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ムシカWeb通信


■ 2016/01/03 2016年を迎えて

 1/1と1/2、二日続けてショスタコーヴィチの交響曲第14番《死者の歌》(INBAL/WIENER SYMPHONIKER COCO78821)を聴きました。西澤誠治さんご推薦の曲です。

 私はこの曲を今回初めて聴きすっかり魅せられてしまいました。交響曲というジャンルですが、幾つもの死にまつわる詩が集められ全部で11曲、バスとソプラノのソロと2重唱で進行します。11曲とはいえ演奏はアタッカで進み、1篇の壮大な死の考察、いや死に対するプロテストを詠った一大叙事詩のように聴こえます。採り上げられた詩人はガルシア・デ・ロルカ、ギョーム・アポリネール、ヴィルヘルム・キュヘリベーケル、ライナー・マリア・リルケでいずれも早世(ロルカ、アポリネールが38歳、キュヘリベーケル46歳、リルケ51歳)です。オーケストラは弦楽と打楽器のみで、12音と無調で書かれていますが、精緻に組み立てられており人間の心を引き込む力があります。特にチェロとコントラバスは雄弁です。

 伝統的な「レクイエム」ではキリスト教の教義から来る「死後は天国で神とともに」といった平和な慰めで終りますが、理不尽な死が横行する現在、死に対する抗議が非常に繊細な感覚とともに語られるのを耳にし、なんとかこの難曲を実際の音にしてみたいという気持ちがムラムラと湧いてきました。


■ 2016/01/13 ライプツィヒへ FBより

 急遽1/14聖トーマス教会で行われるマエストロクルト・マズーアの葬儀に出席という展開になり、ライプツィヒへ行くこととなりました。明日の朝発ちます。喪服の準備をしました。上から下まで自分の持っているもののなかで最も良いと思われるものを選びました。こんなに真剣に衣服を選んだのは初めてのこと。揃えているうちに込み上げるものが・・・一体何故? 同業と言ってはおこがましいですが、クルト氏が指揮者であったことこらくる同病ならぬ同業相憐れむ感情が込み上げて来るのです。クルト氏の心の光と影が突如眼の前で踊り出したのです。どんなに嬉しかっただろう、どんなに悲しかっただろう・・・噫! 日曜日には帰国という短い旅なので、小さなスーツケースに全てが納まりました。では行って参ります。


■ 2016/01/17 マエストロ クルト・マズーア葬儀礼拝 FBより

 心に深く残る葬儀礼拝でした。通常の3倍はあるかというほどの音楽! 選ばれた曲はどれも「そこにあるべくしてある」というもので、どの音楽もその場、その時を生きていました。讃美歌はトマーナー・コーアの少年たちと会衆一同が交互に歌うというスタイルでこれは滅多にない体験でした。

 礼拝のあと、教会から墓地へ行きました。以前シュッツの『音楽による葬送』について調べていると、この墓地に移動する間は金管合奏と共に進む、とありました。今回の移動はバスでしたので、その間の音楽はありませんでしたが、なんと墓地に着くとそこにはゲヴァントハウス・オーケストラの金管群が勢揃いでバッハの《イエス、わが喜び》を演奏していました。そして会葬者はこの金管合奏とともにこのコラールを歌ったのです。

 そののちホテルでレセプションがあり、クルト氏の遺影に見守られ乍ら食事を戴きました。MDR放送の収録による礼拝の模様は以下のサイトでお聴きになれます。

http://www.mdr.de/sachsen/kurt-masur-trauerfeier100.html


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