■ 2014/10/01 ARVO PÄRT FBより
今、ちょっと緊張していること:Arvo Pärt氏が高松宮殿下記念世界文化賞を受賞され、10月半ばに授賞式&晩餐会に出席の為、来日されます。
ペルト氏は過去2回(1990/1991) 日本を訪問、一回目は彼の《ヨハネ受難曲》日本初演に臨席、二回目は彼の自選プログラムコンサートを見届けるためでした。私はシュッツ合唱団他の方々と共にこの二つのコンサートで演奏したのでしたが、今回の事務局の方から「ペルトさんから授賞式・祝宴に淡野弓子さんを招待して欲しいとの要望が来ましたので」とのメールが届き、その後招待状が! また、これに係わるドキュメントを制作したいというTV番組の制作者からの打診もあり、目下その資料提供やペルト氏にまつわる様々な質問事項に正確に答えるべく、毎日かなりミクロな生活を強いられています。決して嫌ではないのですが、彼のスコアを読み直すと、これまた新しいことが次々に分かり、20数年前とはいえ、良くも平気で彼の作品を演奏したものだ、と冷汗千斗。ま、兎にも角にもペルト氏との再会は言葉に尽くせぬ喜びです。これを書いたらやっと少し落ち着きました。
■ 2014/10/07 バッハ・カンタータ第95番 FBより
一昨日:クロイツ教会の礼拝後新しい讃美歌集を歌おうという
この日の夜に予定されていた会合が台風のため流れたので、急遽SDGに参加しようと本郷教会へ。「歌う」か「聴く」が迷いましたが「歌う」側に。これ大正解。皆様、バッハ・カンタータ95番をご存知ですか? 私は初めて歌ったのですが、なんと、なんと一大傑作でした! 「死」を扱っているのですが、とてつもなく明るく、「死」を欲し、「死」を喜び、「死」を待ち望む歌でした。「死」は肉体の死のみを意味しません。この世の常識、しきたり、皆が言っている、などなど、人間界のゴチャゴチャを一度葬り去って、真新しい己の「心」「精神」「霊魂」を取り戻す、ということを「死」の一語に託し、その意味するところをバッハは手を替え品を替えて我々に示し、説得に務めます。依田さんの高い、高いテノールと弦楽のピチカートからなる「弔鐘」の歌、わたしは全身が溶けて無くなるのではないかと・・・。このカンタータに出会えたこと・・・台風なくしてあり得なかった千載一遇のチャンスでした。感謝!!!
■ 2014/10/11 ローズマリー:インゲ・ムラタ
今朝の「マッサン」に、エリーのお母さんローズマリーが一人寝床に横たわって顔だけで悲しみを表現するカットがあった。幾つもの世代が積み重なったような深い表情だった。インゲ・ムラタこと村田インゲボルクさんご自身の悲しみをそのまま告げられたような気持ちでしんみりしてしまった。インゲさんは元シュッツ合唱団のアルトとして、音楽的にも、文学的にも、また皆のドイツ語発音の指導者としても大変な貢献をして下さった方。日本に嫁がれ村田夫人としてどれほどの苦労をされたのだろう。ある日インゲさんがふと漏らされた「あるドイツ女性が『この日本で私が死んだら一体誰がレクイエムを歌ってくれるのでしょう』と言っていました。」との言葉に私はハッとして<レクイエムの集い>というコンサートを思いつき、毎年死者の月11月に開催するようになった。今年のお知らせはTopPageにて。
■ 2014/10/17 アルヴォ・ペルト
昨夕、高松宮記念世界文化賞授賞式の会場、明治記念会館に入ると、共同TVの人が私を取り囲み、なにやら興奮しているのです。ペルト氏が近付いて来ました。微笑み合った途端、抱擁、頬ずりで言葉が出ません。辛うじて私が「Welche Freude!」というと「Alles kommt von Ihnen.すべてはあなたから来たのです。」とペルト氏。
それからさまざまなメディアの人が、「昨日の記者会見でペルト氏はあなたの事を『1990年に淡野弓子が初演してくれたので、私の曲が日本に知られるようになった。そしてこの賞に導かれた。彼女がヒーローなんだ。』と言っていましたよ。」と言うではありませんか。そんなわけでカメラやマイクを持った人たちはどんな女性が現れるのか興味深々だったようです。
晩餐の席で翌16日にエストニアの合唱団のコンサートに招待され、予定をやりくりして音羽の同仁教会に行きました。ペルト氏の曲も何曲か演奏され、なかでも「Vater unser 主の祈り」の美しかったこと! テノールとピアノで演奏され、簡単な旋律、素朴な和音ながら、響きはまさにペルトのもので、この1曲を聴けただけでも未来に繋がる希望を与えられたと思いました。そして、ソプラノで歌っても良いか訊いてみよう、と思ったのでした。
終演後、挨拶に行くとペルト氏は、たった今贈られたばかりの花束をいきなり私に。「この花束はあなたのもの。あなたは私の曲を初めて日本で演奏してくれました。」と言われ、さらにさっき演奏された《Vater unser》のCDも下さったのです。
帰途、なんともいえない感謝の気持ちと純粋な深い愛を心に感じ、家に帰ってCDを良く見ると、その曲は2011年6月に作曲され、当時の法王ベネディクト16世に捧げられたもので、少年ソプラノとピアノのために、と書かれていました。少年が歌い、ピアノはペルト氏でした。彼の演奏は初めて聴いたのですが、実に力強く、豊な響きで驚きました。彼こそは、今のこの世界に必要不可欠なものを与える事の出来る、真の芸術家の一人であると思います。
■ 2014/10/18 世界文化賞受賞者の紹介番組
ペルト氏との再会をこんなに多くの方々に共に喜んで戴け、嬉しさがさらに広がり深まっています。
皆様、ありがとうございます!
受賞された5人の芸術家は・絵画:マルシャル・レイス(フランス)、彫刻:ジュゼッペ・ペノーネ(イタリア)、建築:スティーヴン・ホール(アメリカ)、音楽:アルヴォ・ペルト(エストニア)、演劇・映像:アソル・フガード(南アフリカ)で、この方々を紹介する番組が10/22(水)深夜24:30〜25:05フジテレビ系列で放送される予定です。お知らせ迄に。
■ 2014/10/21 ペルトの音楽 FBより
ペルトの番組を作っているTさんから今日も質問事項が送られてきた。ペルトの音楽についてもう何度メールを交わしたか分からない。「一般の人がすぐに分かるように説明して欲しい」との要望。ペルトはバッハと同じく『神の存在』を音楽で表したかったのだ、ということに尽きるのだが、これを簡単に分かり易く言うとなると・・・。唯一の神を表すには「根音」と「倍音」が絶対不可欠。八百万の神の場合は12音か無調になるのかしらん。そういえば柴田南雄の《宇宙について》第2章は「日本書紀」の言葉が12音で書かれていました。