皆様、あっという間に1月も終ろうとしています。勿論合唱の練習も始まり、1/22(土)には Soli Deo Gloria も開催されました。教会暦に沿った音楽作品はバッハのカンタータばかりではありませんが、なんといっても J.S.バッハがライプツィヒの聖トーマス教会ほかのために書いた教会カンタータは、勿論サッカーほどではなく、佑ちゃんにも全く敵わないとはいえ、21世紀の日本人を熱狂させる力に溢れています。
当時のバッハはさまざまな批判にさらされ、時代の寵児はハンブルクのテレマンでした。そして国際派のヘンデルもバッハと同い年ながら、バッハが逆立ちしても追いつかない活躍ぶり。バッハが嫌われた理由は、当世風でなく、時代を遡った旧いスタイルを用い、且つ時代を先取りし過ぎたことにあります。
土曜日に演奏するために、6日前の日曜日の午後練習をします。 この練習で、バッハおじさんの最初の音が鳴り出す瞬間の興奮に代わるものを見つけるのはちょいと難しいのではないかしら。シュッツ先生の音は背筋をピンとさせますが、おじさんの音は一瞬にして身体がほぐれ、寝返りにも似た心地よさ。しかしこれも、指揮をせず、ただ声を出していれば良い、という身分に許された気分かも。
易しくはないのです。ひねくれた音型が何度も何度も出てきます。恐らくバッハは、陰湿な喜びに身をよじらせ、よだれを垂らし乍ら書いたに違いない。
本番迄の日々は一人ひとりが家で格闘し、再会は本番の3時間前。ゲネプロではそれぞれの変化と6日間の実りを再構成し、心配の種もあちこちに蒔かれはするものの、喜びも新たに開会です。
シュッツのモテット《涙とともに種蒔くものは喜びとともに刈り取らん》と《神はその独り子を賜うほどにこの世を愛された》をア・カペラで歌い、いよいよバッハのカンタータ第3番《ああ神よ、いかに多き胸の悩み》です。この日の聖書は「おのおのに与えられた賜物を尊重し互いに愛し合うように」というパウロの言葉と、イエスがカナの婚礼で水をぶどう酒に変えられたという奇跡物語でした。
予想外のことというものは、どんなに注意を払っていても起こるもの。バッハのカンタータ第3番の冒頭はオルガンの A音と3声の弦楽によって慎ましやかな A-Dur の和音が鳴ると、それに促されるようにオーボエ・ダモーレの旋律が甘く麗しく流れ出すのです。が、響き渡ったのは堂々たるフォルテのイ長調! オルガニストの山口真理子さんも飛び上がったのでは? なんとそこには「手ふいご」を漕ぎにきた武久源造の姿。いつの間に現れたのでしょう?
そう、この「手ふいご」のゲネプロをしていなかったんだ・・・。「ふいご手」は風を司る仕事、極端なことを言ってしまえば、「ふいご手」によって音楽はいかようにも変ります。武久さんがふいご手に回ったときは明らかに「武久音楽」になるのです。
実に「それぞれの賜物」に応じて力を出し切った Soli Deo Gloria でありました。