■ 2010/11/07 ムシカ・ポエティカより 皆様へ 晩秋のご挨拶を
ムシカ・ポエティカでは、コンサートにいらして下さった皆様に、年に四回、季節の便りを郵便でお送りしています。10月末発行の最新号に若干編集を加えたものをこのブログでお届け致します。
■ 2010/11/11 チェコ語
ほとんど日常化している作業のひとつに「訳詞」があります。コンサートで外国語を歌う場合、不可欠なものです。カテドラルでは字幕のスクリーンを置くことが許されていませんので、特に大切です。いろいろな難しいことがあります。左列に記された原語が右列の日本語にさっと移れれば問題はないのですが、その通りに書くと奇妙な日本語になってしまうことがしばしば起こるので、ここが一番悩むところです。
歌われている歌詞や単語と音楽は、その旋律線や和声にそのまま反映されていることが多いので、肝心な箇所に違う日本語を置くことだけは避けたいのです。
しかしこんなことは全く悩みのうちに入らない事態に直面したのです。これまではドイツ語、ラテン語、イタリア語、英語の間を行ったり来たりでした。「楽譜」「辞書」「聖書」の三つがあればなんとか窮地は脱したのです。が、今回、ファンダステーネ氏が「チェコ語で歌うから」と言われたドヴォルジャークの《聖書の歌》ほど驚いた代物は初めてでした。チェコ語の楽譜を永島陽子さんにお借りし、じっと見詰める。アルファベトはラテン文字です。ひょっとしてロシヤ語のような文字? と思っていた私も、一瞬ホッとしたのですが、それは束の間、アルファベトの上に小さなアクセントのようなものが左から右、右から左に、またチェックを入れる時のような逆山形が r,s,c,n,z,e,n.i などなどに付いているのです。小さな○の付いた字もあります。逆山形をハーチェクといい、アクセントはチャールカといって、このような符号の付いた文字は15種類あるということです。
先ず歌詞を打ち込まねば、と始めたのですが、今申し上げた小さな符号のついた文字はAppleWorksでは受け付けられず、Wordの畑でやっと芽が出ました。しかし知識皆無の外国語を入力するということが、これほど困難なものであるとは、これまで考えたこともありませんでした。普通は無意識のうちに音読して入力しているのですね。なんと発音して良いか分からないとなると、ほんとうに一字一字見比べながらの作業となるのです。また、文字の並び方が非常に特殊で、これも凝っと見詰めては見るものの、キイに向かうと思っても見ないところへ指が向かうので、そのたびに不安になり、いちいち確かめねばなりません。最初の夜は一曲仕上げただけで疲労困憊し、止めてしまいました。
10曲のチクルスなのですが、すべて詩編だということでしたので、どこかで安心していたのですが、これも勘違いでした。作曲家というものは、単語を繰り返したり、並べ替えたりする人種、ほんとうに聖書に書いてある通りドヴォルジャークが作曲しているのか非常に心配になり、チェコ語の聖書を探しました。これもやっと、という感じで教文館から送ってもらう。辞書は数日前に渋谷の紀伊国屋書店で買ったのですが、これは活字が大きく、見安い辞書です。若干お手軽版といった感じですが、この辞書の他には見当たらないので選択の余地はありませんでした。今度はLANGENSCHEIDTのチェコ対ドイツ語の辞書を買おうと思います。辞書と一緒に「チェコ語のしくみ」という本を購入、これは役に立っています。
やっとの思いで全テキストを打ち終わり、聖書と照らし合わせる。小さな相違点はあったものの、ほとんど聖書通りだったので、胸を撫で下ろす。しかし次は訳です。不思議にも、このチェコ語の聖書は、肌触りがドイツ語とは随分違い、皆目分からないというのに、深くて強い感じが伝わってきます。はて、どんな日本語が合うのかしら?
チェコ語の聖書はフスの弟子たちによって1415年に出されたとのこと、ルターの生まれる68年前、ルター訳ドイツ語聖書より100年以上も前のことです。また自説を曲げずに焚刑となったフスが、かのチェコ語アルファベトの特別符号を考え出したとのことです。
そっと辞書を引く。想像した通り、素直に単語が見つかりません。変化がすさまじく、ちょっとやそっとの勉強では歯が立ちません。名詞には男性、中性、女性名詞があり、その上男性名詞には「活動体」と「不活動体」があるのです。「てにをは」は七項目で硬変化と軟変化があります。キャー、字引が引けないという最悪の事態に・・・大袈裟でなく生きた心地もせぬまま気が付くと私は大風邪を引いていました。仕事部屋が冷え込んでいたのに気が付かなかったのです。チェコ語はロシヤ語の出来る人には簡単らしいですが、手遅れです。
しかしです。この《聖書の歌》の音楽は素晴らしく、恐る恐るチェコ語で歌ってみると、なんだかドイツ語よりは歌いやすく、言葉そのものの情が深い、という感じです。ようし、チェコ語の勉強は続けよう。
■ 2010/11/18 お誘い 明日のコンサート
Vandersteene 氏と椎名さんによるドヴォジャーク《聖書の歌》の練習を聴きました。10曲あるのですが、どの曲も思いがけない魅力があり、それが嫌味でなく、親しみに溢れ、美しくまた素朴です。最後の「歌え、主に向かって新しき歌を」などは「〜雪やこんこ、あられやこんこ〜〜〜」のようなオルガンで始まるのです。曲そのものに歯をくいしばったようなところがなく、おおむね広々と晴朗な音楽なのですが、チェコ語が複雑な発音なので、そのカップリングの妙は一聴の価値ありです。
バッハのものの考え方をメンデルスゾーンが良く理解し、自曲に応用しているさまは微笑ましく、またメンデルスゾーンの旋律を自由に操る才能はまことに天来のものであることが、バッハと比較した時に良く分かります。
いずれにせよ本番は明日、実際の音がどう舞うのか、心配と期待が交代しておりますが、お出かけになれるようでしたら、是非お越し下さい。
11/19 金 午後7時〜9時 東京カテドラル聖マリア大聖堂 <レクイエムの集い>2010
■ 2010/11/26 <レクイエムの集い>2010
なんというコンサート! 11/19のカテドラルの大聖堂にメンデルスゾーンが、バッハが、そして、「初めまして!」と親しげな笑みを浮かべたドヴォジャークがやって来たのです。彼らが普段から仲が良さそうなのはすぐに分かりました。
ドヴォジャークの《聖書の歌》は予想した通り素晴らしい時間となりました。チェコ語の醸し出す得も言われぬ深み、暖かさとドヴォジャークの構えたところのない、それでいて真摯な音楽、歌らしい歌に一同あっけにとられ、捉えられ、じわじわとやって来るぬくもりに身を委ね、心を静かに開いて行ったのでした。
パイプオルガンは音栓のコンビネイションによって多彩な音色を作り出すことが出来るので、奏者が変ればこれが同じオルガンかといったスリル満点の楽器です。今回特に感銘を受けたのは、ファンダステーネ氏の声と椎名さんのオルガンの音色とが同じ源泉から生まれたように調和していたことでした。ファンダステーネ氏も思ったような演奏が実現し、大層喜んでおられました。
メンデルスゾーンのすっきりした頭脳を全開で見せてくれるような透明感溢れる音楽はいつものことですが、今回はオルガンソナタの重厚感が加わり、これまで巷でなんとなく脇に置かれがちだった彼の音楽の再認識には充分な役目を果たしたと思います。
バッハのモテットはシュッツ合唱団の歴史の中では最も古いレパートリーです。難易度は最上級といってよいと思います。今回はすべてア・カペラで歌いました。いつものように、合唱団員の一人ひとりが持っている声の質(たち)をよく聴きながら、各曲の編成が割り当てられていました。また、バッハの時代のテラッセン・デュナーミクと呼ばれる階段状に変化する強弱も、この声の特質で分けられていたので、「徐々に」ではなく、その変化がオルガンのストップを順次減らしていくような、文字通り「階段状」の変化となって現れ、「nichts 何も無い」との言葉を表現するピアニシモは、あと一歩で「無」になりそうな、今まで聴いたこともないような小ささでした。あのピアニシモをどうやって導きだしたのかをあとで指揮者に尋ねましたら、その箇所の5声は、SI 巽瑞子、SII 山田みどり、A 影山照子、T 依田卓、B 石塚正 だったとのこと、思いがけない組み合わせでしたが特筆すべきアンサンブルでしたので、ここに記録しておきます。
メンデルスゾーンの宗教合唱曲は作曲者のまことに純粋な祈りを感じさせる音楽です。的確な解釈と充分な練習ののちには、どこまで自己放下が可能か、にかかってくるように思いました。ソプラノソロと合唱、オルガンによる《讃歌》では私自身もソロで参加しました。準備途中で風邪を引き苦戦しましたが、ソロの歌った歌詞を合唱がそのまま返してくるスタイルでしたので、自分の演奏が鏡で映されたように合唱に反映していくさまを観察することが出来ました。良い旗が振れた時に良い反応が返ってくるのは当然としても、私がひどい声を出せば・・・・?
さて、もう日が迫っておりますが、11/28日曜日は第1待降節です。午後6時より上荻の本郷教会でソリ・デオ・グローリアが開かれます。バッハの待降節第1主日のためのカンタータ62番《いざ来ませ、異邦人の救い主》ほかを演奏致しますので、是非お出かけ下さい。
[東京都杉並区上荻4-24-5 TEL:03-3399-2730 JR西荻窪より北に徒歩10分]