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ムシカWeb通信


■ 2011/01/01 大晦日そして元旦

 どの日も24時間だ、とはいっても大晦日の24時間は恐るべき力を発揮する。「整理整頓」「捨てなければ!」なる思いと格闘の毎日、迷いに迷った数十年、そして大晦日、捨てた! 何を? それはとても言えません。

 元旦! これから三日間、昨日までに出来なかったことをゆっくりやろう。なんか得をした気分、元旦の福。

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コメント(2) [コメントを投稿する]

_ 松浦のぶこ [けんか腰で捨てないとモノは捨てられません。淡野さんが捨てられたのは何だったのでしょう。お嫁入りのときの鍋釜一式? 私..]

_ Yumiko Tanno [松浦のぶ子さま お返事がこんなに遅くなってしまい、申し訳ございません。それにしてものぶ子さまの受け取られたラヴレター..]


■ 2011/01/02 元旦早々

 記事の送信を間違えて、元旦の独り言が1/2の日付に。直したいと思って、方法を考えているうちに、1/2になってしまった。まあいいか、と思うも、どうも気になって素人療法を試みる。なんとか1日の日記という体裁になったようだ。折角今日になったのだから2日の思いを、とはいってもまだ1、2分しかたっていない。というわけで、ここ2、3日心に思うことを少し・・・。

 昨年2月25日に母が亡くなり、なんといっても強い影響を受けた人なので、毎日のように思い出していた。母は非常に頭がよく、言葉のセンスが抜群であった。本当のことしか言わなかったので、常にその表現は的を得ていた。

 しかし本当のことを言われて喜ぶ人は少ない。母も周りから叩かれ叩かれしているうちに、口をへの字に結んでプイと横を向く、という人に変った。今でも小学校の同窓会に行くと「君のお母さん、怖かったねえ」と言われる。

 母は文筆の才能があったにも拘らず、18歳で結婚し、19歳で私を産み、その後第2次世界大戦で言語に絶する食糧難に見舞われ、着物はすべて米に変り、盗難にも遭い、生きて行くのがやっとという毎日であった。「読みたい」「書きたい」との思いから紙の無い時代に随分沢山の本に囲まれ、マス目の埋まった原稿用紙が幾束もあった。娘には好きなことをさせてやりたい、という思いと、なんで弓子には許され、私には許されないのか、という思いが母の胸の内では常に混ざり合っていた。私はよく怒鳴られた。

 このように、母娘関係は幸せとは言えぬまま終ってしまった。昨年の<レクイエムの集い>では、追悼者の名簿に父と母の名前を登録し、歌った。本当に母に「有り難う」と言う気持ちになったのはこの後だった。


■ 2011/01/25 「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから・・」パウロ(ローマ12;6)

 皆様、あっという間に1月も終ろうとしています。勿論合唱の練習も始まり、1/22(土)には Soli Deo Gloria も開催されました。教会暦に沿った音楽作品はバッハのカンタータばかりではありませんが、なんといっても J.S.バッハがライプツィヒの聖トーマス教会ほかのために書いた教会カンタータは、勿論サッカーほどではなく、佑ちゃんにも全く敵わないとはいえ、21世紀の日本人を熱狂させる力に溢れています。

 当時のバッハはさまざまな批判にさらされ、時代の寵児はハンブルクのテレマンでした。そして国際派のヘンデルもバッハと同い年ながら、バッハが逆立ちしても追いつかない活躍ぶり。バッハが嫌われた理由は、当世風でなく、時代を遡った旧いスタイルを用い、且つ時代を先取りし過ぎたことにあります。

 土曜日に演奏するために、6日前の日曜日の午後練習をします。 この練習で、バッハおじさんの最初の音が鳴り出す瞬間の興奮に代わるものを見つけるのはちょいと難しいのではないかしら。シュッツ先生の音は背筋をピンとさせますが、おじさんの音は一瞬にして身体がほぐれ、寝返りにも似た心地よさ。しかしこれも、指揮をせず、ただ声を出していれば良い、という身分に許された気分かも。

 易しくはないのです。ひねくれた音型が何度も何度も出てきます。恐らくバッハは、陰湿な喜びに身をよじらせ、よだれを垂らし乍ら書いたに違いない。

 本番迄の日々は一人ひとりが家で格闘し、再会は本番の3時間前。ゲネプロではそれぞれの変化と6日間の実りを再構成し、心配の種もあちこちに蒔かれはするものの、喜びも新たに開会です。

 シュッツのモテット《涙とともに種蒔くものは喜びとともに刈り取らん》と《神はその独り子を賜うほどにこの世を愛された》をア・カペラで歌い、いよいよバッハのカンタータ第3番《ああ神よ、いかに多き胸の悩み》です。この日の聖書は「おのおのに与えられた賜物を尊重し互いに愛し合うように」というパウロの言葉と、イエスがカナの婚礼で水をぶどう酒に変えられたという奇跡物語でした。

 予想外のことというものは、どんなに注意を払っていても起こるもの。バッハのカンタータ第3番の冒頭はオルガンの A音と3声の弦楽によって慎ましやかな A-Dur の和音が鳴ると、それに促されるようにオーボエ・ダモーレの旋律が甘く麗しく流れ出すのです。が、響き渡ったのは堂々たるフォルテのイ長調! オルガニストの山口真理子さんも飛び上がったのでは?  なんとそこには「手ふいご」を漕ぎにきた武久源造の姿。いつの間に現れたのでしょう?

 そう、この「手ふいご」のゲネプロをしていなかったんだ・・・。「ふいご手」は風を司る仕事、極端なことを言ってしまえば、「ふいご手」によって音楽はいかようにも変ります。武久さんがふいご手に回ったときは明らかに「武久音楽」になるのです。

 実に「それぞれの賜物」に応じて力を出し切った Soli Deo Gloria でありました。


■ 2011/01/31 寒い!!!

 ミネアポリスから寒中お見舞いを申し上げます。日本時間1/29(土)の明け方にこちらに着きました。

 桃子の夫のキースは「アイス・ハウス」なるものを修理しに湖畔へ。その家は普通のプレハブで、外観は簡単な物置きといった感じですが、部屋の中には暖房があり、椅子ほかの家具が整っていて床には穴が。

 この家を大きな橇のようなものに乗せ、車で引っ張って滑らせながら氷の湖の上へ。氷上を5〜7マイル(1マイルはおよそ1.6Km)走るそうです。そして、部屋に空いた穴に合わせて湖面の氷をくりぬき、フィッシングを楽しむとのこと。たしかに氷の上は寒いわね。しかし暖房付きの家の中で“釣り”とは恐れ入りました。そのまま沈まないことを祈るばかりです。

 孫たちは半年の間の成長著しく、特に輝がよたよたと自分で歩くようになったので、非常に楽になりました。10Kgもの子供を抱いて二階へ昇るのはすでに限界でしたから。茜は日本語も英語もペラペラよく喋り、面白い会話が成立するので飽きません。ではまた。


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