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ムシカWeb通信


■ 2007/03/20 この一ヶ月・・・& 瀬尾文子のベルリン近況

 一ヶ月もの間ご無沙汰を重ね、恐縮の至りです。ひと言では言い尽くせぬ四週間でした。わが人生最大の山場、正念場に向けて前半をミネアポリスで、後半を東京で過ごしました。

 わたくしには子供が二人います。1971年東京で生まれた長女桃子、1972年リオ・デ・ジャネイロで生まれた長男太郎です。二人の年齢差は一年三ヶ月、年子です。生まれて数日の太郎を病院から連れて帰宅した日、玄関のドアが開いた途端にそれまで這っていた桃子はすくっと立ち上がり、自分から歩いて太郎と私を迎えました。桃子が自分の足で初めて歩いた日でした。その姿は今歩き出した子供のようではなく、首はすでに天からひっぱり上げられているように伸び、真っ直ぐ前を向いて、スタスタとこちらへ。ベビーシッターのブラジル人、リアちゃんは初めて弟に会う桃子にきちんと服を着せ、靴を履かせて、いまかいまかと待っていてくれたのです。

 この桃子に昨年の十月、オードリー・茜という娘が生まれ、それと前後してライプツィヒで暮らしていた太郎が音楽活動の拠点を東京に移そうとしていました。桃子は、生後二ヶ月の茜を連れて昨年十二月のシュッツ合唱団ドイツ演奏旅行に合流したのを皮切りに、歌う仕事に復帰、今現在はミネアポリスの JEUNE LUNE(Theatre.de la.Jeune Lune) というシアターのオペラ芝居に出演しています。JEUNE LUNE・・ジュヌ リューヌ(新月)は、フランス人のドミニクという類稀れなるセンスの持ち主が演出家兼俳優で、数々の芝居に加えオペラも上演する一座で、2005年にはトニー賞を受賞しました。ミシシッピー川のほとりの大きな倉庫だった建物を劇場にしています。

 さて桃子は今年の一月末から一週間に六日、午後、夜とリハーサル、週に四日芸術高校へ教えに行き、家には個人レッスンの生徒がやってくる、というスケジュールの中で茜に授乳という生活、私は一月〜二月に二週間、二月〜三月にまた二週間、茜の世話でミネアポリスにおりました。

 桃子の役はドン・ジョヴァンニのドンナ・アンナ、ドン・ジョヴァンニに凌辱され、その上父親をドン・ジョヴァンニに刺し殺され、復讐を誓いながらもドン・ジョヴァンニに惹かれている、という複雑な心境で常に狂ったように歌う女性です。初日は三月三日、この日の舞台を見届けてすぐ東京に戻ろう、ということで、朝昼晩と娘と孫の間を走り回り、夜中は三月十一日に太郎の指揮する<ヨハネ受難曲>のプログラムの原稿を書くという毎日でした。

 これまで子供達と一緒に演奏するという体験は何度となくあったのですが、そのほとんどは私が指揮をしていましたから、子供が歌うといっても普通の公演となんら変わるところはありませんでした。今回は二人ともそれぞれが難役に挑戦ということで、一人ひとりの進行状況を時差15時間ともども見守るという、生まれて初めての難行を体験しました。そんな中で、泣いたり笑ったりはしゃいだり眠ったりする茜はまさにオアシス、大自然の営みの中に否応なく巻き込まれ、包まれていることを日々実感した次第です。

 オペラ芝居の初日は成功、StarTribune 紙上で桃子は脚を褒められており、そこで私は太郎の生まれた時に歩いてみせた桃子を思い出したというわけです。三月四日早朝飛行機に乗り五日夕方帰京、その足で<ヨハネ>の練習場へ行きました。合唱は思ったよりキチンと歌えていたので一安心、3/7、8、10のオケ合わせの後、三月十一日、カザルスホールでの本番を迎えました。

 長くなりますので、<ヨハネ>については改めて・・・。

 

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