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ムシカWeb通信


■ 2010/06/02 日本声楽発声学会における海外研修報告

 2010年5月30日、東京藝術大学で行われた日本声楽発声学会において、私は今年4月に米国ミネソタ州セント・ポールで受講したエリザベス・マニヨン先生のレッスンについて報告を行いました。エリザベス・マニヨンおよびエンリコ・デッレ・セディエの名を知る人は出席者のなかに一人もおられなかったので、この報告の場を与えられたことを嬉しく思いました。以下はその要旨です。                                                      

 2010年4月、私は縁あってElizabeth Mannion女史の教えを受けることが叶った。女史は往年のメトロポリタンの名歌手で、引退後はアメリカ各地の大学で後進の指導に当たられ、多くの優れた歌い手を育てられた。ジェシイ・ノーマンもそのひとりである。

 今年82歳になられるマニヨン先生の声の美しさは無論のこと、容姿端麗で身のこなしが軽くデリケートで、そばに立っていて下さるだけで音楽が伝わってくる。

 今回の大きな収穫はマニヨン先生のレッスンを通してSedieに出会えたことがであった。 Enrico Delle Sedie(1822-1907)はイタリアの名バリトンで作曲家ヴェルディの友人でもあった。1876年から86年までパリのコンセルヴァトワールで教鞭をとり、1881年に《Vocal Art 》という1冊の本を著している。《Vocal Art 》には彼は彼の考えに基くc'からg"までの各音の声の濃淡に関するチャートが載っているが、そのチャートに従って声を出すと、単なる音階が非常に音楽的に聴こえるのだ。また彼は、各声は倍音の法則の中にある、と語っているが、これは私自身がハインリヒ・シュッツ合唱団・東京と共に歩んだ40年間に発見し推察し確信に至った部分でもあったので、なおのこと大きな喜びであった。                                

 具体的には、歌うべきピッチをその1オクターヴ下から発声させ、発声された音からさらに第2倍音が聞こえるような声を出す、という方法である。実は私が12年に亘って教えを受けたドイツのバッハ歌手アグネス・ギーベルは2オクターヴ下からの発声練習を朝起きた時から夜眠りにつくまで行っておられ、勿論生徒にもその実践を厳しく求められた。

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■ 2010/06/03 1840年[歌の年]コンサート

 明日はいよいよシューマン生誕200年記念 1840年[歌の年]のコンサートです。例によって訳詞と解説の原稿書きで緊張の日々をおくりました。《女の愛と生涯》と《詩人の恋》の訳詞はすでにいろいろな方のものが活字になっていますし、無論うなるような名訳もあるのですが、コンサートで歌と一緒にお読み戴く、となるとまた別で、迷った末に今回も自分で訳すことになりました。

 《女の愛と生涯》のほうは自分が歌うので、歌のリズムや抑揚と日本語の感覚を合わせることは比較的易しかったのですが、《詩人の恋》を歌われるのはファンダステーネ氏ですので、氏がどのように歌われるのか気になり乍ら訳しました。印刷所に入れる前に1度氏の演奏を聴きたかったのですが、どうしても時間が合わず、印刷所へ入れた直後に練習に駆けつけることに。

 日本語が長くならないように、また原詞と訳が行毎に合っているように訳すのはなかなか大変でいつも苦労します。今回もひやひやものでしたが、自分の訳を読み乍らファンダステーネ氏の演奏を聴いてみました。彼の語調や表現と私の日本語はまずまずの調和でほっとしました。

 明日の演奏を前に、以下の文をまとめました。明日お配りするのプログラムに載っていますが、一足早くここに掲載致します。明日お聴き戴けるのならそれが一番嬉しいことですが、おいでになれない方も、興味を持って戴ければ幸いに存じます。

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悲劇を超えて 

〜シューマン小考

淡野弓子                                                              

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■ 2010/06/16 シューマン 1840年[歌の年]

 またまたのご無沙汰です。コンサートの翌々日6/5にミネアポリスに向け出発、6/6(日)の輝の洗礼式に出席し、その礼拝で桃子とヴィヴァルディの《グローリア》から二重唱<Laudamus te>を歌うというのが当初の目的でした。集まった親類と立ち会ってくれたキースの友人たちの家族との昼食会もなごやかに終わり、その日の夜は7時から桃子の“M.Butterfly”千秋楽でした。そしてあれよあれよという間に6/3のコンサートから2週間近くも経ってしまっていることに気付き、大慌てでBlogを開けたところです。

 6/3(木)のシューマン1840年[歌の年]御蔭さまで無事終了致しました。この日の音楽は勿論シューマンのみでしたが、さすが[歌の年]の歌は降る星々のごとき調べ、自分の歌った歌以外はすべて一曲終る毎にため息が・・。

 シュッツ合唱団、メンデルスゾーン・コーア、アクアリウスの合唱は、混声、女声、ア・カペラ、ピアノ伴奏付き、と色々な種類があり、また各グループがいろいろな組み合わせで参加したので、全九曲が退屈することなく進行しました。ひと頃に比べて三団体の立ち姿が揃ってきて、声も交ざってきたように思いました。こうなってくると各団体にとっても、それぞれ固有の音色+アルファが期待出来、先が楽しくなってきました。

 ツェーガー・ファンダステーネ氏とのお付き合いも10年以上になるかと思われますが、ツェーガーさんの表現はこの頃とみにドラマティックになられたと思います。《詩人の恋》も「完璧、美しい」というだけでは意味がない、と言っておられましたが、<Im Rhein, im heiligen Strome ライン河の、聖なる奔流の>は肺腑をえぐられるようでしたし、庭に咲く花々の慰めを受ける <Am leuchtenden Sommermorgen 輝く夏の朝>では、窶れ果てた男がそのままいなくなってしまいそうでした。また、ふったりふられたりの恋愛戯画<Ein Juengling liebt ein Maedchen ある若者がある少女を好になったが>ではコミカルに両手を動かし乍らこみいった人間関係を描写され、まるで人形劇を観るようでした。ツェーガーさんの、白いシャツに茶橙色のチョッキ、濃いチャコールグレイの長目の上着といったビーダーマイヤー時代の詩人のコスチュームもピタリと決まり、この夜ファンダステーネ氏と武久氏の人気は今までにも増してアップしたと思います。またこの夜はお客様とのコミュニケイションもことのほかうまく行ったようで、ドラマを共に生きたという喜びに包まれたことは実に嬉しいことでした。改めて皆様に心より御礼申し上げます。


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