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ムシカWeb通信


■ 2011/01/02 元旦早々

 記事の送信を間違えて、元旦の独り言が1/2の日付に。直したいと思って、方法を考えているうちに、1/2になってしまった。まあいいか、と思うも、どうも気になって素人療法を試みる。なんとか1日の日記という体裁になったようだ。折角今日になったのだから2日の思いを、とはいってもまだ1、2分しかたっていない。というわけで、ここ2、3日心に思うことを少し・・・。

 昨年2月25日に母が亡くなり、なんといっても強い影響を受けた人なので、毎日のように思い出していた。母は非常に頭がよく、言葉のセンスが抜群であった。本当のことしか言わなかったので、常にその表現は的を得ていた。

 しかし本当のことを言われて喜ぶ人は少ない。母も周りから叩かれ叩かれしているうちに、口をへの字に結んでプイと横を向く、という人に変った。今でも小学校の同窓会に行くと「君のお母さん、怖かったねえ」と言われる。

 母は文筆の才能があったにも拘らず、18歳で結婚し、19歳で私を産み、その後第2次世界大戦で言語に絶する食糧難に見舞われ、着物はすべて米に変り、盗難にも遭い、生きて行くのがやっとという毎日であった。「読みたい」「書きたい」との思いから紙の無い時代に随分沢山の本に囲まれ、マス目の埋まった原稿用紙が幾束もあった。娘には好きなことをさせてやりたい、という思いと、なんで弓子には許され、私には許されないのか、という思いが母の胸の内では常に混ざり合っていた。私はよく怒鳴られた。

 このように、母娘関係は幸せとは言えぬまま終ってしまった。昨年の<レクイエムの集い>では、追悼者の名簿に父と母の名前を登録し、歌った。本当に母に「有り難う」と言う気持ちになったのはこの後だった。


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