またまたご無沙汰です。どうも指揮者を半引退してから外に顔を出すことが事が増え、しかもその一つひとつが大変に刺激的で、なにからお伝えしたらよいか、と考えておりました。また、先日の記事の最後に、戴いたコンサートの感想をお伝えする、と書きましたが、あと一息整理が必要ですので、今夜は最も近い過去から書き出し、段々に遡ることと致します。
10/14 (火)午後6時 もともとはライプツィヒに本部があり、指揮者クルト・マズーアが総本部長である<メンデルスゾーン基金>というオーガニゼイションが、今その活動を世界に広げようと、このたび日本支部の設立が計画され、その式典がドイツ大使館公邸で行われました。
オープニングにメンデルスゾーンの合唱曲の演奏を頼まれていました。選曲は任されたものの、4名、ア・カペラ、7〜8分、という条件です。だれもが知っている曲を歌うのも一案ですが、この団体の目標とするところは「知られざるメンデルスゾーン」を紹介する、というものも入っています。そう、そこで、これぞ、という曲の登場です。それは、Vespergesang<Adspice Pater>op.121 男声合唱にチェロ という晩祷歌で、私たちはこれまでに何度か演奏しましたが、その度に「こんな曲は初めて聴く。素晴らしい音楽!」という反応。これはいつでもそうなのでこの曲にしました。
この日のお昼に日本支部長のマズーア・偕子さんから「今日の式にライプツィヒの市長が来ます。彼は少年時代ドレスデンのクロイツ教会少年聖歌隊員(クルツィアーナといって、少年合唱界では超エリート)だったとのことで、一緒に歌いたいらしいのだけど、どうかしら?」という電話。クルツィアーナの実力はよく知っているので、「事前の練習に来てくださるなら」と答えました。トモコには今日の楽譜を1部渡してあったのですが、彼はその譜面を握り締め、息せきって練習にきました。「声部はどこを?」と尋ねる私に「第2バスです。」と力強い声。願ってもありません。
シュッツ合唱団の4名、依田卓、淡野太郎、石塚正、春宮哲に市長のミュラー氏が加わった5名の男声合唱、そこに大軒由敬さんのチェロという編成で歌ったメンデルスゾーンの<晩祷歌>は、やはりほとんどの方が初めて聴く曲、と仰り非常に喜ばれました。市長の声は素晴らしく、初見で、しかもたった2回の合わせで、シュッツの男声陣の声とピタッと合ったのには驚きました。式の最後には芸大の学生によるピアノ・トリオが演奏され、これがまた非常に未来を感じさせる良い演奏でした。
市長は愛想の良い人で、式のあとのビュッフェでいろいろな話が弾みました。少年時代に習った指揮者はルドルフ・マウエルスベルガーとマルチン・フレーミヒだったとのこと、R.マウエルスベルガーはア・カペラの<ルカ受難曲>の作曲者です。私たちも彼の作品が大好きで何度も歌いましたし、以前来日されたフレーミヒ氏からは放送局の主催した公開講座で合唱団ごと教えを受けたことがあるのです。
シュッツの話になり彼は「バッハはともかく、シュッツはなんといっても‘言葉’ですね。」と言うのです。さらに「シュッツのムジカリッシェ・エクセクヴィエンではポザウネ(トロンボーン)が一緒で、それを吹いた人は‘アロイス・バンブーラ’という人でした。」私は驚いて「エエッ、バンブーラ先生は良く知っています。先生が帰国なさる時、シュッツ合唱団にバロック・トロンボーンのアルトとテノールを下さったのです。」と言うと今度はミュラーさんが驚く番でした。バンブーラ先生はわれらがスタッフ・プレーヤー萩谷克己さんの先生でもあります。先生は昔、中央会館でヘンデルの<エジプトのイスラエル人>をやった時、トロンボーンを吹いてくださいました。
これまでにやって来た事がこうやって繋がって行くと、やはり毎日のひとつひとつの出来事がとても大切なのだ、ということに気付かされます。またそれぞれの意味も、あとになって明白になるのですね。びっくりします。
名誉理事長を務められる97歳の日野原重明先生も出席され、いろいろ面白いお話をして下さいました。
曰く「空港の動く歩道は使わない。普通の通路を早足で歩き、動く歩道の人を追い越すのが快感。先着した時の達成感が大切。目標と達成感です。」
曰く「人間集中していたら空腹を感じないものですよ。」
曰く「この先十年の予定を立てています。」
曰く「講演は年間160回」ミュラー市長も目を丸くしていました。
来年2009年はメンデルスゾーン生誕200年です。メンデルスゾーン基金ではコンサート、シンポジウム、ドイツ旅行、12月にはマズーアの<第九(エリアは間違いでした。申し訳有りません。10/18)>(N響)と指揮講座が予定されています。ムシカ・ポエティカでは<パウロ>の公演を計画しています。楽しみにお待ち下さい。
ではまた。