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ムシカWeb通信


■ 2007/06/25 瀬尾文子 ベルリン通信

瀬尾文子さんからの便りです。せっかくの画像がうまく入らず、ごめんなさい。(6/23受信)

 

淡野先生

 いよいよ明日、マッテーイさんの退職記念礼拝です。我々カントライは礼拝の中で、J.S.バッハのカンタータ第30番、ハスラーの《Cantate Domino》、シュッツの宗教合唱曲集より《Troestet, troestet mein Volk》、それから四声のコラールを会衆と交互にいくつか歌います。

 礼拝の後は、Gemeindehausで盛大な祝賀パーティーが行われます。そのための出し物(コラールの替え歌など)も練習して、準備万端です。懸案だった、カントライの皆からの贈り物は、世界地図つき自転車と、一人ひとりがマッテーイさんとの思い出を綴った、世界にたった一つの本ということに決まりました。作文は、A4の大きさにという以外は、フォーマットも内容も、「おのおの創意工夫すべし、はっきり言って何でもあり」とのモットーで、およそ30人の多様な個性が表現された、まさに世界で唯一の本ができあがりました。

 私も一ページ書きました。何を書こうか、日本語を書き入れることを期待されているようでもあり、うーん…と長いこと悩んだ挙句にひらめいたのは、私が歌を習い始めた12才のころから大切にしている言葉を贈ることでした。それは、世阿弥の「花は心、種は態(わざ)なるべし」(『風姿花伝』より)です。マッテーイさんは、まさにそれを地で行く人だと思ったので。

 私がこの言葉を中学校の音楽の先生に教わったときは、文脈を知らなかったので意味をとりちがえていました。人前で演奏をする上では、テクニック的なことも大事だけれど、それは二の次で、より重要なのは心である、だから心を磨きなさいということだと思っていたのです。(中学の先生は、われわれ生徒に自由に解釈させてくれました。)けれども、『風姿花伝』の当該部分を読んでみると、これは違うようです。

 この言葉の前には、「物数を極むる心、即ち、花の種なるべし。されば、花を知らんと思はば、先づ、種を知るべし。」とあります。つまり、重きはむしろ「種=態(技)」の方にあるのです。

ここで問題になっているのは、能において最も肝心な「花」、それも盛りを過ぎると散ってしまう「当座の花」「時分の花」ではなく、「老骨に残りし花」「まことの花」とは何かということです。そしてそれは、「物数を尽くし」すなわち稽古に稽古を重ね、修行に修行を積み、常に油断もすきもなく、何十年も精励恪勤して初めて到達するものだと世阿弥は説いています。

 マッテーイさんは練習の中で、発声についても曲についても、いわゆる精神論は一切語りません。私たちがもらう注意はすべて具体的・即物的な、楽譜上の事柄です。ただ、それが、尋常ではなく、徹底的なのです。

前にも旅行記で書きましたが、我々ができるまで、あるいは、たとい完壁でなくとも、少なくとも我々が正しい歌い方を会得したとマッテーイさんが感知するまで、くりかえし同じことを言われ、やり直しさせられます。

ついこないだも、マッテーイさんがあまりにも何度も「もう一回!」とやるものだから、誰かが「versprochen?(約束する?)」とちゃちゃを入れたくらいです。

 ともかく、そうやり方で、マッテーイさんは我々に、花の種を知ることを教えていたんだと思います。例の文は、「Die Seele ist die Blume;

Der Samen ist die Kunst.」と訳し、まずはドイツ語の三つの諺と格言、

「Ohne Saat keine Ernte(蒔かぬ種は生えぬ)」、

「Uebung macht den Meister(名人も修行次第)」、

「Vom Herzen - moege es zu Herzen gehen! (心より出でて再び心に至らんことを)」(ベートーヴェン)を組み合わせたような意味だと説明して、それから上に書いたような世阿弥の主張を説明しました。

 作文は、メンバーの一人に、頼んで添削してもらいました。最初お願いしたときは、その必要はなくって、私がいつも(片言で、ということだと思う)しゃべっているように書く方が、喜ばれるんじゃない?と言われたのですが、それじゃあんまりなので(後に残るものだし)、よくお願いして、やってもらいました。

 それから、本文は活字にしましたが、世阿弥の言葉は、日本から持ってきた筆ペンで書いて貼り付けました。出来上がったものを画像にして送ってみます。とても上手いとはいえない字ですが、ドイツ人には上手に見えるはず(?)

 それでは、残りの2ヶ月余りも、有効にすごしたいと思います。

瀬尾 文子

P.S. 博士論文、いよいよ原稿を書き始めました!


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