またまたのご無沙汰です。コンサートの翌々日6/5にミネアポリスに向け出発、6/6(日)の輝の洗礼式に出席し、その礼拝で桃子とヴィヴァルディの《グローリア》から二重唱<Laudamus te>を歌うというのが当初の目的でした。集まった親類と立ち会ってくれたキースの友人たちの家族との昼食会もなごやかに終わり、その日の夜は7時から桃子の“M.Butterfly”千秋楽でした。そしてあれよあれよという間に6/3のコンサートから2週間近くも経ってしまっていることに気付き、大慌てでBlogを開けたところです。
6/3(木)のシューマン1840年[歌の年]御蔭さまで無事終了致しました。この日の音楽は勿論シューマンのみでしたが、さすが[歌の年]の歌は降る星々のごとき調べ、自分の歌った歌以外はすべて一曲終る毎にため息が・・。
シュッツ合唱団、メンデルスゾーン・コーア、アクアリウスの合唱は、混声、女声、ア・カペラ、ピアノ伴奏付き、と色々な種類があり、また各グループがいろいろな組み合わせで参加したので、全九曲が退屈することなく進行しました。ひと頃に比べて三団体の立ち姿が揃ってきて、声も交ざってきたように思いました。こうなってくると各団体にとっても、それぞれ固有の音色+アルファが期待出来、先が楽しくなってきました。
ツェーガー・ファンダステーネ氏とのお付き合いも10年以上になるかと思われますが、ツェーガーさんの表現はこの頃とみにドラマティックになられたと思います。《詩人の恋》も「完璧、美しい」というだけでは意味がない、と言っておられましたが、<Im Rhein, im heiligen Strome ライン河の、聖なる奔流の>は肺腑をえぐられるようでしたし、庭に咲く花々の慰めを受ける <Am leuchtenden Sommermorgen 輝く夏の朝>では、窶れ果てた男がそのままいなくなってしまいそうでした。また、ふったりふられたりの恋愛戯画<Ein Juengling liebt ein Maedchen ある若者がある少女を好になったが>ではコミカルに両手を動かし乍らこみいった人間関係を描写され、まるで人形劇を観るようでした。ツェーガーさんの、白いシャツに茶橙色のチョッキ、濃いチャコールグレイの長目の上着といったビーダーマイヤー時代の詩人のコスチュームもピタリと決まり、この夜ファンダステーネ氏と武久氏の人気は今までにも増してアップしたと思います。またこの夜はお客様とのコミュニケイションもことのほかうまく行ったようで、ドラマを共に生きたという喜びに包まれたことは実に嬉しいことでした。改めて皆様に心より御礼申し上げます。