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ムシカWeb通信


■ 2009/12/21 メンデルスゾーン・イヤーいよいよ終盤に・・・

 11/18の<レクイエムの集い>に戴いたご感想をお伝えすると書きましたが、その前に一便。12/13(日)の午後のお話を。

 メンデルスゾーン・イヤーもあと2週間ちょっとで終るとあって、12月はメンデルスゾン行事で一杯です。12/13の午後、私たちシュッツ合唱団とメンデルスゾーン・コーアは、立教大学の第1食堂で行われたメンデルスゾーン基金日本支部の主催するクリスマスパーティ「クルト・マズーア教授を囲む会」に出席しました。ドイツから来られたメンデルスゾーン・ハウスの館長クリスティアーネ・シュミットさん、イギリスの学者ピーター・ウォード・ジョーンズ博士、この方はナチ時代にイギリスに渡ったメンデルスゾーンの子孫たちが残したさまざまな書簡などを蒐集され、研究しておられるとのこと、またメンデルスゾーンの全作品のカタログを作られたラルフ・ヴェーナー博士などが出席され、日本のメンデルスゾーンを愛する方々も沢山おいでになり、メンデルスゾーン・ルネサンスの機運を実感しました。

 私たちは、メンデルスゾーンの詩編やモテットをメインにシュッツ、プレトリウスなどのクリスマスを祝う歌を歌いました。また「げに麗しき暁の星」のコラールが付いたコルネリウスの「三人の王は」をマズーア夫人トモコさんのソプラノと合唱で演奏しました。彼女はリオ時代、私の教えていた「ハインリヒ・シュッツ・ド・リオ」のメンバーでした。ドイツの演奏旅行でも何度も一緒に歌いました。久しぶりのトモコとの共演で、古い思い出が一度に甦り、「時」というものが途絶えていないことに気付かされました。そればかりか、今年のクリスマスも2000年前の「イエス』の誕生以来まぎれもなくつながっているのです。時とは、生命とは、そして人間とは一体何なのでしょう?

 私は、次の日12/14が「シュッツ合唱団 40年の軌跡 その2」の締め切り日だったので、1972年頃から75年までを必死に綴っている最中でした。この時期はまさに私のリオ時代にあたり、桃子は歩き始めたばかり、太郎は全くの赤ん坊でしたが、そこへトモコがヴァイオリン一挺抱えてジーンズ姿でやってきたのでした。リオの空港に降り立ったトモコが遠くから私たち家族を見つけ、その場でピョンピョンと嬉しそうに飛び上がった姿、その後に起こった様々なドラマティックな事件の数々を次々に思い出し、脳は温泉状態に。まあとにかくこれらを書いて行くとなると更新がいつになるか分かりません。今夜はこれでひとまず失礼致します。


■ 2009/12/22 シュッツのこと/クリスマス・コンサートのご案内

 12/15(水)シュッツ協会の会合が東京文化会館の会議室で開かれました。正式には国際ハインリッヒ・シュッツ協会日本支部というのです。これまで支部長であられた服部幸三先生が10月8日(シュッツの誕生日!)にお亡くなりになり、後任の支部長選出という重大な議題を抱えての会合でした。事務局長の荒川恒子先生は10月にブレスラウで行われた「シュッツ祭」に参加なさり、ポーランドの人々の暖かさ、優しさは格別のものであったこと、またシュッツ協会本部の事務全般を背負っておられる Sieglinde Fröhlichさんの肌理の細かい心遣いに感激されたことなど話して下さいました。それにつけても、今世界中でシュッツを大切に思う人の数が減少しているという現状は誠に残念且つ実に憂うべきことです。どのような音楽を演奏し、また聴くか、ということは、自然環境破壊の問題と同列に扱わねばならぬほど重要なことと私は思います。どのような音楽、と言った意味は、言い換えればこの世に必要な音楽、あった方が良い音楽という意味で、人間が生きて行く上でその人を本質的に強め、人として自然な状態に置く力のあるものということです。藝術作品としての優劣を云々しているのではありません。

 しかし、シュッツに関しては驚いたことがありました。娘の桃子は北欧系アメリカ人と結婚したのですが、彼のお父さんはフィンランドの出身で祖国には当然多くの親類が生活しています。その人たちの一人がお土産にくれたCDがシュッツのモテット集だったのです。勿論桃子の母親がシュッツの演奏家であるなどということは露知らず、です。そのCDの演奏は、うっかりすると東京のシュッツ合唱団ではないか、と思うほど私たちに良く似ていて、これにもびっくりしました。

 シュッツはひと口に言うと「難しい」音楽に属するとはいえ、ポリフォニーを構成する各声部の動きは驚くほど人間の声帯と筋肉に適合していて、歌えば「頭がはっきりし」「元気になる」音楽です。勿論練習を重ね、勘所がピシッとしてくれば、この世を作っている一粒一粒の粒子があるべきところにあるべき姿で生きて動いているのを実感するような、そんな幸せに恵まれるのです。

 と言いつつも12/23(水・祝)午後5時の<本郷教会クリスマス・コンサート>はバッハとメンデルスゾーン、それに幾つかの愛らしいクリスマスの音楽を合唱と合奏でお届け致します。詳細はスケジュール欄をご覧下さい。ご来会を心よりお待ち致しております。


■ 2009/12/30 Gottlob! nun geht das Jahr zu Ende  やれやれ! 今年も終るぞよ

 12/28(月)夜六本木で、メンデルスゾーン基金日本支部の関わったメンデルスゾーン生誕200年記念行事のすべてが終った「お疲れさま」の食事会が行われ、やれやれ本当にご苦労様でした。

 12/17(木)に行われるはずだったペーター・シュライアー氏の公開レッスンが氏の心臓の具合が思わしくなく、長時間の飛行機の移動が難しくなったため、直前にキャンセルという残念な結果となったことを除けば、後はすべてが順調で気持ちのよい進行でした。

 12/18(金)にはゲーテ・インスティトゥートでイギリスの学者ピーター・ウォード・ジョーンズ博士(メンデルスゾーンの書簡研究)、ライプツィヒから来られたラルフ・ヴェーナー博士(メンデルスゾーンの作品目録作成)、日本の音楽学者星野宏美教授(日本におけるメンデルスゾーンの受容)がそれぞれの研究成果を発表され、実に知られているようで、まだまだ誰も知らないことが沢山隠されているのだなあ、と皆感嘆しきりでした。

 12/19(土)と12/20(日)は我々のクリスマス・コンサートの練習もありましたが、19日の夜は日経ホールでゲヴァントハウス弦楽四重奏団によるクァルテットと岡山潔弦楽四重奏団を交えて八重奏曲が演奏されました。8歳ごろから作曲の勉強を始めたメンデルスゾーンは、年を追うごとに自由に操れるフーガの声部も増え、8声部の対位法が書けるようになった16歳の時の作品がこの有名な八重奏曲です。実に見事な仕上がりで、この技術はこの曲の終楽章に結実します。この日の演奏は極めて上質、特に最後の8声のフーガは明晰かつ高雅、理論派にも情緒派にも満足だったのではないでしょうか。

 それにつけても、一連のメンデルスゾーン行事を東京のみならず金沢、大阪でもこなされ、且つそのあと4回の「第九」をN響と共に演奏された82歳のマズーア教授、本当に驚異的エネルギーでした。そして、準備の段階から後始末までその全てを、愛嬌に溢れた笑顔と立て板に水の三ヶ国語(英・独・和)で支えたトモコ夫人。一人の人間の成長ぶりを目の当たりにすることほど、喜ばしいことはありません。

 12/23(日)いよいよ本郷教会のクリスマス・コンサートです。太郎が普段合唱で歌っているプレトリウスの小曲をうまく楽器紹介と結びつけ、サックバット四重奏で「見よ、バラは咲く」、弦楽四重奏で「歌え、奏でよ」、オーボエ三重奏で「甘き喜びのうちに」が演奏され、これはなかなか新鮮で評判も良かったようです。

 そして勿論この日も最初がメンデルスゾーンのモテット<待降節に>、最後が<降誕節に>、そして中央に彼のコラール <主なる神、汝をほめたたえん> が演奏されました。このコラールはラテン語の祈り「Te Deum」のルター訳ドイツ語版につけられた曲で、2つの4声合唱、サックバット4本の1群に4声部の弦楽の1群という計4群による作品です。メンデルスゾーンの知られざる一面といった意味では演奏した甲斐のあった音楽でした。

 この他にバッハのカンタータ2曲、第57番<試練を耐え忍ぶ人は幸いなり> 、第28番 <神は頌むべきかな! いまや年も暮れ> 、また冒頭にはコダーイの<来たりませ、来たりませ、インマヌエルよ> が、続いてコルネリウス<3人の王たちが東方より>も歌ったのでした。盛り沢山のプログラムでしたが、お客様も満杯という、祝福に充ちたクリスマスでした。感謝!

コメント(2) [コメントを投稿する]

_ 藤本 桂太 [先生 あけましておめでとうございます.今年もよろしくお願いします. 1月13日ですが,招待券をご用意しましたので,..]

_ Y .TANNO [藤本君 クリスマスコンサートに来て下さり、久しぶりにあなたに会えて嬉しかったです。また13日にはご招待下さるとのこと..]


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