メンデルスゾーン基金・日本支部の設立式の三日前10/11土曜日の夜、上荻の本郷教会で<ピリオド楽器引き渡しの儀>という耳にしただけでは意味不明の集まりがありました。説明を要すると思いますので以下を。
話は '70年代に遡るのですが、当時はモダン・ヴァイオリンでシュッツを弾いてもらっていたのです。シュッツの譜面は現代の白い音符、即ち全音符や2分音符の出て来る頻度が高く、しかもそれが同音反復など、シンプル極まりない姿で登場するので、練習を見に来た瀬戸瑶子さんなどは「こんな白い音符ばかり弾いてくれる人たちは他にはいないわ。大事にしてね」と。
シュッツの声楽曲の持つ、天然の「律」との一致によってのみ得られる無限倍音の世界は、私たちに「人間の声」とはどういうものか、ということを教えました。勿論多くの名人、巨匠、先達の教えなくしては分からない事のみであった「発声」ですが、シュッツ作品から学んだことが、現在の私たちの血肉となったことは、声を大にして申し上げたいことです。
バッハはピリオド楽器を用いることによって目の覚めるような透明な世界が開けますが、モダン楽器を用いると、骨太の堂々たる、躊躇い無く「偉容」と表現したい建造物が出現します。楽器の選択をどちらかに決めてしまうのは、誠に勿体ないのです。が、シュッツはいささか異なります。人間が考え出した技術や人のイマジネーションから生まれた「美」ではなく、天の知らせる秩序といったものが基本であるのです。そのため、シュッツが触っていた楽器と同じコンセプトで作られたピリオド楽器というものを知り、用いてみたくなるのです。
さて、ここで、話は今年の3月に飛びます。酒好き、話好きの面々が例によって一軒の焼き鳥屋に。思ったこと、感じたことをすぐ口にしなければならない指揮者という職業人にアルコールが加わると先は地獄か天国です。私は叫びました。「谷口さん、どんどんバロック・ヴァイオリンを作って!」
奏者に楽器を買ってもらう、というのはある意味で当たり前かも知れませんが、やはり経済の裏付けのある人あるいは団体が楽器を所有し、その楽器を貸し出して弾いてもらう方がさまざまなレヴェルでのメリットがあります。楽器があれば弾く人は自ずと見つかるだろう。
と、声楽家の羽鳥典子さんが、「あら、素敵な話だわ、私、一挺作ってもらおうかな」というと同じくメゾ・ソプラノの永島陽子さんも「私も」と言ったのです。
谷口勤さんはヴァイオリン制作家で且つユビキタスのヴィオラ奏者という方です。彼は早速仕事に取りかかりました。そしてチョッとした勘違いから、三挺の制作を同時進行させたのです。残る一挺をどうしよう、と、チェロの大軒由敬さんに相談すると「私が戴きましょう。」
ここに三挺のバロック・ヴァイオリンが完成し、それを手にするのはユビキタス・バッハのいずれも優秀なヴァイオリニスト、二宮昌世さん、林由紀子さん、大野幸さんに決まりました。実に長い前置きでしたが、10/11土午後6時30分本郷教会においてこのピリオド楽器の‘引き渡しの儀’が行われたのです。制作者の楽器説明のあと、試奏が行われ、どの楽器を誰が持つか,ということが決められました。三挺の音色はそれぞれに異なり、すでに羽鳥さん、永島さんは各々「自分の楽器」として、これまた面白いことに、ご自分たちの「声」にそっくりな方を選んでいたのです。
奏者も好みの音を選び、これも取り合いにならなかったのは不思議でした。谷口さんのバロック・ヴァイオリン第1号はユビキタスの小穴晶子さんが所有し、すでに数年弾いておられます。小穴さんはこの席で、「モダンを弾くときと違うのは、ピリオド楽器は楽器そのものが色々なことを教えてくれる。楽器と奏者の双方が調和し合った心地良い状態を探ることによって自ずと技術が分かってくる。」と語り、お祝いにテレマンのファンタジアを聴かせて下さいました。
最後に、この新しい楽器を初めて手にした奏者たちに小穴さん、谷口さん、大軒さんも加わってバッハの<フーガの技法>第1番を合わせました。全部ピリオド楽器で合わせたのは初めて、しかも制作者がチェロを除く残りのすべてが谷口さんなので、皆が仰天するほど良い響きでした。クリスマス・コンサートではこれらのヴァイオリンで、シュッツの<マニフィカト>を演奏致します。勿論これまでのモダンによるバッハも継続されますので、実験、冒険の場としても<SDG>は面白い展開を期待出来ると思います。