身を小刻みに振動させ・・・・無窮動寸前で、私は ‘ピ・タ・ゴ・ラ・ス’ の名前を ド/ソ/ド/ソ/ドと歌って目出たくthe End。
今、即興の機会は年に一度あるかないかですが歴史は長く、学生時代、芸大の旧校舎の一室で、塩見允枝子、水野修孝、小杉武久さんたちの「グループ音楽」の仲間に加えてもらって、闇雲に「声」を張り上げていたのが最初です。モダンダンスの伴奏を即興で歌ったことも思い出しました。
‘ピ・タ・ゴ・ラ・ス’と歌ったのは、プラトン、ピタゴラスの研究で知られ、さらに猫40匹と暮らす哲学者、SSさんが来られる、と聞いていたからでした。即興ののち、E が「SS先生のお誕生日を祝ってみんなで Happy Birthday を歌いましょう」と提案、歌い乍ら皆の声の方向を辿ると、なんと私のお隣にSS先生が!
わたくしはそっと「失礼ですが、Uさんでは?」とお訊きしますと、「まあ、なんで? Uです。」「高校時代合唱部で一緒だったでしょ? 一年先輩の田中弓子よ!」「きゃー、うわー、えぇっ、なんで?」二人は抱き合い、髪を振り乱し、顔をくしゃくしゃにして50年振りの再会を祝いました。
SS先生はEさんの恩師なのでした。淡野弓子→S先生→E→SS→田中弓子という繋がりです。わたくしはSSさんのネオ・プラトニズムの研究に以前から関心を持っており、いつかお訪ねして、いろいろ教えて戴こう、と密かに願っていたのです。「E」の不可思議なエネルギーの御蔭ですっかり元気を取り戻した記念すべき日でした。
■ 2007/04/28 瀬尾文子 その四
さて話は変わって、この演奏旅行中に、誕生日を迎えた人がいました。アルトのベアーテです。エピファニエン・カントライではいつも、だれかの誕生日が来ると、その週の練習のときに、みんなでその人のために歌を歌います。昨年11月の私の誕生日のときには、リクエストを聞かれ、シュッツの“Also“を一緒に歌ってくれました。また、あるときなど、誕生日を迎えた人がその日に限って練習を休んだので、わざわざおうちに電話をかけてその人を呼び出し、みんなで電話口で讃美歌を歌ってあげたりもしました。それくらい、こちらの人は誕生日を大事にします。誕生日というものをそれほど特別に思っていなかった私にとっては、なんだか不思議な感じですが、祝ってあげるのも祝ってもらうのも、心が温まっていいです。
_ Harry [2002年夏、私はICEでBERLINからDRESDENに向かっていました。ICEは途中で徐行しはじめ、NEU ST..]