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ムシカWeb通信


■ 2013/07/29 処女の泉

 ベルイマン監督の映画「処女の泉」(1960)を鑑賞。自分の一人娘を凌辱された父親が襲った羊飼いの兄弟と罪の無い末の弟までを次々に手にかける。この父親は敬虔なキリスト者であった。自身の罪を悔いつつも娘の悲劇に対し沈黙する神に疑問を投げかける。娘の亡骸が横たわる森のなか、彼は「ここに教会を建てます」と誓う。娘を抱き上げふと見ればこんこんと湧く真清水。悔い改めの言葉と行為が、洗礼を象徴する水によって救いへ導かれることを暗示する場面である。

 寓喩はそのほかにもいろいろ散りばめられている。父親が犯人殺害を決心する前に鶏が3度鳴く。妻は手に大きな鍵を持っている。「あなたはペトロ(岩)。わたしはこの岩の上に教会を建てる。・・・わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」と語られたイエスの言葉が根太く横たわっていることを知らされる。牧師の息子として生まれたベルイマン、映画という表現手段を手にしたこの人物の人生、信仰、思想をさらに知りたい。


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