■ 2006/12/14 シュッツ合唱団 ドイツへ
今週末12/16 土 シュッツ合唱団・東京は成田を発ってミュンヘン経由ドレスデンヘ向かいます。
ドレスデン!! その昔ドイツのフィレンツェと言われたこの街はご存知の通り第二次世界大戦で壊滅状態となりました。その後の東独時代も都市の面影は皆無、道とも広場ともつかぬ荒涼たる空間が広がるばかりの街(?)・・・・。
そう、わたくしたちシュッツ合唱団がこの街を初めて訪問したのは、シュッツ生誕400年祭とバッハ、ヘンデル生誕300年祭が重なった記念すべき年、 1985年でした。
当時の東独政府から公式招待を受け、その年に再建したばかりのゼンパー・オペラ劇場で歌う事となったのです。
この時、ゼンパー・オペラの前の空き地は瓦礫の山、この言うに言われぬ生々しい戦争の爪痕が聖母教会の残骸でした。
その後この瓦礫の一つひとつに番号が付けられ、棚に並べられ、これらを組み合わせて再建するのだ、というアイディアに接した時には驚きと疑い半々というのが正直な感想でした。本当にそんなことが出来るのかしら?
2005年、ドレスデンの夢は現実に! そして今わたくしたちの夢も現実になろうとしています。復活した聖母教会を Tv などで御覧になった方、また実際に訪問された方もおいでのことと思います。わたくしたちは 12/17 日曜日 午前11時の礼拝でシュッツ2曲、ラインベルガー1曲を聖歌隊として奉仕することになりました。「この日は洗礼者ヨハネを祝し、神の愛に感謝し、御子イエスの到来を待つ、ということがテーマです」との知らせを聖母教会カントルのマティーアス・グリューネルト氏から頂き、選曲したのが次の三曲です。
シュッツ:神はその独り子を賜う程にこの世を愛された シュッツ:わたしは荒れ野に呼ばわる声 ラインベルガー:天よ、雫を滴らせよこの日の夕方 17時 より市内より30分ほどのプローリスという町のプローリス教会でア・カペラのコンサートを致します。この教会の役員で、1985年のゼンパーにおけるわたくしたちの演奏(柴田南雄「宇宙について」欧州初演)を聴いて下さったというハイデンライヒ夫人が、2004年に引き続き今年もシュッツ合唱団のコンサートを企画してくださいました。夫人はドレスデン経済振興公社で働いておられ、日本にもしばしば来られる方です。
プローリス教会ではシュッツ作品とフーゴー・ディストラーの「クリスマスの物語」を歌います。
2006/12/17[日・Sonn]17:00 DRESDEN PROHLIS-KIRCHE ドレスデン プローリス教会コンサート
シュッツ 神はその独り子を賜う程にこの世を愛された シュッツ おお愛する主なる神よ S1 羽鳥典子 S2 永島陽子 Org 瀬尾文子 シュッツ 今日キリストはお生まれになった S 淡野桃子 T 淡野太郎 Org 瀬尾文子 ディストラー<クリスマスの物語>Op.10 語り手 淡野太郎 天使/エリザベト 淡野桃子 マリア 羽鳥典子 ヘロデ/シメオン 石塚正 シュッツ われらに平和を与えたまえ
翌日はバスでライプツィヒに行きます。1985年にはゲヴァントハウスでのコンサートでしたが、今回はメンデルスゾーンが通っていたという改革派の教会で歌います。
プログラムは、まずメンデルスゾーンに敬意と感謝を込めて彼の詩編曲から始めることにしました。
2006/12/18[月・Monn]20:00 LEIPZIG Ev.REFORMIERTE KIRCHE ライプツィヒ 改革派教会コンサート
メンデルスゾーン 神よ、あなたの裁きを 詩編43 シュッツ わたしは荒れ野に呼ばわる声 シュッツ おお愛する主なる神よ シュッツ 今日キリストはお生まれになった ディストラー<クリスマスの物語>Op.10 <http://www.klassik-in-leipzig.de/ <http://www.klassik-in-leipzig.de/kalender/Weihnachtskonzert-a3529.htm
12/19 バスでハイルブロンへ向かいます。
6時間の旅です。今回の旅行の発端は「一緒にクリスマス・オラトリオを歌いませんか」というハイルブロン・ハインリヒ・シュッツ合唱団の指揮者ミヒャエル・ベッチャー氏からの呼びかけでした。いよいよハイルブロンです。この合唱団とのジョイントは三度目になります。いきさつその他は長くなりますのでいずれゆっくりお話したいと思います。
2006/12/20[水・Mitt]20:00 HEILBRONN FESTHALLE HARMONIE ハイルブロン・祝祭ホール・ハルモニー
ハイルブロン ハインリヒ・シュッツ合唱団とともに
J.S. バッハ<クリスマス・オラトリオ>第1部ー第6部 指揮 ミヒャエル・ベッチャー 独唱 ソプラノ 淡野桃子(Minneapolis) アルト 永島陽子(Tokyo) テノール Julius Pfeifer (Stuttgart) バス 淡野太郎(Leipzig)
<http://www.heinrich-schuetz-chor.de/ <http://www.heinrich-schuetz-chor.de/Bilder/KR_Jap3.jpg
どんなことが待っているのでしょう。皆様のお励ましとお支えに感謝しつつ、行って参ります!
YUMIKO TANNO
■ 2006/12/25 12/22 ただいま帰りました
行く前も着いてからも、そして次の日もその次の日も、いったいいつ眠り、いつ歌ったのか・・・。
夢か幻かという日々でした。
出発前にはドイツから夜中に届くいろいろな打ち合わせに加え、帰国後の12/27, 1/6, 1/7, 1/20,1/23, 1/24, 1/27, 2/17, 3/11, 3/21, 5/20に予定されている演奏と講座の準備をしておかなくてはなりませんでしたので、頭の中も机の上もぐちゃぐちゃ、落ち着け、落ち着けと心に念じつつ、ゆっくりと、しかし猛スピードでそれらに取り組み半死半生で成田へ。
三三五五集まって来たメンバーも頬を紅潮させている人、げっそりとしている人半々でしたが、皆一様に一人のメンバーの到着を待っていました。ここ数日、生きているのか死んでいるのか分からないほど衰弱したU君は、果たしてここに来れるのだろうか・・・。団長のNさんが、「スカイライナーに乗ってこちらへ向かっているそうです」と伝えてくれひと安心です。ヨーロピアン・ツアーズの菊田さん、随行の阪上さんの丁寧な説明を聞きU君も無事到着、いよいよです。
出発前の話がずいぶん長くなってしまいましたが、実に演奏旅行は出るまでが大変なのです。全員が飛行機に乗った時点でほっと一息、それからは貴重なそして贅沢な11時間、わたくしは御蔭様でドイツで演奏するディストラーの『クリスマスの物語』の譜面をじっくり読み、眠り、また読みを繰り返しているうちにもうミュンヘンに着いたではありませんか。
ミュンヘンで入国、乗り継いでドレスデンに向かいます。12/16、20時30分ドレスデン着。ドイツ側の随行はカトリン・シュミットさん。判断力、決断力に富んだ極めて優秀な日本語はペラペラのドイツ女性です。彼女と、ライプツィヒから淡野太郎・さやか、ひと足先に出発したアルトの永島陽子さんが出迎えてくれました。またミネアポリスから来た淡野桃子・キース夫婦、そして生後2ヶ月のオードリー茜も ! ホテルに入り、清潔な広々した部屋に皆満足の様子、そして別館のレストランへ。
今日はここまでとさせて戴きます。
■ 2006/12/26 ドレスデン到着の夜
待ちに待ったドイツのビール、そしてチーズとハムの大皿に迎えられ、頭の芯がゆるみ出すこのひととき・・・。
だれの顔も笑っています。U君は急に元気付き好奇のまなこ全開、U君より一つ年下のY君はすでに成田で半分踊っていましたが、ドイツに来てからは常に全身ダンス・モードです。
映像のON君は表情も首の傾け方も日本に居る時と全く変わりません。集中しきった眼でVIDEOの画面を見つめています。ON君撮影の一枚をどうぞ。
でも明日は午前9時30分にカントルのマティーアス・グリューネルトさんの待つ聖母教会のEingang(入り口) A に行き、それから練習、服を着替えて11時からの礼拝で歌うという
信じられない行事が待っています。
■ 2006/12/31 ドレスデン聖母教会礼拝
12/17 日曜日。ホテルの前からバスに乗り市内へ。Post-Platz 下車。聖母教会を目指して気持ちの良い朝の散歩です。訪れるたびにどんどん美しくなっているドレスデン。今回は中央駅が生まれ変わっていました。
聖母教会までは徒歩数分の道のりなのですが、真っ直ぐ行ってしまうには勿体ないのでちょっと回り道を。カトリンさんもついつい「ここは・・・」と説明せずにはいられません。嬉しいことでしたが、約束の時刻が・・・。「ここはかの有名なアウグスト・シュタルケ(強王)の宮殿です。隣接の建物はポーランドの国王になるためカトリックに改宗したアウグストが建てたカトリック教会、また愛人の館へも渡り廊下で行けるようになっていて、教会へ10分、愛人へ10分というわけです。」
わたしは一緒に歩いていた永島陽子さんに「でも夫人のクリスティアーネ侯妃は篤信のルター派、王に従って改宗しようとはしなかったのよ。この侯妃は国民に慕われ亡くなった時にはかのバッハが追悼カンタータ(198番)を書いたのよ」と言いますと「ああ、リフキンが日本に来たとき、わたし歌いましたよね」と話がはずみ、時間の制限がなければ一日中歩いていたい街なのです。
いよいよ聖母教会です。この再建の物語は世界的なニュースでしたからここでは繰り返しませんが、瓦礫の山を覚えている団員も沢山いて、皆今の姿に驚き、このようなことが本当に起こったのだ、という感慨を新たにしました。すでに教会の前には入場を待つ人々が長蛇の列、ドレスデン市民だけでなく聖母教会を一目見ようとドイツおよび世界の各地から集まった会衆です。カントルのグリューネルトさんとの再会を喜び早速二階の聖歌隊席へ。
目の前に広がる光景の美しさに唖然とはしたものの、11時には礼拝が始まるのです。練習をしなければ! 私たちは歌いに来たのですから。
響きがどうのと言っているひまはありません。礼拝順序の説明を受けシュッツ2曲、ラインベルガー1曲を通すともう10時半、外で待っている人たちが入って来る時間です。私達は一旦地下へ。