■ 2008/10/02 指揮者交代
すっかりご無沙汰してしまいました。9/19金 東京カテドラルで行われた<ダヴィデの詩編曲集1619>の準備に膨大な時間を要し、本番が3時間半もかかり、その後脳も身体もかなりの疲労に襲われボーッとしていたらしく、気が付けばコンサートが終わってもう10数日もたっています。このコンサートで私、淡野弓子は40年握りしめていたバトンを・・・とはいっても、私は指揮棒を持たない指揮者ですが・・・淡野太郎に渡すことが出来ました。シュッツ合唱団の創立40周年と自分の年齢70歳が重なり、良い潮時でした。
40年の「四十」という数字には「忍耐」「試練」という意味があるとのことです。聖書では40日間続いたノアの洪水、荒れ野で40年を過ごしたイスラエルの子孫たち、イエスも40日間荒れ野で試練を受けたことなどを伝えています。私も25年を過ぎたころから40年は続けないと分からないのだろう、と思うようになってきました。
40年を支えたもの、それは第一にシュッツの音楽です。発声、発音、アーティキュレイションはもとより音楽の運び方、内容の伝え方、音楽の内包する熱のようなもの、そう、エネルギーの使い方などなど、その多くを私たちはシュッツから学んだのです。
第二に合唱団員の誠実と勤勉です。毎週二回、三回、時に四回にも及ぶ練習に出席し続け、休む間もなく廻ってくるコンサートで歌い続けてくれたメンバー各位。昨夜10/1 は練習のあと、一人ひとりコンサートの感想や反省を述べ合ったのですが、「本番」の与える刺激とパワーが皆をさらに大きく成長させたように感じました。
コンサートが終わると多くの方々が「おめでとう」と言って下さいました。これまでにもいろいろな機会に「おめでとう」という言葉を戴きましたが、この日の「おめでとう」は、これまでの時とこれからの時の両方に広がる、そして私をすっぽりと包む大きな暖かい愛そのものでした。
「淋しいくはないか?」というお気遣いも戴きましたが、大丈夫です。ほっとした、というのが正直な感想です。緊張がほどけたせいか、最近は以前よりずっと楽な気持ちで歌えるのです(と同時に自分の声がこれまで理想としてきたトーンとはかなり異なる代物であることにも驚いているのですが)。
さて、きりがありません。今夜はひとまずここで終わりと致します。
次回はコンサート後に戴いた皆様のご感想などお届け致します。
■ 2008/10/17 メンデルスゾーン基金・日本支部 設立式
またまたご無沙汰です。どうも指揮者を半引退してから外に顔を出すことが事が増え、しかもその一つひとつが大変に刺激的で、なにからお伝えしたらよいか、と考えておりました。また、先日の記事の最後に、戴いたコンサートの感想をお伝えする、と書きましたが、あと一息整理が必要ですので、今夜は最も近い過去から書き出し、段々に遡ることと致します。
10/14 (火)午後6時 もともとはライプツィヒに本部があり、指揮者クルト・マズーアが総本部長である<メンデルスゾーン基金>というオーガニゼイションが、今その活動を世界に広げようと、このたび日本支部の設立が計画され、その式典がドイツ大使館公邸で行われました。
オープニングにメンデルスゾーンの合唱曲の演奏を頼まれていました。選曲は任されたものの、4名、ア・カペラ、7〜8分、という条件です。だれもが知っている曲を歌うのも一案ですが、この団体の目標とするところは「知られざるメンデルスゾーン」を紹介する、というものも入っています。そう、そこで、これぞ、という曲の登場です。それは、Vespergesang<Adspice Pater>op.121 男声合唱にチェロ という晩祷歌で、私たちはこれまでに何度か演奏しましたが、その度に「こんな曲は初めて聴く。素晴らしい音楽!」という反応。これはいつでもそうなのでこの曲にしました。
この日のお昼に日本支部長のマズーア・偕子さんから「今日の式にライプツィヒの市長が来ます。彼は少年時代ドレスデンのクロイツ教会少年聖歌隊員(クルツィアーナといって、少年合唱界では超エリート)だったとのことで、一緒に歌いたいらしいのだけど、どうかしら?」という電話。クルツィアーナの実力はよく知っているので、「事前の練習に来てくださるなら」と答えました。トモコには今日の楽譜を1部渡してあったのですが、彼はその譜面を握り締め、息せきって練習にきました。「声部はどこを?」と尋ねる私に「第2バスです。」と力強い声。願ってもありません。
シュッツ合唱団の4名、依田卓、淡野太郎、石塚正、春宮哲に市長のミュラー氏が加わった5名の男声合唱、そこに大軒由敬さんのチェロという編成で歌ったメンデルスゾーンの<晩祷歌>は、やはりほとんどの方が初めて聴く曲、と仰り非常に喜ばれました。市長の声は素晴らしく、初見で、しかもたった2回の合わせで、シュッツの男声陣の声とピタッと合ったのには驚きました。式の最後には芸大の学生によるピアノ・トリオが演奏され、これがまた非常に未来を感じさせる良い演奏でした。
市長は愛想の良い人で、式のあとのビュッフェでいろいろな話が弾みました。少年時代に習った指揮者はルドルフ・マウエルスベルガーとマルチン・フレーミヒだったとのこと、R.マウエルスベルガーはア・カペラの<ルカ受難曲>の作曲者です。私たちも彼の作品が大好きで何度も歌いましたし、以前来日されたフレーミヒ氏からは放送局の主催した公開講座で合唱団ごと教えを受けたことがあるのです。
シュッツの話になり彼は「バッハはともかく、シュッツはなんといっても‘言葉’ですね。」と言うのです。さらに「シュッツのムジカリッシェ・エクセクヴィエンではポザウネ(トロンボーン)が一緒で、それを吹いた人は‘アロイス・バンブーラ’という人でした。」私は驚いて「エエッ、バンブーラ先生は良く知っています。先生が帰国なさる時、シュッツ合唱団にバロック・トロンボーンのアルトとテノールを下さったのです。」と言うと今度はミュラーさんが驚く番でした。バンブーラ先生はわれらがスタッフ・プレーヤー萩谷克己さんの先生でもあります。先生は昔、中央会館でヘンデルの<エジプトのイスラエル人>をやった時、トロンボーンを吹いてくださいました。
これまでにやって来た事がこうやって繋がって行くと、やはり毎日のひとつひとつの出来事がとても大切なのだ、ということに気付かされます。またそれぞれの意味も、あとになって明白になるのですね。びっくりします。
名誉理事長を務められる97歳の日野原重明先生も出席され、いろいろ面白いお話をして下さいました。
曰く「空港の動く歩道は使わない。普通の通路を早足で歩き、動く歩道の人を追い越すのが快感。先着した時の達成感が大切。目標と達成感です。」
曰く「人間集中していたら空腹を感じないものですよ。」
曰く「この先十年の予定を立てています。」
曰く「講演は年間160回」ミュラー市長も目を丸くしていました。
■ 2008/10/18 ピリオド楽器引き渡しの儀
メンデルスゾーン基金・日本支部の設立式の三日前10/11土曜日の夜、上荻の本郷教会で<ピリオド楽器引き渡しの儀>という耳にしただけでは意味不明の集まりがありました。説明を要すると思いますので以下を。
話は '70年代に遡るのですが、当時はモダン・ヴァイオリンでシュッツを弾いてもらっていたのです。シュッツの譜面は現代の白い音符、即ち全音符や2分音符の出て来る頻度が高く、しかもそれが同音反復など、シンプル極まりない姿で登場するので、練習を見に来た瀬戸瑶子さんなどは「こんな白い音符ばかり弾いてくれる人たちは他にはいないわ。大事にしてね」と。
シュッツの声楽曲の持つ、天然の「律」との一致によってのみ得られる無限倍音の世界は、私たちに「人間の声」とはどういうものか、ということを教えました。勿論多くの名人、巨匠、先達の教えなくしては分からない事のみであった「発声」ですが、シュッツ作品から学んだことが、現在の私たちの血肉となったことは、声を大にして申し上げたいことです。
バッハはピリオド楽器を用いることによって目の覚めるような透明な世界が開けますが、モダン楽器を用いると、骨太の堂々たる、躊躇い無く「偉容」と表現したい建造物が出現します。楽器の選択をどちらかに決めてしまうのは、誠に勿体ないのです。が、シュッツはいささか異なります。人間が考え出した技術や人のイマジネーションから生まれた「美」ではなく、天の知らせる秩序といったものが基本であるのです。そのため、シュッツが触っていた楽器と同じコンセプトで作られたピリオド楽器というものを知り、用いてみたくなるのです。
さて、ここで、話は今年の3月に飛びます。酒好き、話好きの面々が例によって一軒の焼き鳥屋に。思ったこと、感じたことをすぐ口にしなければならない指揮者という職業人にアルコールが加わると先は地獄か天国です。私は叫びました。「谷口さん、どんどんバロック・ヴァイオリンを作って!」
奏者に楽器を買ってもらう、というのはある意味で当たり前かも知れませんが、やはり経済の裏付けのある人あるいは団体が楽器を所有し、その楽器を貸し出して弾いてもらう方がさまざまなレヴェルでのメリットがあります。楽器があれば弾く人は自ずと見つかるだろう。
と、声楽家の羽鳥典子さんが、「あら、素敵な話だわ、私、一挺作ってもらおうかな」というと同じくメゾ・ソプラノの永島陽子さんも「私も」と言ったのです。
谷口勤さんはヴァイオリン制作家で且つユビキタスのヴィオラ奏者という方です。彼は早速仕事に取りかかりました。そしてチョッとした勘違いから、三挺の制作を同時進行させたのです。残る一挺をどうしよう、と、チェロの大軒由敬さんに相談すると「私が戴きましょう。」
ここに三挺のバロック・ヴァイオリンが完成し、それを手にするのはユビキタス・バッハのいずれも優秀なヴァイオリニスト、二宮昌世さん、林由紀子さん、大野幸さんに決まりました。実に長い前置きでしたが、10/11土午後6時30分本郷教会においてこのピリオド楽器の‘引き渡しの儀’が行われたのです。制作者の楽器説明のあと、試奏が行われ、どの楽器を誰が持つか,ということが決められました。三挺の音色はそれぞれに異なり、すでに羽鳥さん、永島さんは各々「自分の楽器」として、これまた面白いことに、ご自分たちの「声」にそっくりな方を選んでいたのです。
奏者も好みの音を選び、これも取り合いにならなかったのは不思議でした。谷口さんのバロック・ヴァイオリン第1号はユビキタスの小穴晶子さんが所有し、すでに数年弾いておられます。小穴さんはこの席で、「モダンを弾くときと違うのは、ピリオド楽器は楽器そのものが色々なことを教えてくれる。楽器と奏者の双方が調和し合った心地良い状態を探ることによって自ずと技術が分かってくる。」と語り、お祝いにテレマンのファンタジアを聴かせて下さいました。
最後に、この新しい楽器を初めて手にした奏者たちに小穴さん、谷口さん、大軒さんも加わってバッハの<フーガの技法>第1番を合わせました。全部ピリオド楽器で合わせたのは初めて、しかも制作者がチェロを除く残りのすべてが谷口さんなので、皆が仰天するほど良い響きでした。クリスマス・コンサートではこれらのヴァイオリンで、シュッツの<マニフィカト>を演奏致します。勿論これまでのモダンによるバッハも継続されますので、実験、冒険の場としても<SDG>は面白い展開を期待出来ると思います。
■ 2008/10/20 白鳥の食べたいもの、それは水に映る雲・・・ ドビュッシー、ラヴェルを聴く
<ピリオド楽器引き渡しの儀>の行われた10/11土、この日の午後には、西日暮里の やなか音楽ホールで、武田正雄さんの企画構成になる、<ドビュッシー・ラヴェルの歌曲>という、非常に目の詰んだ、手のかかったコンサートを聴きました。「ムーヴマン・ペルペチュエル:無窮動」というグループの第一回演奏会で、武田さんと、主として彼が大学や大学院で教えている学生さんたちによって、18曲のドビュッシー、14曲のラヴェルという豪華版。ソプラノ、メゾソプラノの8人の歌手はそれぞれ良い持ち声、素直な発声で、名曲かつ難曲を次々に歌い、行き届いた指導と真摯な勉強態度の双方がはっきりと聴こえてくる演奏でした。健気にも、という歌唱、すでに自分の持ち味を客観的に知っている人、得も言われぬ佇まいのうちに曲の雰囲気を歌う前から感じさせる人などなど、皆良い資質を持っていました。武田さんは長年ヨーロッパで活躍されていたピアニストの三ツ石潤司さんと、ドビュッシーの<ボードレールの五つの詩>から「バルコニー」「噴水」「恋人たちの死」、ラヴェルの<博物誌>から「孔雀」「蟋蟀」「白鳥」を歌われました。このお二人の演奏ではピアノと声がいきなりシンフォニックに立ち上ったのにはびっくりしました。在仏22年の武田さんの歌と語りは、単に楽しいというレヴェルをとっくに超えています。それは、この世では極くたまにしか味わえない「愉悦」です。特に「博物誌」の、結婚式の段取りは万全でも、肝心の花嫁が来ない「孔雀」の話や、雲を食べたいように人の眼には映るが、実際は虫を食べて太るのだ、という落ちのついた「白鳥」の話など、思わず吹き出してしまいました。
この会の成功の要因は、作曲家をドビュッシーとラヴェルに絞ったこと、彼らの作品の中でも、とりわけ良い曲、また演奏の機会が少なく、それでも是非聴いてみたかった曲がふんだんに取り入れられていたこと、だったと思います。プログラム・ビルディングが出来上がった時点でコンサートはもう半分終わったようなものということでしょうか。なにはともあれ行って良かったのでした。