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ムシカWeb通信


■ 2007/06/12 「千の風」

 本郷教会のバッハ・カンタータシリーズに毎回聴きにきて下さる素敵なご夫婦がいらっしゃいます。演奏が終わるといつも声を掛けて下さり、その日の感想や、ご自分たちの演奏の好みなども話してくださるので、段々親しくなり、ついに先日、夫人、松浦のぶこさんのお声を拝聴する仕儀に。

 歌って下さった曲は、な、なんとバッハの<マタイ受難曲>からのアリア二曲、<Blute nur 血を流せ>と<Ich will mein Herze schenken わが心を捧げよう>でした。はっきりした解釈でさっぱりした歌い方、もちろん美しいソプラノです。お話のなかでアマチュアゆえに、自由ものが言えるという特権、という言葉があり、わたくしはそれをうれしく、頼もしく聴き、同感しました。と暫くしてメールを戴き、そこには一編のエッセイが・・・。今日はこのエッセイを強力援軍に、普段考えていることを綴ってみたいと思います。

 エッセイはイギリスの少年合唱団 LIBERAの歌う「千の風に乗って」の紹介から始まります。「千の風」にはイギリス版の曲<Do not stand at my grave and weep>(私のお墓の前で泣かないで)というのがあり、これをLIBERAが歌っているそうです。作曲も演奏もまず比較にならない、とのこと、充分に想像がつきます。

 松浦さんは80年代イギリスにお住まいでした。天性声のきれいな人が多いイギリスという国の子供たちは、公共の場で決して大声で叫ばないように躾けられていたこと、下校時、小学校にお子さんを迎えに行かれると、サッカーに興ずる子供たちの声が、風のささやきのように透明であること、家庭では親がきれいな声で子供に接し、学校では校門を入ったら勝手に走ったり叫んだりさせない、とのこと、わたくしも一時期シュッツ少年合唱団を教えていた時、日本の子供たちも、静かにゆっくりと本物の音楽を教えれば、かなり純度の高いハーモニーで歌うことを体験しました。

 翻って日本の「千の風」は、松浦さんが日本のゴスペルとしては最高との評価をくだす永六輔作詞、中村八大作曲、坂本九演奏の「上を向いて歩こう」(1961)に比べると、「ひどく日本的西洋音楽である」と。そう、そうなんです、「日本的西洋音楽」、これこそが、6/5のブログに書いた「勘違い」なる単語の内容であります。演奏者も聴き手も西洋音楽を演奏している、と思い込んでいるのですが、そこで鳴っている(響いている、と本当は書きたいのですが、響かないのが特徴)音は、西洋っぽい色のついた日本風(日本の、でもない)の音、まあはっきり言えば「作り声」です。

 松浦さんはさらに昨年のNHK紅白歌合戦の録音テープを「聞いてびっくり玉手箱、何と昭和20年代の藤山一郎や岡本敦郎の朗々たる懐メロ唱法の(下手な)真似ではないか!」と喝破、アマチュアの歯に衣着せぬ発言に感謝! わたくしは、自分の合唱団の練習(自分の仕事場)ではバシバシと物を言って、日本の状況、われわれを取り巻く「音」のレヴェルの低さをまずは各メンバーの頭で理解してもらうように務めていますが、ここでこれらのことを文章にするとなると、1)時間がいくらあっても書ききれない 2)専門家の発言であるから、読んで理解の及ばなかった人や、反論に責任を持たねばならない 3)それらのことをするひまは、今の私には無い、という理由から、今回は松浦さんの美しい「スカーフ」で禁じ手の相撲を取ろうと言うわけです。(本当に声のことで問題を抱えておられる方は、言葉での質問ではなく、実際に私の前で声をお聴かせください。)

 松浦さんは続けます。「千の風」の歌詞についてです。かいつまんで書きますね。これは現代アメリカの貧しい一主婦の作品なのだそうです。1998年に当時92歳でボルティモアに住んでいたメアリ・フライさんと特定したのはアメリカの著名な新聞コラムニストのアギベイル・ヴァン・ブーレン女史。この詩が書かれたのは1932年、フライさんの家で預かっていたユダヤ人女子学生の母親がドイツで死去、ナチの脅威のため帰国が叶わず、泣き悲しむ彼女を励ますために、フライさんは思いの走るままに16行の詩を紙袋をひき裂いた茶色の紙切れに書いて手渡したとのこと。

 フライさんは天性の詩人、ただただ無欲に詩を書き、その後いろいろな人たちに知られどんどん形を変えて全世界に広まって行きました。フライさんは2004年98歳で亡くなり、イギリスの高級紙タイムズには長いオビチュアリー(死亡記事)が載ったとのこと。こんなにはっきりした事実があるにもかかわらず、日本ではいまだに「作詞者不明」ということになっているのだそうです。

コメント(1) [コメントを投稿する]
_ わたり鳥 2007年06月13日 03:26

拙文「千の風」をふんどしならぬ「スカーフ」に使ってお相撲をとると断っていらっしゃる通り、文中の「日本的西洋音楽」という表現をとりだして、淡野さんが日ごろ考えていらっしゃることへ話しを展開なさいました。<br>私は世界にひろまっている(普遍性のある)あの詩に、新井満はいかにもチャチな、日本でしか歌われないような小学唱歌的旋律をつけたものだなあ、とがっかりしてこの表現を使いました。でもまあ、しょせん流行歌ですから、くそまじめに音楽の質を論じるつもりはなく、私はむしろ社会現象として「千の風」流行の時代背景に関心があります。<br>淡野さんの場合は演奏家の立場から「日本的西洋音楽」という表現に何か響くものがおありなのですね。そこのところもっと詳しく伺いたいです。特に「つくり声」について。というのもファルセット自体が地声でなくつくった声ですし、音楽はarsであるからには、材料を技によって練り上げるもの、だと思うからです。できあがった声が「響くかどうか」が本当の問題なのでは?<br>そしてまた「日本人」はおかしな「無国籍人」にならないで、どうしたら「西洋音楽」に「猿まね」でなく行き着くことができるか、行き着く「べき」なのか、という根本的問題が浮上してきます・・・


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