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ムシカWeb通信


■ 2013/07/20 なんということ!

 5/15以来のご無沙汰とは! 毎日必死に生きておりましたが、頭も身体も休まる暇なく、この体たらくです。ミネアポリスから桃子一家がやって来たのは6/4、5週間滞在しました。私の家は脚の踏み場もない紙の山とあって、家から170歩という格好の場所にアパートを借りました。6歳になる孫の茜が日本の小学校に体験入学するというので、学校へも200歩です。楽しい日々はしかしあっという間に去って行きました。

 さて次は、太郎が上鷺宮の家を引き払ってこの使い勝手の良いアパートへ引っ越す、という話です。上鷺の家には、1間の押し入れ、半間の押し入れの上下にギッシリとムシカ・ポエティカのかれこれ30年になろうかという音と紙の資料が詰まっていて、この引っ越しはまぎれもなく私の仕事、先日視察に訪れ、3時間も居たのですが、紙を見ただけでボォーッとしてしまい、すごすごと引き揚げて来ました。本日、丸一日をかけて準備を整え、7/23には伊豆松崎の家へ運び込む予定です。

 今月末からシュッツ《白鳥の歌》のレコーディングに入ります。皆様、どうぞこの夏をお健やかに!

 


■ 2013/07/29 処女の泉

 ベルイマン監督の映画「処女の泉」(1960)を鑑賞。自分の一人娘を凌辱された父親が襲った羊飼いの兄弟と罪の無い末の弟までを次々に手にかける。この父親は敬虔なキリスト者であった。自身の罪を悔いつつも娘の悲劇に対し沈黙する神に疑問を投げかける。娘の亡骸が横たわる森のなか、彼は「ここに教会を建てます」と誓う。娘を抱き上げふと見ればこんこんと湧く真清水。悔い改めの言葉と行為が、洗礼を象徴する水によって救いへ導かれることを暗示する場面である。

 寓喩はそのほかにもいろいろ散りばめられている。父親が犯人殺害を決心する前に鶏が3度鳴く。妻は手に大きな鍵を持っている。「あなたはペトロ(岩)。わたしはこの岩の上に教会を建てる。・・・わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」と語られたイエスの言葉が根太く横たわっていることを知らされる。牧師の息子として生まれたベルイマン、映画という表現手段を手にしたこの人物の人生、信仰、思想をさらに知りたい。


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