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ムシカWeb通信


■ 2007/08/02 ミネアポリスの事故

 只今日本でも報道されておりますミネアポリスの橋崩落のニュースですが、皆様にもご心配をお掛けしているといけませんので、ご報告申し上げます。桃子、茜は家に居て無事、茜の父親は橋の手前で交通規制に遭い迂回した、とのことです。他事ながらご安心下さいませ。(07/8/2 正午)

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コメント(3) [コメントを投稿する]

_ 羽鳥 [良かったです!先生に連絡したものやらどうやら、気を揉んでいました。しかし恐ろしい事故ですね。]

_ 淡野弓子 [羽鳥さん、ご心配戴きありがとうございます。桃子の夫は電話口で「あと5分で橋、というところを走っていた」と言っていまし..]

_ 小西久美子 [絶句!肌に粟の思いで画面をみていました。間一髪で災厄をのがれられたのですね・・・何が命と死とを わかつのでしょうか・..]


■ 2007/08/18 聖母マリアの夕べの祈り

 久々に初期バロックの世界に。8/11、12の午後、上荻の本郷教会でモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」とシュッツのシンフォニエ・サクレからコンチェルトの練習をしました。この二人のエネルギーは桁はずれでしかもアイディアが強烈、暫し暑さを忘れるほどでした。

 と、ここまではよかったのですが、8/15(水)終戦記念日の日の練習は悲惨でした。五反田のクロイツ教会というところにはクーラーがなく、首の長い扇風機が一本、という礼拝堂、なんといっても音の響き方が素敵なので何十年もお世話になっているのですが、ドイツ人教会で、ドイツの方は夏は東京にいらっしゃらないらしく、クーラー云々は私たち夏も練習を休まない輩のみの問題、30名余の大人がそれぞれ手に団扇を持ち、「これが一番」などといい乍らパタパタパタ・・・・。私はと言えば「欲しがりません勝つまでは」の言葉が瞬時に出て来る悲しい戦争体験者の一人ですから、水分補給も忘れて3時間がんばった結果、10時過ぎには「なんか頭がいうことをきかないのよ」という状態に。息子の太郎が「母さん、水、水、スポーツドリンク!」と叫ぶので、ポカリスウエットを。こんなに水分とは肌身に沁みるものか、と感激。大げさでなく命拾いをした感じでした。翌日の練習もクロイツでしたが、ここでは途中で水を飲み、無事家に辿り着きました。

 さて、モーザーという大音楽学者の書いた「ハインリヒ・シュッツ」という大著の中で「モンテヴェルディは錬金術師であった」という一行に刺激され、ここ十数年何十冊という関係書物を読み、「聖母マリアの夕べの祈り」の研究を続けているのですが、進めば進む程道は迷路また迷路、出るに出られずという状態が続いています。これまでに二度行なった公演(1990年・武蔵野市民文化会館大ホールと1994年・東京カテドラル)は怖いもの知らずで突進、今考えると・・・・。まあこう言ってしまっては身も蓋もないのですが、考えて分からない事でも、音にするとピンと来る、ということが実際には良く起こるので、今回も演奏するのですが。

 この曲は「主よ、早く来てわたしを助けてください」という切羽詰まった人間の叫びに答えて主が人間界に人間の身体を持った神、即ちイエス・キリストを誕生させよう、という壮大な愛の計画が語られており、最初は暗示的なイメージに過ぎなかったものが、徐々に時や場所、誰を母とするか、など具体的な話に変化し、遂にマリアの胎内でイエスが踊るような場面まで音にされ、感極まったマリアの感謝の歌「マニフィカート」で終わるという作品です。このようなプロセスを、錬金術の言う「卑金属が金となる」過程と重ね、暗く閉ざされた各々の人の心に本当の「キリスト」が芽生えるまでの、個々人の開眼への階梯と捉える、という解釈は、実はモンテヴェルディ、シュッツ、ブクステフーデ、さらにはバッハへと受け継がれた精神の地下水脈でもあるのです。

 8/19(日)午後5時より上荻の本郷教会サマーコンサートでこの作品を演奏致します。また、シュッツのコンチェルトも数曲用意致しました。暑気払いをかねてお越し戴ければ幸いです。


■ 2007/08/27 瀬尾文子 ベルリン便り(最終便)

淡野先生

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_ 坂戸の瀬尾 [ドイツから帰って来たの? お父さんは喜んだでしょう。]


■ 2007/08/30 充実の一年、おめでとう!

  モンテヴェルディもシュッツも興奮のうちに終了、その後私は公開講座の準備に追われ、演奏後の感想を書くひまがなく、失礼しておりました。と、瀬尾さんから「ベルリン便り」が届き、今更のように彼女の充実の一年間に感動した次第です。特に彼女がエピファニエン教会のカントール、マッテーイさんの指揮するカントライで歌わせて戴けたことは、彼女のみならず、私達シュッツ合唱団にとっても大きな喜びです。2002年にシュッツ合唱団がこのエピファニエン教会でコンサートをさせて戴いた折、このマッテーイさんが私達のためにメシアンを弾いて下さいました。その演奏とお人柄のなんともいえぬ暖かさにすっかり感激、またその時に戴いた「エピファニエン教会の歴史」という冊子の中で、マッテーイさんがお書きになった<1968年〜1991年のエピファニエン教会の教会音楽>という記事にもいたく心を打たれ、「ベルリンに留学するなら是非この教会とマッテーイさんを訪ねてごらんなさい」と瀬尾さんに勧めたのでした。思っていた以上の素晴らしい出会い、しかもマッテーイさん任期最後の一年間、という、やはりこれは「お恵み」であったのでしょう。瀬尾さんは8月31日に東京着、9月2日(日)には公開講座の初日、バッハ・カンタータ78番の練習に来てくれるとのこと、皆再会を楽しみにしています。しかし一年とはあっと言う間ですね。言わずもがなですが、やはり言ってしまいました。

コメント(2) [コメントを投稿する]

_ 瀬尾文子 [ありがとうございます!元気に帰国致しました。 最後の通信に書いたとおり、マッテーイさんは最後に私一人のために、40分..]

_ 淡野弓子 [40分のコンサート、しかも瀬尾さん一人のために! やはり マッテーイさんは本当の音楽家の魂を持った方ですね。 奇妙な..]


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