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ムシカWeb通信


■ 2007/06/04 瀬尾文子 その七

 3回目、4回目のコンサートは共に夜で、それぞれラウエンシュタイン、グラースヒュッテという街の中心にある教会でした。ラウエンシュタインには午後早くに着いて、東エルツ山地博物館になっているラウエンシュタイン城を見学しました。そういえば、この「東エルツ山地Osterzgebirge」という言葉は、Ost, Erz, Gebirgeの三つの部分から成るのですが、私は最初見まちがえて、みんなの前で「Ostergebirge(Oster+Gebirge復活祭山地?)」と読んでしまい、笑いを買いました。時期が時期だから仕方ありません。

  博物館の別館で、1時間近くの「鷹狩り」実演も見ることができました。ただし、これは建物の中だったので、ちょっと貧弱な印象でした。働かされるのは小型の鷹で、ずっと鎖をつけられているので、面白くないと言うか、痛ましい感じがしました。いつだったか、ハイルブロンのホストファミリー、バーライス夫婦に連れていってもらった、グッテンベルク城砦Burg Guttenbergの鷹狩りショーは、丘陵地の絶壁で行われるもので、解き放ったオオタカを自在に操っていて、すごく迫力がありました。

 ラウエンシュタインの気温は2、3℃で、久しぶりに凍えました。ところが、ここでもまたハプニングが。開演1時間半前になり、教会でプローべを始める時刻になったのですが、先に教会に入ってオルガンの練習をしていたヘルビヒ氏が、中からカギをかけていたので、入れなかったのです。カギは一つしかないとのことで、我々は必死になって「開けて〜!」と叫び、みんなで窓を叩いたり、扉に体当たりしたり、声を合わせて名前を呼んだり、知らぬ人が見たら何事かと思うような騒ぎでした。

 ラウエンシュタインの教会(Stadtkirche St.Marien und Laurentin)は、後期ゴシックのホール式教会ですが、この演奏旅行中にコンサートをした教会の中で、私が一番美しいと思う内装でした。祭壇は大きな白い砂岩の彫刻でできていて、17世紀初頭の作品だそうです。それから、ここには、初代イェームリッヒが初めてオルガン製作家として名を成したザクセン第一号のオルガン(1819年1月23日奉献)があります。(東京では、すみだフォニーホール、聖イグナチオ教会、私の母校女子学院などにイェームリッヒ社製のオルガンがあります。)この教会のオルガンは過去に過酷な経験をしています。長いこと悪い状態で放って置かれたのちに、2000年になってようやくイェームリッヒ社によって全面的な修復がなされ、そのわずか3年後、火事で大部分が燃えてしまったのです。けれどもこの楽器の価値を知る人々の努力によって、2005年11月6日に、再び元の姿と音を取り戻しました。この教会は音響も美しく、オルガンの音も一つ一つが空気に包まれてきれいに聞こえてきました。

 この日のコンサートは、ジョスカンがいままでの中で一番うまくいきました。


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