■ 2016/06/07 ある批評 FBより
遂に出ました。こういう批評!
「ロシアの鬼才アレクセイ・リュビーモフのリサイタルは、プログラムからして異様だった。前半がC・P・E・バッハ、ペルトとシルヴェストロフという旧ソ連の前衛、そしてドビュッシー3曲。後半がモーツアルトのソナタとシューベルトの即興曲3曲のみ。〜中略〜リュビーモフの音楽のキーワードは「倍音」である。ある曲が奏でられると、その倍音が織りなす「もう一つの曲」が背後でかすかに響いているのだとする。〜中略〜こうした層をリュビーモフは錬金術師のようなタッチで浮き上がらせる。〜後略〜(岡田暁生・音楽学者)2016/6/6朝日夕刊
半生を「倍音、倍音」と言って過ごし、近年はペルトの言う「音は一つあれば良い」に我が意を得た私にとって、こういうピアニストがいて、こういう批評が公になったこと、ただただ嬉しい。ひどく気分が良いので、ひとつだけ私の仕事の一端をお伝えします。合唱指揮者は・・・皆が皆そうであるとはかぎりませんが・・・練習中、歌い手の出す実際のピッチ、ハーモニーを聴いて云々するのではなく、各パートの出す「倍音」が組合わさって鳴る譜面には書かれていない音楽を聴き、それが真っ当な響きであれば先へ進みます。合唱団がこのレヴェルで練習が出来るようになるには実に何年も掛かりますが、根気よく続けるしかありません。現在私はドイツ語福音教会で、カントライの面々とこのような練習を繰り返し3年半になりますが、やっとこの頃、希望が見えて、いや聴こえてきました。・・・カントライについては稿を改めて、ということで、今夜はこれで。
■ 2016/06/09 ファツィオーリ FBより
しかし、ピアノでリュビーモフのような演奏が何故可能なのか? 考えていました。岡田氏の批評の最後に「・・・この公演ではすべて手作りされることで近年話題の名器、ファツィオーリが用いられた・・・」とあったのを読んで、アッ、たしか『パリ左岸のピアノ工房』(T.E.カーハート 村松潔 訳 新潮クレスト・ブックス)にこのピアノのことが・・・ありました!
・・・彼はドビュッシーの『月の光』を弾きだしたが、高音域で演奏されたテーマはたんに柔らかいだけでなく、不思議なほど澄んだ音色で、さまざまな倍音を含んでいた。これはいままで聞いたことのない音だ、とわたしは思った。このピアノの柔らかい音は、ふつうの抑えられた音とはまったく音質が違っていた。(283ページ)
・・・わたしがファツィオーリに、倍音を聞き分けることができるのかと訊くと、彼は長年の経験からほかの人たちには聞こえない音を聞き分けられるようになったと答えた。彼の仕事の大きな部分がそのバランスを適切なものにすることに関わっているという。ほかの人々には必ずしもわからない差異になぜこだわるのだろう、とわたしは思った。「それはそうするのが正しいことだからです」と彼は言った。(284ペ−ジ)
■ 2016/06/19 熊谷守一 FBより
このところバリトンの N君と「ヘルムホルツ→セディエ→エムゲ→ヒュッシュ→マンヨン→われわれ」に伝わった振動数と倍音に基づく発声法で勉強を続けているのですが、その時、日本の作曲家でこのような理論で曲を書いた人は?ということで「信時潔」の名が挙がりました。
そしてついこの間、敬愛する俳優、坂本長利さんが「熊谷守一」の絵と生き方にひどく魅かれると仰ったので「実は私も・・」と意気投合。そこで『へたも絵のうち』熊谷守一(平凡社ライブラリー)を取り寄せ早速読み始めましたら、ナ、ナ、ナント、以下のような1節が!
「ドイツのヘルムホルツという学者がこの道の権威で本を書いているのですが、それを信時潔に貸してもらって読んだら、なかなか複雑でむずかしい。〜中略〜 二つ以上の音を同時に出すと、その波がいろいろ入り組んでくる。その入り組み方によって、きれいな音やきたない音ができる———まあそういう話なのです。」(132ページ)
熊谷守一と信時潔が友達であったことにも驚きましたが、そこにヘルムホルツが出てくるとは! どこでどうなっているのか・・・現在の生死には関わりなく、人は出会うべき人には必ず出会うのだ、と思わずにはいられません。