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ムシカWeb通信


■ 2010/07/02 Mrs. Mannionのレッスン

 今回のミネアポリス滞在で、6/15(火)と6/22(火)の2回、マニヨン先生のレッスンを受けることが出来ました。今回の自分自身の目的は、声域に関することでした。私の声は「メゾソプラノ」と自分では書きますが、時にソプラノの歌も歌います。しかし疑いなくソプラノとはとても言えないのです。

 ソプラノなら難なく出来ることが出来ない、という場面に遭遇するたびに、これはテクニックの問題なのか、生まれつきの声帯の問題なのか、分からずにいたのです。いや、もっとはっきり言えば、自分では、問題が起こるのは「テクニックに問題がある」と思っていました。

 <女の愛と生涯>はこれまでペーター版の中声用でさらっていました。8曲のチクルス全体がそのまま低く移調されれば各曲のつなぎ目でそれほどの違和感はないのですが、原調のままから移調を余儀なくされる曲に移るのは自分でも一番嫌に思うことでした。さらに、フラット系とシャープ系は曲の雰囲気ががらりと変るので、フラット系の移調はフラット系、シャープ系はシャープ系としようとすると、どの曲も歌った気がしないほど、今度は自分の声帯が「否」と騒ぎます。

 ピアノの武久さんは本番の直前まで、どの調でも大丈夫という人なので、アグネス・ギーベル女史もそこを非常に高く評価しておられましたが、私も毎回の練習でわがままの限りを尽くし、どの調にすべきか悩んでおりました。具体的に言うと第2曲、第5曲、第7曲をそれぞれ長2度下げて歌っていたのです。しかし途中で第2曲と第5曲は原調で問題が無くなり、残るは最後から2番目の第7曲「An meinem Herzen, an meiner Brust」のみとなりました。この曲の終止和音D-Durから最後の歌のd-Mollに入る、ということは、他のどの曲間より大切なことです。もし第7曲がC-Durで終わり、最終曲が2度上のd-Mollで始まるとすると、生まれでた生命(Nr.7)と生命の終焉(Nr.8)に段差が生じてしまいます。さらにこの段差を避けるためにC-Dur→c-Mollとすると、最初に出会った日の思い出を語る後奏の調性が第1曲の前奏の調と異なってしまうのです。道は第7曲をD-Durで歌うしかないのでした。何度練習したか分かりませんが、最後に武久さんが「気合いだ!」と叫んだので「ようし!」と私もその気に。

 本番をすべて原調で歌ったことが、今回の自分にとっての最大の出来事でした。が「気合い」で潜り抜けたと思ったのは錯覚で、問題の残る高音の倍音構成、冷静さに欠ける科白回し、などは当夜どなたのお耳にもそのまま届いたことでしょう。

 

 昨夜6/3の録音を聴きました。やはり気合いで通過したところに問題があります。マニヨン先生は私の声域を「最もリリックなメゾソプラノ」と仰いました。始めて聴く音域の名称でしたが納得。やはり高い感じとはいえメゾの範疇でした。しかし今回のレッスンでマニヨン先生がドイツの物理学者ヘルムホルツの名を挙げられ、この人が倍音について非常に詳しい研究を遺していることを教えて下さいました。調べてみるとヘルムホルツはセディエと1歳違いで、セディエはヘルムホルツの研究を参考に声の濃淡のチャートを遺したことが分かりました。現在、ヘルムホルツの理論を間違いなく理解することと、セディエのチャートで注意深く練習を重ねることによって問題解決を目指しています。

 さて明日7/3(土)は本郷教会のSDGで午後6時よりバッハのカンタータ第24番<混じり気なき心>を歌います。バッハがライプツィヒのトーマス・カントールになった年の6月の作品で冒頭がアルトのアリアで始まるという珍しい曲です。お時間がおありでしたらどうぞいらしてみて下さい。


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