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ムシカWeb通信


■ 2016/02/02 今年の聖金曜日・・FBより

 昨夜クロイツ教会の牧師 Zieme女史との話し合いで、カントライは3月25日聖金曜日の礼拝(午後8時より)でシュッツのモテット《聖晩餐制定の言葉》→「イエスはパンを取り祝福してこれを裂き・・・『取って食べよ、これはわたしのからだである』。」また「杯を取り・・・『これは罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である』。」(マタイ26;26~29)を歌うことになりました。2000年前イエスが最後の晩餐で弟子たちに語ったこの言葉はおよそ500年前ルターによってドイツ語に訳され、シュッツがこの言葉を音楽としたのはその100年後でした。私はシュッツ合唱団とともに何度かこの曲をコンサートでは演奏しましたが、思うに今まではオペラを演奏会形式で上演しているようなものだったのです。今回は、イエスが十字架上の人となった金曜日の夜を記念する礼拝で、実際の聖餐式と共に歌う、という、恐らくシュッツもホッとするに違いない展開となり、私は昨夜からまたもや軽躁興奮状態におります。


■ 2016/02/11 FBより

 チラシの情報をT 印刷の Oさんに送信してゲラを待つこと5日。 実直で約束を違えたことのない Oさん、ご病気か? と心配していたら「お父上ご逝去」とのこと、驚いた。そして昨日ゲラが届いた。心の中で、昨年の<受難楽の夕べ>を踏襲した構図が良いとは思っていたが、やはりプロにお任せしよう、と私はあえて注文はつけなかった。上がってきたラフ案は実にイメージ通りのデザインだった。長年の信頼が生む阿吽の呼吸というのだろう。有り難いことだ。

 98歳で亡くなられたお父上は1918年台湾のお生まれで、1936年から2014年までなんと78年間を印刷所で働かれた方とのこと。またOさんは台湾で大きな印刷所を経営しておられたお祖父さまの三代目であることを知る。さもありなん、と私はこれまでに Oさんが示して下さった数々の思い遣り、単なる印刷屋さんを超えた人間性に溢れた対応に改めて深い感慨を覚え大きく頷いた。そしてお父上は早くも天使としていろいろな人の働きを助けておられるのでは・・・! チラシが完成しましたらお目にかけます!


■ 2016/02/17 『あまがさ』〜『からすたろう』FBより

 長女の桃子が生まれた時、友人のS子さんから「お祝いに」と八島太郎作・絵『あまがさ』という絵本を戴きました。「モモ」という女の子が誕生日に雨傘と長靴をもらい、雨の降る日を待ちこがれるお話です。この本を愛読して育った桃子は、この2月18日から同じく八島太郎の傑作『からすたろう』を人形劇団とともに演ずるとのこと、亡き太郎氏の娘さんである『あまがさ』の桃さんにもお会いしてお話を伺ったそうです。こんな巡り合わせもあるのですね。私も19日に発って観劇の予定です。今回のミネアポリス行きはいつになく心が躍ります。実は21日にもう一つ素敵なことが待っているのですが、それはまた他の機会にお話します。


■ 2016/02/22 淡野武司洗礼式 FBより

 2016年2月21日(日)聖アンドリュー教会 10時30分(ミネアポリス時間)の礼拝にて。

 少年少女聖歌隊の合唱に始まりオーケストラがメンデルスゾーンの《String Symphony #9 inC》より第一楽章、7、80名から成る大人の聖歌隊がヴィヴァルディの《Gloria》から「Et in terra pax hominibus」、シューベルトの《Missa in G》ほかを次々に演奏し祝典的な気分の横溢する礼拝が進行するなか、いよいよSacrament of Holy Baptism へ。嬰児2人の幼児洗礼のあと Takeshi Tanno の番に。家族も前へ出て洗礼盤の傍らに立つ。盤の水が牧師の手から3度武司の頭に付けられクリスチャンとなった彼に300人はいたと思われる会衆から大きな拍手が!

 ミネアポリスは北欧と気候や自然の風景が似ているらしく、スカンジナヴィア系の移民が多い州のため、「真っ白しろの教会(建物ではありません)」と桃子が言ったほど肌の色がちょっとでも茶がかっているだけでけ緊張が走るような雰囲気があったのだが、この頃は説教にも差別の問題が多く採り上げられるようになり、教会員の考えも随分変わったとのこと。今度のように日本人のしかも老齢の男性をここまで歓迎してくれた背景には、この教会の牧師たちの信仰と教化啓蒙の力に負うところが大きいと感じた。

 輝が「なんでおばあちゃまは今日洗礼を受けなかったの?」と訊く。「もうずっと昔に日本で受けたのよ。」と私。「じゃあなんでおじいちゃまは今迄受けなかったの?」「鋭いね」と武司。「洗礼は自分で決められないんだ。神様がお決めになることなの。」「ふーん・・」と輝。6歳の輝がなにをどう理解したかは分からないが、彼にとっても強い記憶として残る日となったことだろう。茜も輝も朝5時ごろに眼を覚まし、夜は夜で毎日一つずつ読むお祈りの本を次から次へと読んでは興奮していた。武司はこの2人を日曜学校の聖歌隊に送り迎えし、牧師と言葉を交わすうちに決定的な「時」に遭遇したようだ。「子供たちの口に与えられた讃美の歌」のパワーを眼のあたりにした思いである。


■ 2016/02/29 《受難楽の夕べ2016》

 サイトのTopPageに掲載されておりますように、来る3/18(金)には毎年レントの季節に行っている<受難楽の夕べ>を開催致します。今年はデマンツィウス(1567-1643)の《ヨハネ受難曲》をメインに、シュッツ(1585-1672)の《小宗教コンチェルト》ほかを組み合わせたプログラムです。バッハの《マタイ》《ヨハネ》などでは、受難の事実を伝えるだけでなく、人間の側からの祈りや瞑想がアリアとして歌われ、その部分だけが音楽として好まれたりもしますが、今回は「イエスの受難」というテーマを巡る ”預言”、”瞑想”、”祈祷”、そして福音史家ヨハネの伝える ”事実の記録” がそれぞれ独立した楽曲によって演奏されます。

 デマンツィウスの《ヨハネ受難曲》ではヨハネによる受難の記事がすべてア・カペラの合唱によって歌われます。イエスもピラトも合唱です。ソリストに任された部分が一切有りませんので、合唱団はテキストの全てを把握し表現せねばなりません。難しい課題ではありますが、このようななスタイルの受難曲によって考えが整理され、技術的にも鍛えられるので、シュッツ合唱団では数年に1度このような曲を採り上げるようにしています。演奏する側の事情はともかく、強靭で劇的な緊張感に溢れた17世紀の名作の数々をどうかお聴き戴きたく、謹んでご案内申し上げる次第です。


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