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ムシカWeb通信


■ 2012/06/07 母音、子音そして倍音

 武久さんの便りを読んでいて「トイレの便器に流れる水音までもが、綺麗な倍音を発します。」の箇所で古い記憶が甦りました。私の場合は窓の下を通る車のタイヤの音から高い倍音が聞こえたのです。1990年代の初め、ギーベル先生の家に2ヶ月間泊まり込みで、毎日明けても暮れても、首の中(正確には声帯)でまず低音を出し、そこから第4倍音(2オクターヴ上)へ跳ぶ、という練習を繰り返していた時の体験です。

 ここミネアポリスでのMrs.Mannionのレッスンも「声」に関しては ‘Formants=Overtones’ につきます。マニヨン先生のレッスンによって、ギーベル先生の許での訓練が非常に良い土台となっているのを有り難く思います。

 ギーベル先生の許では12年に亘って各ピッチを各単語の母音で歌う訓練を受けました。そして今、マニヨン先生からは子音について学んでいます。子音は音と音の間にあるのですが、子音を歌い始める瞬間と切り上げる瞬間がまさに「技」なのです。私がこの問題に目覚めたのはフィッシャー・ディスカウの歌を聴いた時でした。かれこれ50年前のことです。これは重要課題であると思い、合唱団にはしつこく教えたつもりでしたが、自分が歌う時には非常におろそかであったことに今回気付かされています。マニヨン先生は1語1語徹底的にチェックされ、挙げ句の果てに「あなたの合唱団の人はチャンと歌っていますよ。」と。先日リリースされた《ルカ受難曲》を聴いて下さったのです。

 リサイタルが終わったら英語とフランス語の歌を勉強するように、との仰せ、私のレパートリーからすっぽりと抜けている部分をズバリと指摘され、驚きましたが、成る程と思いました。異なった多くの言語によって耕される部分が身体的にも精神的にも広がれば、1つの言語にフォーカスされた時の純度が上がるのではと思います。面白くなってきました。


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