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ムシカWeb通信


■ 2011/06/16 ポーリーヌ・ヴィアルド

 シ〜ド〜|ラ〜シ〜|ソラシド|ソ〜ファ# |ソ#〜ラ〜|レ〜ド〜|シミソファ# |ミ〜〜 | という8小節のテーマはe-Mollで書かれていて、人の気を惹くには充分にセンチメンタルでありながら、なにか芯の通った節で、ある種の気位すら感じさせる。このテーマには5つの変奏があり、声楽の技を磨くに有効であることは無論だが、通して歌うことによって、身体の清浄化をもたらす、というエチュードである。

 この曲はポ−リーヌ・ヴィアルド(Pauline Viardot 1821-1910)という当時一世を風靡したメゾ・ソプラノ歌手、作曲家、声楽教師であった女性によって書かれた。ミネアポリスに来ると桃子が毎日歌い、歌の生徒も歌い、マニヨン女史のスタジオでもいつも誰かが歌っている。私も歌いたいな、と思っていたらマニヨン先生が「このエチュードは歌う前の身体を隅々まで綺麗にします。練習するといいわ。」と仰った。このエチュードの基になっているのはセディエの発声技法とのことだ。

 ポ−リーヌの父親はマヌエル・ガルシア1世(Manuel Garcia 1775-1832)というスペイン生まれの名歌手で、やはり作曲家、演出家であった。この人の実力は大変なものであったらしい。子供3人も皆歌い手となるが、ポ−リーヌの姉 マリアは落馬事故で早世。息子のマヌエル・ガルシア2世はバリトン歌手であったがとてつもない人物で、発声技法の研究にのめり込み、ついに喉頭鏡なるものを発明して歌を歌う時の声帯の動きを観察することに成功した。彼はパリのコンセルヴァトワールで教え、多くの優れた声楽家を世に送り出した。その中にはジェニイ・リンドなども含まれている。ジェニイ・リンドはメンデルスゾーンが夢中になったスウェーデンのソプラノ歌手。リンドは1820年生まれ、セディエは1821年、ポーリーヌ・ヴィアルドも1821年と、この3人同世代も同世代だ。文字による記録に頼るしかないので、あくまでも想像の域を出ないのではあるが、この3人の声はどこか似通っているような気がする。大きな怪物的な声ではなく、ナチュラルで心地良く、正確なピッチ、明晰な発音、そして気品と愛嬌がほど良いバランスで表現を支えていたのでは。

 昨日マニヨン先生のレッスンを受けた。勿論ポーリーヌ・ヴィアルドのエチュードから。歌曲はシューマンのリーダー・クライスOp.24。これはハイネの詩による9曲のチクルスであるが、シューマンにしては素直でさばさばしており、一口でいうと感じの良い曲なので、なんとか自分のレパートリーにしたいと思っていたのだ。レッスンの前に曲についてちょっと調べてみるとなんと! この曲はシューマンがポーリーヌ・ヴィアルド(旧姓ガルシア)に捧げたものとのこと。ポーリーヌはクララの友人だったそうだ。なんでこういうことが起こるのか分からないが、あっという間に、この曲を「歌いたい」との気持ちは「歌わねば」「歌うぞ」へと変っていった。天才たちが味方してくれたような、実に幸せな気分で意気揚々と歌い出した私の歌に、マニヨン女史は1単語、1音符ずつダメを出された。子音のスピードとリエゾンの方法、2重母音を構成する2つの母音の時間の比率、2つの単語が繋がって1つの単語になった時の単語の歌い方etc.etc. 前から感じていた事だが、マニヨン女史のようにネイティヴではない方のドイツ語は明らかにより繊細かつ丁寧である。アグネス・ギーベルが縫い針を手にしながらその m は速過ぎるだの、人称代名詞は前後に隙間を取れ、とうるさく指示し、失敗すると縫い針が私の口元でピタリと直角に止まる、という恐怖体験を持つ私は、まさかここアメリカでギーベル先生以上の細かい注意を受けるとは想像もしなかった。とはいえこれは想像を遥かに超える幸せ、もって瞑すべし。


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