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ムシカWeb通信


■ 2009/06/02 時に異様な・・・

 バッハのカンタータ183番、同128番を演奏しました。教会暦にしたがって選曲をすると、時に驚くような異様な曲に遭遇します。183番もその1つでした。オーボエ・ダモーレ2本、オーボエ・ダカッチャ2本とファゴットが一度に鳴ると、「異界」に連れて行かれそうな恐怖を覚えます。バス(キリストの声)が「お前達は追放されてしまうだろう」と語り出します。

 バッハの音色の感覚、選択にあたっての冒険心にはいつもびっくりさせられます。オルガンの音栓配合もかなりユニークだったようです。彼が現代に生き、さまざまなモダンの楽器を見たら一体どんな曲を書いたでしょう。

 さて5/30、みんな良くやりました。あの不気味なキリストの預言を細川裕介さんがなかなかしっかりと語りました。久しぶりに聴いた彼の声はゆったりとしたバリトンに成長していて、その調子!と心から応援しました。

 星野正人さんのテノールと大軒由敬さんのチェロ・ピッコロ、石原輝子さんのコンティヌオ(オルガン)による2曲目のアリアもこれまでにあまり出会ったことのない、非常に例外的な奇妙さに溢れた曲でした。「死の恐怖、なにものぞ」と歌い出すのですが、「Ich fuerchte nicht 恐くない」の「ない」に当たる「nicht」という単語がためらうように16分音符3つに亘ったり、決然と1つになったり、また3つになったりと、明らかにふらふらし怖がっている様子です。旋律もバッハの得意技である、蛇がのたくったような、さらに時々紅い細い舌をチロチロと出すような、行きつ戻りつのラチの開かないライン、このメロディを夜も寝ないでさらったに違いない星野さんが、それは誠実に、言葉を一つずつ丹念に音にしていっているそこに、チェロ・ピッコロも16分音符の連続で「しっかりせよ」とばかりに伴走。ところがこの音型、励ますと見えて邪魔をし、とまた励まし、と明らかに二重人格です。極く最近出版された『ドストエフスキー 共苦する力』(亀山郁夫 東京外国語大学出版会)に、‘ドストエフスキーこそは「二枚舌」の天才’なる表現に出くわし、なんだ、バッハも同じじゃない、と思いました。亀山氏は、テクストを絶対化しない、テクストには二重構造があり、信仰の裏に不信があり、不信の闇に神は存在する、という一貫したドストエフスキー理解を明快に述べておられます。カンタータの解説の中で私は、バッハは同じ音型で正反対のものを表現するのが得意だったと書き、その後直ぐにこの文章を目にしたので、非常に驚きました。

 3曲目のアルトのレシタティーヴォはキリストに対する全幅の帰依を表明するもので、ここでは2本のオーボエ・ダモーレ、2本のオーボエ・ダカッチャが終始「Ich bin bereit 用意は出来ています」との言葉に当てられたリズムを繰り返し奏します。羽鳥典子さんの進境著しい声と表現に、「ひまさえあればバッハを歌う」、特に「本番で歌う」ことの大切さを感じました。とにかく‘バッハに倣いて’の道を辿ると想像を絶した本番の数、というところに行き着くようです。

 第4曲ソプラノのアリアです。至高なる者への賛美ですが、ここで面白いのはオブリガートとして用いられている楽器がオーボエ・ダカッチャ2本ということでした。第2曲と並んで、ここにもバッハの徹底した中音域指向が現れています。ソプラノの柴田圭子さんは声が安定し、‘聖霊の示す道’を歩む者の軽快な足取りが舞曲風の8分の3拍子に乗って進み、32分音符の長いパッセージも難なく通過です。終曲のコラールは4声体の素朴なものでしたが、それにしても稀に見る、通常では起こりえないようなカンタータでした。

 このような実に念の入ったバッハの意図は、‘Exaudi 聞きたまえ’というこの日曜日の名称ゆえかも知れません。こういう音は実際に聴いてみないことには、とも思いますが、こんな奇天烈なアイディアで平然と曲を書くバッハという人の一面をお知らせしたかったのです。

 さてこの日は、当時このカンタータ183番の3日前の昇天祭に初演された128番<ただキリストの昇天にのみ>も演奏しました。キリストの昇天という出来事が、われわれ人間の「真」なるものへの希求、その方向へ向かうぞ、という決心と行動を促す、という主旨で進行します。この決心を歌う第3曲のバス・アリアにはトランペットのオブリガートが出てきます。中村孝志さんが指穴なしの真っ直ぐなトランペットを右手のみで支え左手は腰に。私も合唱メンバーとしてステージに立っていましたが、目と耳は中村さんに釘付けです。指穴なしのラッパは聴けば聴くほど澄んだ音色で音程感が自然です。中村さん見事に成功! こんなこと、こんな音はそう簡単に身の回りで起こることではありません。良かった〜〜〜。

 次の曲は、羽鳥さんのアルトと星野さんのテノールの二重唱に大木務さん奏でるオーボエ・ダモーレのオブリガートが寄り添い‘神の意図は人間には分からない’と歌います。ダモーレの音域がメゾ・ソプラノ、そこにアルトとテノール、通奏低音と、音域が中・低音域に密集し、温度が上り、人の心の中にある謙遜な気持ちを大切に伝える、という感じが良く伝わって来ました。バッハのカンタータシリーズも丸5年を経過、みんなの演奏が徐々にではありますが、すっきりしてきたように思います。

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■ 2009/06/06 今夜のカンタータ

 本日午後6時より、上荻の本郷教会(03-3399-2730)で演奏されるバッハ・カンタータ第174番、冒頭のシンフォニアはかのブランデンブルク協奏曲第3番第1楽章の編成拡大版です。聖霊降臨祭用の曲で、人々が天から降ってきた「炎のような舌」に驚き大騒ぎになった様子が活写されています。

 メンデルスゾーンの<コラール>( ‘テ・デウム’ のドイツ語版)も歌います。これは壮麗極まりない音楽! ご来会をお待ちしています。


■ 2009/06/13 シュテルムタール教会献堂式とオルガン奉献のためのカンタータ

 あれよあれよという間にSDGです。先週のレポートは musica21p2.exblog.jp で Claudia さんがまことに親身な報告をして下さっていますので、どうぞそちらをご覧下さい。

 今夕は、シュテルムタールというライプツィヒ近郊の小さな村にある教会のオルガン奉献のためのカンタータ194番<こよなく待ちこがれし喜びの祝い>を演奏します。バッハがこのオルガンの検定をしたことで知られており、現在も当時の音を聴くことが出来ます。今回のオルガニストは武久源造さんですが、まだ東西ドイツが統合される前に、クルト・マズーア氏のご尽力で、武久さんと私はこのシュテルムタールのオルガンを見に行くことが出来たのです。マズーア氏自ら車を運転され、何度も地図を見直したり、人に尋ねたりしながら、やっとこの小さな村に辿り着きました。ドイツの歴史的オルガンは人里離れた周辺の小村に点在しているのですが、ここも例外ではありません。ほんとうに鶏が走り回っているような野っ原にこの教会、そしてオルガンがあったのです。こじんまりとしたオルガンながらその音の美しさはこの世のものとも思われませんでした。マズーア氏は「まず全ストップを引き出し、楽器の肺の強さを知りなさい」と言われましたが、そのプレーノ(全音栓)の音は澄み切った強さで、次に各ストップを一つずつ試してみるとまことに麗しいチャーミングな音を次々と聴くことが出来ました。それは鈴のような、鐘のような玲瓏たる響きでした。

 たまたまの巡り合わせでこのカンタータ194番のオルガン・パートは武久さんが奏くこととなりました。不思議な因縁を感じます。曲は非常に牧歌的で舞曲風の歌も多く、原曲は散逸してしまった世俗カンタータと言われています。お時間、ご都合が合うようでしたら是非お出かけ下さい。6/13/09 土曜日午後6:00 本郷教会礼拝堂[杉並区上荻4-24-5 T.03-3399-2730]


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