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ムシカWeb通信


■ 2007/06/24 ア・カペラの時空~谺の戯れ〜

  去る5月20日(日)午後2時30分より、長泉のベルフォーレというホールで沼津婦人合唱連盟主催のコンサートがありました。およそ40年ほど前、この連盟の創設者故中村義光氏が私を沼津の合唱講習会に講師として招いて下さったのがきっかけとなり、なにかことあるごとに沼津の方々とは交流が続き、中村先生亡きあとは、これも中村先生が手塩にかけて育てあげられた「沼津合唱団」の指揮者としてしばらくお世話になりました。「沼津合唱団」のコンサートではヘンデルの<メサイア>、ヴィヴァルディの<グローリア>、バッハの<ヨハネ受難曲>(ヴィンシャーマン指揮、バッハ・ゾリステンと共に)、同じくバッハの<マタイ受難曲>(東京でシュッツ合唱団とともに)、柴田南雄<宇宙について>などを演奏しました。また、この思い出のベルフォーレではバッハの<ロ短調ミサ曲>を演奏、この時はギーベル先生(Agnes Giebel ドイツの歴史的名歌手。リート、オラトリオ歌手として、特にバッハ歌手として世界的名声を得る。)がソプラノ・ソロをして下さり、万感胸に迫るコンサートとなりました。しかし団の高齢化に勝てず、これが「沼津合唱団」最後のコンサートでした。

 今年は沼津婦人合唱連盟が創立三十周年ということで、わたくしたちハインリヒ・シュッツ合唱団・東京が歌わせていただくこととなったのです。なによりも良いプログラムを組みたかったので、選曲と構成には長い時間を費やしました。「合唱」というものをより楽しんで戴くべく、思い切って全部ア・カペラ作品にしました。

 私は、音楽よりもとは申しませんが、作曲家の取り上げた歌詞に強い関心があります。聖書の言葉も、教会暦で決められた朗読箇所などは様々な作曲家が取り上げる頻度が高く、比較検討、演奏、鑑賞すべて楽しみが累乗化します。そこで今回、同じ歌詞、または同じ内容に付けられた作品二編を一組とし、また歌われる内容が遠く近く谺(こだま)し合うものを選んで演奏することにしました。

 シュッツ合唱団は前日の5/19の午後、かれこれ30年以上お世話になっている御殿場のYMCA東山荘に集まり、一時半から夜の九時までびっちりと練習、皆で一泊して朝食後車に分乗、長泉へ向かいました。30分ほどで到着、「ベルフォーレ」のステージでそれぞれの曲に最もふさわしい並び方を試しながら、あっと言う間に三時間が経ちました。モンテヴェルディの「O Primavera おお春よ」では広々とした空間で飛んで来る声の距離を感じさせたかったので舞台を全部使って対旋律が反対の角から聞こえてくるように各パートをぐっと離して配置しました。それとは反対に「Io mi son giovinetta わたしは若い娘」では皆中央に集まり山台に腰を掛け身体をくっつけ合って近距離の囁き声で歌いました。

 バッハの「Singet dem Herrn, ein neues Lied 歌え、主に向かいて新しき歌を」は4声部の合唱二つによる、すなわち8声部の復合唱の曲です。二つのグループの分け方は、例えば各パートに器楽を重ねるという選択をしたならば、一群は木管、二群は弦楽という風に音色に変化を持たすことが可能です。しかし今回は「声のみ」ということなので、各群同人数ですと変化に乏しく、なにか寂しい感じでしたので、あれこれ考えた結果、一群をソロアンサンブル、二群を合唱ということに決定、さてその次は並び方です。本番直前まで下手にソロアンサンブル、即ち4人、上手にそのおよそ七倍の人数が立っていました。どこから聴いても奇妙で、見た目も最悪、特に最終段階の「アレルヤ」では一、二群が一つとなり4声となるという、最高のクライマックスで声が分離して聞こえ、これは大変、と途方に暮れかけたその時、天啓のごとく閃いたのは、眞中にソロアンサンブル、左右に合唱、という配置でした。各パート1,2,の番号を掛けてもらい、あっと言う間に合唱群は二組に。合唱の人たちが急に半分の人数になるということで、「大丈夫ですか?」と尋ねますと「歌い易い」との返事、まあ大丈夫でなくても決行したと思いますが、これが大成功! 核となる音群が中心、応答する音群が左右からのステレオ、最後には一つとなる、という思った以上の効果でした。

 沼津婦人合唱連盟の方がたが用意して下さった美味しいお弁当をいただき、いよいよ開演です。800席ということでしたが、ほぼ満員です。今回はすこしずつお話をしながら進める、というコンサートでしたので、一番最初にバスの人たちにドの音を出してもらい、聞こてくる倍音のソをテノールに、ミをアルト、バスの二オクターヴ上のドをソプラノに出してもらいました。幸いなことに自然倍音の心地良いハーモニーが広がりました。ここで完全に合えば合唱団全員が一つの身体、その日の演奏の基盤が整うというわけです。唐突ですが、民族音楽学者 故小泉文夫氏のフィールドワークによれば、首狩り族のグループは、毎朝首狩りに出る前に声を出し、純正律のハーモニーにはずれた声を出した者は部落に残して出かけるとのこと、また、歌が下手だった人たちはみんな滅んでいったそうです。この日、シュッツ合唱団員の首はまずまず健在でした。

コンサートの内容は主催者のお許しを得て、当日のプログラムを以下に掲載させて戴きます。ではまた。Y.TANNO

ア・カペラの時空

〜谺(こだま)の戯れ〜

2007/5/20[FRI]

長泉・ベルフォーレ

テキスト/訳詞/解説

淡野弓子

はじめに 

 三部からなるプログラムは、第一部 モテット、第二部 マドリガル、第三部 モテットという内容です。取り上げた作曲家はモンテヴェルディ、シュッツ、シャイン、J.S.バッハ、ディストラー、柴田南雄の六人、そしてモンテヴェルディの生まれた1567年5月15日(受洗)から柴田南雄の帰天1996年2月2日までに流れた歳月はおよそ430年、地域はイタリア、ドイツ、日本ということになります。

 音楽の様式はルネサンス、初期バロック、盛期バロック、そして現代ですが、一気に時代を飛び越えたように見える音楽の中に時を超えて呼応する魂を発見し、また勿論、同時代の人々の作品からはその場に吹いた風がよく理解され、巡る時の流れのなかで再び同じような時代精神を感じ取ることもあるわけです。このようなことを探索し、頷いたり共感したりする楽しみを、これからのひととき、皆様と共に味わえるなら、これに勝る喜びはありません。

第一部

 最初の曲はシュッツのモテット「涙と共に種蒔く人は」です。シュッツは33歳から63歳という成人男子の最も充実し、また気迫に富んだ年月を三十年戦争という、ドイツを荒廃の極みへ導いた悲惨な状況の中で過ごさねばなりませんでした。この曲の収められている<宗教合唱曲集>はこの三十年戦争が終った1648年に公刊されました。 この曲集には29曲のモテットが収められており、シュッツがイタリアのポリフォニーに学んだ技法を完全にドイツのものへと移し替えていったプロセスとその成果を聴くことが出来ます。また彼はドイツ語というものを良く理解し、その本質に潜む精神的な、また肉体的な、さらに霊的なパワーまでをも、音として表現することに成功したのです。一つひとつの単語やフレーズが「正にその通り」という音型やリズム、ハーモニーとして表現されています。

Heinrich Schuetz (1585-1672) ハインリヒ・シュッツ

aus <Geistliche Chormusik 1648>

 <1648年 宗教合唱曲集>より

Nr. 10  SWV378 第10番  ア・カペラ 5声

Die mit Traenen saeen 涙とともに種蒔く人は

Die mit Traenen saeen 涙とともに種蒔く人は

werden mit Freuden ernten. 喜びの歌と共に刈り入れる。

Sie gehen hin und weinen 種の袋を背負い、

und tragen edlen Samen 泣きながら出ていった人は

und kommen mit Freuden 束ねた穂を背負い

und bringen ihre Garben. 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

詩編126;5-6

 次は同じ歌詞によるシャインの作品です。シュッツと一歳違いのシャインは1586年生まれです。シュッツ、シャイン、そして1587年に生まれたシャイトをまとめて三大Sなどと称していますが、中でもシャインは肌理細やかな感受性、叙情性を秘めた作曲家でした。シュッツはドレスデンの宮廷楽長でしたが、シャインはライプツィヒの聖トーマス教会の合唱長を勤めていました。この職は後にバッハも受け継ぐ事となった伝統ある地位です。シュッツは87歳の天寿を全うしましたが、シャインはその半分の年月しか生きられませんでした。二人は親友同士でした。

 「涙とともに種蒔く人は」は、三十年戦争が始まって五年目の1623年に公刊されたモテット集<イスラエルの泉>(全26曲)に収められています。これらのモテットは‘マドリガル’のスタイルで書かれており、シュッツの<カンツィオネス・サクレ 1625>(40曲からなるラテン語のマドリガル・モテット集)とは同時代のモテット集として並び称されていますが、それぞれの作風は異なります。この「涙とともに種蒔く人は」も同じ歌詞を用いていながら、シュッツの骨太さとシャインの繊細さ、同じく、開かれた公同性と内面的な訴えなど異なった印象を与える音楽ではありますが、三十年戦争の嵐を正面から受けた二人の作曲家の鮮烈な魂の叫びであることに変わりはありません。

Johann Hermann Schein (1586-1630) ヨハン・ヘルマン・シャイン

aus <Israelsbruennlein 1623>

 <1623年 イスラエルの泉>より

Nr.3 第3番  ア・カペラ 5声

Die mit Traenen saeen 涙とともに種蒔く人は

Die mit Traenen saeen 涙とともに種蒔く人は

werden mit Freuden ernten. 喜びの歌と共に刈り入れる。

Sie gehen hin und weinen 種の袋を背負い、

und tragen edlen Samen 泣きながら出ていった人は

und kommen mit Freuden 束ねた穂を背負い

und bringen ihre Garben. 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

詩編126;5-6

 次の曲も<宗教合唱曲集>に収められているものです。テキストはパウロが「信仰によるまことの子」と呼んだ弟子のテモテへ宛てた手紙(新約聖書)の一節です。この作品の初稿は、他でもないシャインが死の床で、この歌詞で自分の葬儀のモテットを書いて欲しい、とシュッツに依頼したものなのです。シュッツはそれを作曲し(1630年)、後に手を入れ18年後の1648年、他のモテット28曲と併せて<宗教合唱曲集 1648>とし、シャインの思い出のために縁りの地ライプツィヒの市参事会と聖トーマスの聖歌隊に捧げました。シャインの<イスラエルの泉>とシュッツの<宗教合唱曲集>は同じものをひたと見据えた者にのみ通ずる深い絆で結ばれています。

Heinrich Schuez (1585-1672) ハインリヒ・シュッツ

aus <Geistliche Chormusik 1648>

<1648年 宗教合唱曲集>より

Nr. 20    SWV388 第20番  ア・カペラ 6声

Das ist je gewisslich wahr それは確かなまこと

Das ist je gewisslich wahr この言葉は確かな真実で

und ein teuer wertes Wort, そのまま受け入れるに値いします。

dass Jesus Christus kommen 「キリスト・イエスは、

in die Welt, die Suender selig zu machen, 罪人を救うために世に来られた」

unter welchen ich der fuernehmste bin. わたしはその罪人の中で最たる者です。

Aber darum ist mir Barmherzigkeit widerfahren, しかし、わたしが憐れみを受けたのは、

auf dass an mir fuernehmlich Jesus Christus キリスト・イエスがまずそのわたしに

erzeigete alle Geduld 限りない忍耐をお示しになり、

zum Exempel denen, わたしがこの方を信じて

die an ihn glauben sollen 永遠の命を得ようとしている人々の

zum ewigen Leben. 手本となるためでした。

Gott, dem ewigen Koeige, 永遠の王、

dem Unvergaenglichen 不滅で

und Unsichtbaren und allein Weisen 目に見えない唯一の神に、

sei Ehre und Preis in Ewigkeit! 誉れと栄光が世々限りなくあるように。

Amen. アーメン。

テモテへの手紙一 1;15-17

 音楽は一気に20世紀へ。フーゴー・ディストラーは1908年にドイツのニュルンベルクに生まれた音楽家です。プロテスタントの教会音楽の世界で歴史に刻まれる傑作を遺しましたが、日本では馴染みの薄いフィールドのため、「知る人ぞ知る」作曲家かも知れません。彼はハインリヒ・シュッツに私淑し、シュッツの、イタリア・ルネサンスのポリフォニーに基礎を置く揺るぎない技法の上に、多くの調性を同時に重ね、各パートが異なったリズムで進行する斬新な世界を創出しました。五度音程が多用され、一つの音から生まれる五度倍音がどこまでも立ち昇り、たった一音と他の全ての音が実は響き合うものであることを、そのテキストを通して実感させることに成功しています。

 シュッツの書いたモテットと同じテキストを用いて書かれた次のモテットを通して、一音の持つ強さ、その広がりと彩りを楽しんで戴けるのではないでしょうか。シュッツのモテットには書かれていない最後のコラールはディストラーのアイディアと思われますが、複雑なモテット部分とは極めて対照的で、特に最後のユニゾンには驚かされます。

Hugo Distler(1908-1942) フーゴー・ディストラー

aus <Op.12 Geistliche Chormusik>

<作品12 宗教合唱曲集>より

Nr. 8 第 8番  ア・カペラ 4声

Das ist je gewisslich wahr それは確かなまこと

Das ist je gewisslich wahr この言葉は確かな真実で

und ein teuer wertes Wort, 「キリスト・イエスは、

in die Welt, die Suender selig zu machen, 罪人を救うために世に来られた」

unter denen ich der vornehmste bin. わたしはその罪人の中で最たる者です。

Das ist je gewisslich wahr. この言葉は確かな真実です。

Aber darum ist mir Barmherzigkeit widerfahren, しかし、わたしが憐れみを受けたのは、

auf dass an mir vornehmlich Jesus Christus キリスト・イエスがまずそのわたしに

erzeigete alle Geduld 限りない忍耐をお示しになり、

zum Vorbild denen, わたしがこの方を信じて

die an ihn glauben sollen 永遠の命を得ようとしている人々の

zum ewigen Leben. 手本となるためでした。

Das ist je gewisslich wahr この言葉は確かな真実で

und ein teuer wertes Wort. そのまま受け入れるに値いします。

Gott, dem ewigen Koeige, 永遠の王、

dem Unvergaenglichen 不滅で

und Unsichtbaren und allein Weisen 目に見えない唯一の神に、

sei Ehre und Preis in Ewigkeit! 誉れと栄光が世々限りなくあるように。

Amen. アーメン。

テモテへの手紙一 1;15-17

Choral コラール

Ehre sei dir, Christe, キリストよ、栄光があなたにあるように

der du littest Not あなたは苦しみに耐えられ

An dem Stamm des Kreuzes 十字架の上で

fuer uns den bittern Tod, 私たちの為に激しい死を迎えられ

Und herrschest mit dem Vater 御父とともに

dort in Ewigkeit; 彼処にて永遠に統治なさって居られます。

Hilf uns armen Suendern わたしたち哀れな罪人を

zu der Seligkeit! 浄福に導いて下さい!

Kyrie eleison, 主よ、憐れみたまえ

Christe eleison, キリストよ、憐れみたまえ

Kyrie eleison. 主よ、憐れみたまえ

第二部

 ここではモンテヴェルディ、シュッツのマドリガルと柴田南雄のマドリガル風の合唱曲が取り上げられています。八巻に及ぶマドリガル集を発表し、その創作の道程がそのまま様式の変革となり、新時代を伐り開いたモンテヴェルディの、20代初めの作品「波はささやき」からお聴きください。

Claudio Monteverdi(1567-1643) クラウディオ・モンテヴェルディ

IL SECONDO LIBRO DE MADRIGALI マドリガル集 第二巻 1590年 

Ecco mormorar l'onde 波はささやき

A 5 voci a-cappella 5声 ア・カペラ 

Ecco mormorar l'onde ほら、波がささやいている

E tremorar le fronde 水際で震えている

A l'aura mattutina e gl'arbor selli 朝の風、谷間の木

E sovra i verdi rami i vagh'augelli 緑の枝、可愛い小鳥たちが

Cantar soavemente そっと歌い

E rider l'Oriente 東の空が笑う

Ecco gia l'alb'appare ほら、夜が明け

E si specchia nel mare 曙光が海に反射する

E rasserena il cielo 空は澄み渡り

E'imperla il dolce gielo 露が優しく真珠のように取り囲み

E gl'alti monti indora 高い山は黄金色。

O bella e vagh'aurora おお、なんと麗しい黎明よ

L'aura e tua messaggiera e tu de l'aura そよ風はお前の使い

Ch'ogn'ar cor ristaura. お前はすべての心を癒す吐息。

 シュッツの生まれる2年前の1583年、モンテヴェルディは16歳にして早くもカンツォネッタ集を出版しています。シュッツは1628年にモンテヴェルディと知り合いますが、最初のヴェネツィア留学は1609年24歳の時でした。巨匠ジョヴァンニ・ガブリエリの許で作曲の修業をしたシュッツは、1611年に<イタリア風マドリガーレ>Op.1 習作 を発表します。当時、作曲家たらんとする者は、その第一歩として<マドリガル集>を創作して出版する、ということが義務付けられていたのです。「おお春よ」はハインリヒ・シュッツの名で世に出た最初の作品です。

Heinrich Schuetz(1585-1672) ハインリヒ・シュッツ

IL PRIMOLIBRO DE MADRIGALI マドリガル集 第一巻 1611年 

O primavera おお春よ

A 5 voci a-cappella 5声 ア・カペラ 

O primavera, gioventu de l'anno, おお春よ、一年の青春よ

bella madre di'fiori, 美しい母、花々の

d'herve novelle, di novelli amori, 新しい草の、新しい恋の

Tu torni ben, お前は元気で戻って来た

ma teco non tornano i sereni, しかしお前と一緒に戻って来なかったのは

e fortunati di delle mie gioie, 清々しくも幸せな私の喜びの日々

Tu torni ben, お前は元気で戻って来たが

ma teco altro non torna, 帰って来ないものがある

che del perduto mio caro tesoro それは私の失った大切な宝

la rimenbranza misere e dolente, 苦しくも悲痛な思い出だ

Tu quella se, お前は申し分なく

ch'ri pur dianzi si vezzosa e bella, ほんとうに優雅で美しい

ma non son io quel che gia un tempo fui しかし私は昔のようではないんだ

Si car'a gl'occhi altrui. お前の眼にあれほど愛らしく映った私では・・

 次はモンテヴェルディの「おお春よ」です。アルプスの北と南では太陽の輝き方がまるで違う、という解釈も出来るでしょう。しかしなんといっても言葉の感じ方、内容の解釈は一人ひとり全く異なるということがこの「O primavera」という言葉一つからもはっきりと知らされます。

Claudio Monteverdi(1567-1643) クラウディオ・モンテヴェルディ

IL TERZO LIBRO DE MADRIGALI マドリガル集 第三巻 1592年 

O primavera おお春よ

A 5 voci a-cappella 5声 ア・カペラ 

O primavera gioventu de l'anno おお春よ、一年の青春よ

Bella Madre de'fiori 美しい母、花々の

D'herve novelle di novelli amori 新しい草の、新しい恋の

Tu ben lasso ritorni お前はしなやかに戻って来たが

Ma senza i cari giorni あの麗しい日々を携えては来なかった

De le speranze mie わたしの希望であったあの日々を

Tu ben sei quella お前は申し分なく

Ch'eri pur dianzi si vezzosa e bella. ほんとうに優雅で美しい

Ma non son io quel che gia un tempo fui しかし私は昔のようではないんだ

Si car'a gl'occhi altrui. お前の眼にあれほど愛らしく映った私では・・

 美しく新鮮な春を迎えたとはいえ、実際にはどんどん変わって行く姿、そして人の心・・・。「おお春よ」で歌われた失望も実は「もし賢いのなら逃げるべし」とちゃんと自ら警告しているのです。そのことの次第を軽妙に歌った「わたしは若い娘」です。

Claudio Monteverdi(1567-1643) クラウディオ・モンテヴェルディ

IL QUARTO 第四巻

LIBRO DE MADRIGALI   マドリガル集 1603年 

Io mi son giovinetta わたしは若い娘

A 5 voci a-cappella 5声 ア・カペラ 

Io mi son giovinetta 「わたしは若い娘

E rido e canto alla stagion novella 笑い歌う、新しい季節に」

Cantava la mia dolce pastorella と、僕の可愛い羊飼いの娘が歌った

Quando subitamente それを聴くとすぐに

Aquell canto il cor mio 僕の心も歌い出す

Canto Quasi augelin vago e ridente 美しく微笑む小鳥のように

Son giovinett'anch'io 僕は若く

e rido e canto 笑い歌う

alla gentil e bella Primavera d'amore 優しく麗しい愛の春に

Che ne begl'occhi tuoi fiorisce お前の眼に花咲く愛の春に

Et ella Fuggi すると彼女「逃げて」

se saggio sei disse l'ardore Fuggi もし賢いのならお逃げ、と情熱も言う

ch'in questi rai この眼の中に

Primavera per te non sara mai. お前の春は決して来ないのだ。

 さて第二部の最後は我が国の作曲家柴田南雄の曲です。マドリガルの系列の最後に日本人作曲家の作品を加えることが出来て嬉しく思います。彼の代表作<宇宙について>にも示されている通り、柴田南雄は西洋の中世から現代音楽に到るまでのあらゆる様式を徹底的に解剖し、分析し、そこで表明されている音楽の核心に迫りました。さらに古典から現代に到る西洋と東洋の哲学、文学、また現地で採集された民謡や密かに伝承されている歌や経文などあらゆるジャンルの言葉をさまざまな様式を用いて音楽としまました。思えば1985年に《シュッツ生誕400年祭》がドイツで催された折、わたくしたちシュッツ合唱団も招待され、ドイツでシュッツ作品を演奏することとなったのですが、「是非日本の曲もプログラムに」との要請を受けたのです。この時ほどシュッツと並べて違和感の無い日本の曲を探し出す難しさを感じたことはありませんでした。考えに考え、ひまさえあれば楽譜屋を覗いていた私の眼に、ある日突然柴田南雄の<宇宙について>が飛び込んできました。譜面を見た途端、決心は固まりました。この作品をヨーロッパに紹介することによって、日本が受容してきた西洋、そして現在の状況と日本人というものも同時に理解してもらえる、と思ったからです。シュッツ合唱団のメンバーに納得してもらうまでが大変でしたが、なんとか<宇宙について>をさらい、旧西独で数カ所、旧東独ではヘンデルの街ハレとシュッツの都市ドレスデンで演奏することが出来たのでした。

 本日歌われる「川の便りを知らせてください」は、<歌垣>という愛をテーマとした合唱曲の終章です。詩句の作者小川国夫は「心に愛がある瞬間には、囲りのすべてのものが有機的な一体として立ち現われることを経験することがあります」と<歌垣>の譜面(柴田南雄<歌垣>全音楽譜出版社)にメッセージを寄せています。悠久の時、自然界の生命の営み、そして人間が、「愛」を仲立ちとして一つになって行く様を表現するのに、人の声によるア・カペラのポリフォニーという媒体と様式ほどにふさわしいものが他にあるでしょうか。

Minao Shibata(1916-1996) 柴田南雄

1983年<歌垣>より

結びのうた(小川国夫詩)混声合唱

川の便りを知らせてください。

彼らは遠い谷をくだるのに、今もあの特別な姿をしているのでしょうか。

ポプラ並木の便りも知りたい。

彼らのなつかしい声が聞こえるような便りをください。

鳥よ、便りをください。

春がすみの中で、険しい岩の隙間で、

鳥よ、どのように生きているのですか。

波よ、限りなく自由な波よ、知らせてください。

不思議な生きかたをやめない海と魚たちの秘密を。

闇よ、限りなく豊かな闇よ、

あなたが腕に抱いているものたちは、どのように、

新しく生まれる準備をしているのでしょうか。

その沈黙を聞かせてください。

光よ、あなたは自分を

すべての時と所に注いでくれるのでしょうか。

すべての人の家と人の胸に注いでくれるのでしょうか。

希望します。

どうかその意思を、打ち明けてください。

第三部

 再びモテットの世界へ。「歌え、主に向かって新しき歌を」は旧約聖書の詩編にしばしば出て来る讃歌ですが、この歌詞の持つ躍動感と生命力は古来多くの作曲家たちの心を動かし、実はこの歌詞に付けられた合唱曲、独唱曲、重唱曲は大変な数に上ります。本日は第一部でご紹介したフーゴー・ディストラーの作品と極めつけのJ.S.バッハの二重合唱を歌いたいと思います。

 ディストラーの曲では 冒頭で Singet=歌え との言葉が長く引き伸ばされ、グレゴリオ聖歌風のメリスマで登場し、続いてたった二つの音符で終わる短い singet が様々な調性で同時に爆発的に歌われるという、同じ言葉を際立って対照的な表現に委ねた異色の作品です。

Hugo Distler(1908-1942) フーゴー・ディストラー

aus <Geistliche Chormusik Op.12>

<宗教合唱曲集 作品12>より

Motette Nr.1 モテット第一番 4声部

Singet dem Herrn ein neues Lied 歌え、主に向かって新しき歌を

I. Singet dem Herrn ein neues Lied, 歌え、主に向かって新しき歌を

denn er tut Wunder! 主、奇しき御業行ない給うがゆえに。

II. Und er sieget mit seiner Rechten. そしてその右の御手によって勝利された。

Jauchzt dem Herrn alle Welt! 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。

Singet, ruehmet und lobet , singet! 歌え、誉め讃えよ、歌え!

III. Lobet den Herren mit Harfen und mit Psalter 主を讃えよ、ハープと琴に合わせ

und mit Trompeten und Posaunen! トランペット、トロンボーンもともに!

Das Meer erbrause, und was darinnen ist, 海よ、轟け、また海に満ちるものも

der Erdboden, und die darauf wohnen, 地とそこに住むもの

die Wasserstroeme frohlocken 潮よ、快活に

und alle Berge seien froelich vor dem Herrn! 全ての山々よ、主の前に喜べ!

Singet dem Herrn ein neues Lied, 歌え、主に向かって新しき歌を

Singet, ruehmet und lobet, singet! 歌え、誉め讃えよ、歌え!

詩編98;1,4-9

 最後はバッハです。バッハはシュッツの100年後に生まれ、1723年38歳から1750年の死の年までライプツィヒの聖トーマス教会合唱長として働き、200曲以上のカンタータを、また受難曲を、オラトリオを遺しました。シュッツの時代までは、教会の礼拝におけるア・カペラのモテットは最も重要な形態でしたが、以後徐々に器楽が進出したことも手伝って、バッハの時代には器楽を伴ったカンタータに席を譲って行きます。このような理由からか、バッハの作品の中でもモテットは、特別の機会、婚礼、葬儀などのために作曲されました。この作品は1727年5月12日のアウグスト強王の誕生日のために作曲されたと考えられています。

 曲は四つの部分から成り、最初の合唱は、詩節一行ごとに新しいテーマが現れてフーガとなり、それが休み無く次から次へと発展して行きます。まことに、恐ろしい程に息の長い堂々たる音楽です。二つめは第二群の合唱がコラールを歌い、それに第一群がアリアで応えるという形です。二つの合唱は全く異なった性質を持っています。三つめは再び同じかたちの合唱が二つに分かれて同じ歌詞を歌い交わします。最後にその二つは一つとなり四声体のフーガとして「息あるものはすべて主を讃えよ」と歌い上げて幕となります。「幕」と書いてしまいましたが、この曲は、人は常に新しい声で永遠に歌い続けるであろう、決して止めない、といった喜びの予感、否、確信を呼び覚ます不思議な力に溢れています。

Johann Sebastian Bach (1685-1750) ヨハン・セバスチアン・バッハ

Motette Nr.1  BWV225 モテット第一番 二重合唱 8声部

Singet dem Herrn ein neues Lied 歌え、主に向かって新しき歌を

Coro 合唱(SATB・SATB)

Singet dem Herrn ein neues Lied, 歌え、主に向かって新しき歌を

die gemeine der Heiligen sollen ihn loben, 聖徒の群れは主を讃えるべし

Israel freue sich des, der ihn gemacht hat. イスラエルはその造り主を喜ぶ。

Die Kinder Zion sei'n froelich ueber ihrem Koeige, シオンの子らは彼らの王を喜び

sie sollen loben seinen Namen im Reihen, 輪の中でその御名を讃えるべし

mit Pauken und mit Harfen sollen sie ihm spielen. 太鼓とハープを奏でて。     詩編149;1-3

Choral und Arie コラール(SATB)とアリア(SATB)

Wie sich ein Vat'r erbarmet 父が憐れみ給うように

Gott, nimm dich ferner unser an, 神よ、ずっと御心にかけて下さい

Ueb'r seine junge Kinderlein, その幼い子供たちに

Gott, nimm dich ferner unser an, 神よ、ずっと御心にかけて下さい

So tut der Herr uns allen, そのように主は私たちすべてに

Gott, nimm dich ferner unser an, 神よ、ずっと御心にかけて下さい

So wir ihn kindlich fuerchten rein, 私たちは子供のように主を畏れています

Gott, nimm dich ferner unser an, 神よ、ずっと御心にかけて下さい

Er kennt das arm Gemaechte, 主は弱い被造物を知っておられ

Gott, nimm dich ferner unser an, 神よ、ずっと御心にかけて下さい

Gott weiss, wir sind nur Staub, 私たちが塵にすぎないことをご存知です

denn ohne dich ist nichts getan あなたなしでは何事も

mit allen unsern Sachen; われらのことはすべて成されなかったのです

Gleich wie das Gras vom Rechen, 熊手で刈られる草のように

Gott, nimm dich ferner unser an, 神よ、ずっと御心にかけて下さい

Ein Blum und fallend Laub! 一輪の花も落ち葉も

denn ohne dich ist nichts getan あなたなしでは何事も

mit allen unsern Sachen. われらのことはすべて成されなかったのです

Der Wind nur drueber wehet, 風が吹けば

Gott, nimm dich ferner unser an, 神よ、ずっと御心にかけて下さい

So ist es nicht mehr da. すべてなくなってしまうのです

Drum sei du unser Schirm und Licht, ですから主よ、どうか私たちの楯、

光となってください

und truegt uns unsre Hoffnung nicht, そして私たちの希望を欺くことなく

so wirst du's ferner machen. ずっとお守りください

Also der Mensch vergehet, 人は滅びます

Sein End da ist ihm nah. その終わりは近いのです

Wohl dem, der sich nur steif und fes 幸いなるかな、唯ひたすらに

auf dich und deine Huld verl刊t. あなたとあなたの庇護に身を委ねるものは。

詩編103;13-16

コラール:グラーマン作 詩編103によるコラール第3節

Coro I & II 合唱(IとII)

Lobet den Herrn in seinen Taten, 誉め讃えよ、主を、その御業の故に

lobet ihn in seiner groァen Herrlichkeit! 彼を誉めよ! その偉大なる栄光にあって

Cori unisoni 合唱(IとII ユニゾン)

Alles, was Odem hat, lebe den Herrn, 息あるものはすべて主を讃えよ

Halleluja! ハレルヤ!

詩編150;2&6

[淡野弓子 私訳]


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