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ムシカWeb通信


■ 2012/06/08 武久源造『ドイツ通信』 その2 (6/1)

 昨日は、近くのシュタイナー・シューレのホールでチェンバロを弾きました。演奏を正面から受け止め、心と体で反応するいい聴衆でした。盛り上がる曲では、ブラボーもいっぱい貰った。

 ところが、場所が場所だけに、最後の曲を弾き終えたら、司会者のような人が「何か質問はありませんか」と言った。すると、ちょっと手ごわそうな男性が

 「何で、あの曲をあのように弾くのですか」と尋ねてくる。私は、できるだけ、簡潔に答える。ところが、彼はなかなか、簡潔な答えでは満足しない。どんどん、私の穴を突いて来る。私としても、それは願ってもないことなので、まるで大学の授業でもしているように、いろいろな例を引いて、いちいち実演を交えながら、私の解釈の根拠を、ドイツ語と英語を取り混ぜて、説明する。司会者が、「どうでしょう?」と尋ねる。彼は、「さらに、多くの質問があるけれども、ここでは遠慮します」と答える。

 こういう聴衆の態度こそ、本当にありがたい。

 まあ、彼の言おうとしていたのは、常識の枠内であり、私の演奏の「常識を超えたところ」、あるいは、「風変わりなところ」について、「どうして?、なぜ?、」と食い下がってくる。それが、嫌味でもなく、重箱の隅をつつくのでもなく、本質を堂々とついてくる。日本にもこういう聴衆が増えて欲しいものだと、心から思いました。


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