《ブロッケス受難曲》の本番が終ってすでに5日が過ぎました。いやはや、こんなに我が身の危険を感じつつ歌い終えた本番も珍しい。5時半開演、終演9時ちょっと前。全体で106ナンバーあるうち、私の歌った「シオンの娘」のレシタティーヴォとアリアは24曲、およそ5分の1です。時間にして正味40分ほどでしょうか。12月に指揮者のオーディションを受け歌うことが決まってからほぼ100日間、ただたださらいました。最初のうちは1日3時間半さらっても4曲ぐらいしか進まず、1曲、1曲とだんだん形にはなるものの、全部歌い通せるのかが不安でした。また「シオンの娘」は普通の意味での一人格ではないので、作者が「シオンの娘」という役柄を通して何を伝えたいのかがはっきりせず、五里霧中の日々でした。「シオンの娘」の発言は生々しく直情的で、そのヒステリックな物言いから、なにか抑えているものがあるなと思いました。そしてそれがイエスに対する愛だと分かったのです。信仰的な愛は「信徒の魂」という役が語りますが、それとは別に「シオンの娘」はもっと生々しくイエスにすり寄って行く女性なのだということがはっきりしてきたのです。ここまで分かるのに2ヶ月ぐらいかかったように思います。
彼女を客観的に演ずるというのはその台詞が許しませんでした。この世あの世の化け物がすべて彼女に憑衣しているのではないか、と思うより先に私がシオンの娘に乗っ取られたように感じました。こんな恥ずかしい有り様だったのですが、それでも1曲だけ、荒れ狂うシオンの娘を説得して正気に戻し、型を崩さず厳粛に歌った曲がありました。ユダが後悔と煩悶の長いレシタティーヴォの最後に「首を吊ろう」といった後に歌うユダへの挽歌です。ひれ伏したくなるような名曲でした。
翌日、私の机の上には太郎が持ってきたらしいシュッツとバッハの譜面が置かれていました。次の本番はイースター4/16(日)です。歌ってみるとこれが本当に不思議なことに身も心も軽々とホイホイと歌えてしまうのです。こんなに疲れているのにと思いましたが、理由は簡単、「復活」の歌だからです。オンガクってやっぱり大したものですね。
]]>早や11月、冷え込んでまいりました。
皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
お知らせが大変遅くなり恐縮至極ではございますが、11月9日の<レクイエムの集い>を始めとするこれからの予定ほかをお伝えいたします。
準備を進めております最中の10月13日にソプラノの嶺貞子先生が亡くなられました。ご共演戴いた様々な音楽、数々の思い出が一度に押し寄せ、衝撃と悲しみに襲われております。
嶺先生は長らく東京藝術大学で後進の指導に当たっておられましたが、1979年にフランスから藝大にいらしたピアニストのアンリエッタ・ピュイグ・ロジェ先生と親交を結ばれ、お二人の共演による多くの名演奏を遺されました。ロジェ先生はナディア・ブーランジェの後任としてパリ音楽院で教えておられた方でした。そして、数知れぬ名演奏家を育てたナディア・ブーランジェはフォーレの教え子だったのです。
1994年11月3日、嶺先生は私どもの恒例のコンサートである<レクイエムの集い>でフォーレの《レクイエム》のソプラノ・ソロを歌って下さいました。その時も嶺先生の凛とした歌唱のスタイルには、フォーレに至る不思議な縁の糸が繋がっていることに驚いたことでした。そして、これからお伝えする今年の<レクイエムの集い>でも私どもはフォーレを歌うことになっているのです。 超越的な導きを感じ、頭を垂れずにはおれません。
嶺先生、今は全てから解放され、天空の自由を
満喫なさっておいででしょう。
永遠の安息をお祈り申し上げます。
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ハインリヒ・シュッツ合唱団
創立50周年記念コンサート その4
■<レクイエムの集い>
2018/11/9(金)19:00開演
武蔵野市民文化会館小ホール
今回の曲目はシュッツ《音楽による葬送》とフォーレの《レクイエム》です。時代も国も宗派も異なる2曲ですが、共通しているところもあります。それは両曲とも音楽の根源に潜む力から発し、未来に光を放つという、その曲の存在が歴史を前後に拡大するといったらいいのでしょうか、音楽というものの根幹を流れるエネルギーが真っ直ぐに通った音楽であるということです。当日はそれぞれに精魂を込めて演奏したいと存じます。
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ご報告
ハインリヒ・シュッツ合唱団
創立50周年記念コンサート その3
■<シュッツ音楽の華>
2018/9/21(金)19:00開演
東京カテドラル聖マリア大聖堂
大勢のお客様をお迎えし、<シュッツ音楽の華>を無事終了することが出来ました。ご協力下さった方々、長年に亘りお支え下さいました皆様に厚く御礼申し上げます。当日の模様や戴きましたご感想は別紙に纏めましたのでどうぞご覧くださいませ。
長年シュッツの研究に携わられ、数々のご論文に加え、ニューグローヴ世界音楽大辞典の36ページ(作品表を含む)にも及ぶシュッツの項目の邦訳を担当された正木光江先生からは、この記念コンサートに寄せて、作曲家シュッツとその音楽についてまことに貴重なお言葉を頂戴致しました。改めてシュッツその人の尊い人格と愛情に触れ、これからの道を照らす光と次の一歩への勇気を与えられた思いです。正木先生、本当にありがとうございました。
カテドラルに、そして私たちのコンサートに初めて登場したバルダキン・オルガンの活躍もお伝えせねばなりません。このバルダキン・オルガンは、オルガン・ビルダーの中西光彦氏が北イタリア南チロルのクールブルク城に残されている歴史的オルガンをモデルとして2005年に製作された楽器で、外観は大きな手ふいごと美しい天蓋が特徴です。驚くべきはその音色で「倍音が噴水のように降ってくる!」と言った武久源造さんの言葉は本当でした。通常の通奏低音のピッチより1オクターヴ上の4フィートからの3和音は、同時に鳴り響く音の周りで踊る星辰のようでした。聴いておられた何人もの方が、一体どこで鳴っているのだろうと上や後ろへ首を回しておられたとのことです。製作者の中西光彦氏もご病体をおして奈良からお見えになり、お聴きくださいました。私と同い年、80歳とのことで、不思議な巡り合わせです。このオルガンの製作を決意され完成に導かれた中西さんのイマジネイションと確かな技術に敬愛の念を禁じ得ません。シュッツはこのような響きの中で演奏していたのだ、という確信を50年目にして与えられたことは、信じ難い贈り物、喜びです。
器楽陣の皆さんも狂いの無い技術とともに、言葉に添ったフレイジング、内容のはっきり分かる音色で正に「これぞ華」でした。バルダキン・オルガンとの溶け合いも素晴らしく、また人の声とも良く合い、ソプラノ、テノール、コルネット、サックバットによる6声のポリフォニックなモテット《無花果の樹を見よ》では、おや、振り間違えたかな、と思った程、声も管も同種の音色でした。
声楽アンサンブルと合唱も、声の発し方、スピード、方向性などがここ数年良く合うようになってきたのですが、今回は50年目にしてやっと一つの根を感じさせるものに成長したと思います。何曲かを一緒に歌ってくださったOB,OGメンバーの貫禄も、講座修了生の新鮮な取り組みも、現役団員にとっては過現未を繋ぐエネルギーでした。最後に器楽奏者も共に《Also hat Gott die Welt geliebt 神はその独り子を賜ふほどにこの世を愛し給へり》を合唱、感謝のひと言に尽きた一夕でした。
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お知らせ
■国際ハインリヒ・シュッツ協会 日本支部[Internationale Heinrich-Schütz-Gesellschaft, Sektion Japan]のHPが開設されました。どうぞご訪問ください。 http://www.schuetz-jp.org
■本郷教会 Soli Deo Gloria 秋〜冬
日本キリスト教団 本郷教会礼拝堂 [無料]
都内杉並区上荻4-24-5 JR西荻窪より北へ徒歩10分 Tel:03-3399--2730
聖書朗読:宮崎新 本郷教会牧師
合奏:ユビキタス・バッハ
合唱:H.シュッツ合唱団・東京、メンデルスゾーン・コーア有志 指揮:淡野太郎
10/28(日) 18:00 SDG No.353
バッハ カンタータ第115番
《備えよ、わが霊よ》
11/18(日) 18:00 SDG No.354
バッハ カンタータ第116番
《なんじ平和の君、主イエス・キリスト》
12/2(日) 12:10(主日礼拝後)SDG No.355
バッハ カンタータ第132番
《路地を整え、道を整えよ》
2019年
1/3(木) 18:00(主日礼拝後)SDG No.356
バッハ 《クリスマス・オラトリオ》第4部
《感謝とともにひれ伏し、讃美とともにひれ伏せ》ほか
■本郷教会クリスマスコンサート2018
12/24(月・休) 17:00
バッハ カンタータ第91番
《讃美を受け給え、汝イエス・キリストよ》ほか
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ハインリヒ・シュッツの音楽〜音に潜む神の力〜
講師 淡野弓子
2018年12/8(土)及び12/22(土)
10:30~12:00 朝日カルチャーセンター
立川教室(JR立川駅 駅ビル ルミネ9F)
受講料:7344円(一般) 6048円(会員)
申し込み:朝日カルチャーセンター立川教室
042-527-0411
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■<受難楽の夕べ>
2019年4月12日(金) 19:00開演
三鷹市芸術文化センター「風のホール」
J.S.バッハ《ヨハネ受難曲》
指揮:淡野太郎
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
&メンデルスゾーン・コーア
合奏:ユビキタス・バッハ
全席自由 ¥4,000(一般)¥2,500 (学生)
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では皆様、深まりゆく秋、どうかゆっくりとお元気に
お過ごしください。お身体くれぐれもお大切に!
2018年11月 ムシカ・ポエティカ 淡野弓子
]]>孫の茜が金メダル?! 驚いて受賞理由を訊くとさらにビックリ! 全米のフランス語学習者の五年生レベルの中で95点以上の子供が金メダルとのこと。数ある小学校でもこういう生徒が出ることは珍しいとのことで、茜の通う French immergion School では朝食会を開いてお祝いをしてくれたそうです。因にクラスメートのアブラハム君は全米最高点だったそうです。この学校はフランス語で小学校教育をするところで、以前アキラが「**君は明日マダガスカルに帰っちゃうの」と言っていましたが、普段フランス語で生活をしている様々な国の子供たちが入り交じっていて、ヴァイタリティに溢れ、我々の想像する「おフランス」とは大分異なる雰囲気です。またアメリカにはこのようなシステムの Chinese Immersion や German Immersion の小学校もあります。
茜は9月から中学生、輝は今2年生ですが、7月には2人とも日本へ来て、日本の小学校で勉強します。なんといっても「漢字」が難しい日本語ですが、がんばってもらいましょう。
]]>桜吹雪のなか、素晴らしい復活祭の一日でした。朝、教会へ向かう道筋で、自分の顔が笑っているのにびっくりしました。
2月14日から3月29日までの受難節は<受難楽>のコンサートの圧迫感と共に辛いものを背負っている感じでした。そして、死ぬか、と思ったリストの《キリスト》のことも何度も胸を過っていました。(説明:公演前日にもの凄い腹痛と××に襲われ、当日も文字通り這うようにして会場へ)終演後も打ち上げどころではなく、家に帰ってバタン。演奏者は「良い曲だ。またやりたい」とのことでしたが、私は思い出しても寿命が縮まりそうな数年でした。そして今日、FBに、リスト・・・キリスト・・・の文字が。あ、どこかで演奏されたのかな、と思って開きますと、なんと、私たちの演奏会にいらして下さった玉上さんの暖かいご感想でした。みなさまにもお読み戴けたらと思い、シェアさせて戴きます。
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toranekodoranekoのブログ
クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。
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音楽の中には幾度も演奏されて世に広く知られ親しまれていく曲と、本当に志のある方が懸命に企画し努力して、一生に一度の演奏の機会が辛うじて与えられる、それだけの覚悟と献身を求められる曲があります。
今日の曲は間違いなく後者です。
そして、その場に居合わせた人々がその時の情景と感動を語り継ぎ、その場に居合わせることができなかった人々が地団太踏んで悔しがり、ひとつの伝説となっていくのです。
この曲は、2011年に演奏される予定でした。あの震災の影響で延期になり、奇しくも、震災の約1年後、棕櫚の聖日の前日、イースターの一週間前に演奏されることになったのです。
場所:新宿文化センター大ホール
演奏:ハインリッヒ・シュッツ合唱団ほか
170分かかるという大曲です。覚悟を決めて、しっかり体調を整えて聴きに行きました。
それでも指揮者の淡野弓子先生の解説によると・・
「1曲1曲のテーマが鮮明で・・音画手法や象徴表現が多用され、1語1語の表現が誤解の余地のないものとなっており、音楽を聴けば内容は必ずわかる・・ひと言でいえば非常に分かり易い音楽ですので、退屈するひまはありません。」
全体は3部構成14曲。
聖書のいわばハイライトとなる14の場面を取り出して深く掘り下げて構築した、という具合になっています。
第2部はその後のイエスのご生涯。山上の垂訓からエルサレム入城まで
第3部は受難と復活です。
指揮の淡野弓子先生登場。会場は一斉に拍手。
ところが先生は急に引っ込んでしまわれました。
何とメガネを忘れて取りに戻られたのでした。
会場大爆笑。ところが、そんなホンワカムードのままにいきなり指揮棒が下されました。
そして、そんなホンワカにふさわしい曲だったのです。
「おい、熊さん。」
「なんだよ、八さん。」
「平和だね。星がきれいだね。」というような感じでまずはオーケストラだけで静かな田舎の風景が延々と繰り広げられていくのです。
そして、第1部最後の聖三賢人のマーチとなると、会場はやんやの大喝采。
「宗教音楽」と肩ひじ張っていたのが拍子抜け・・・
ところが第2部になると、一気に緊張感が高まります。
バスのソロが主導する山上の垂訓、教会の礎(ペテロ)、ガリラヤ湖の大嵐、そしてエルサレム入場と、イエス様のご生涯のあの場面この場面が次々と現れてきます。
何も知らずに聴いた方でも凄さが伝わってくるでしょう。聖書を少しでも読んだ方なら圧倒されるでしょう。
たちまち1時間が過ぎていくのです。
受難の時。
ゲッセマネで血の汗が流されます。
そしてあの長い長い「悲しみの聖母は佇みて(スターバト・マーテル・ドロローザ)」。
いつまでもいつまでも続きます。その長いときが必要なのです。終わり近くなって、ようやくその長いときの意味が分かってきます。
と、女声合唱とハルモニューム(小型のオルガン)だけで奏でられる復活祭の讃歌。
この画面転換のあざやかさ、静かに確信をもって語られる復活の真実。ごく短く、それで十分なのです。
そしてついに復活。喜びの爆発。
2000年前のあのこと、今日に至り、未来に語り告げられるべきことを、この一晩の演奏が示したのです。
私が生演奏でこの曲をもう一度聴く機会はおそらくないでしょう。
心に刻まれた貴重な思い出をつたない文章に綴り、あの時の感動を思い出す手掛かりとするしかありません。
2012年4月東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿していた記事です。
イースターを明日に迎えて、再投稿しました。
後略
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玉上さん、本日は善い復活祭をお迎えのことと存じます。本当にありがとうございました。 淡野弓子
]]>3/23の<受難楽の夕べ>、お蔭様で無事終了致しました。50年目の・・ということで並大抵のプレッシャーではありませんでしたが、手応えのあるコンサートを終えることが出来ました。ご来場の皆様、遠くから応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。
この夕べ、私は久方ぶりに「カテドラルで指揮を」という仕儀に相なり、シュッツ《カンツィオーネス・サクレ》より3曲の受難モテットを演奏致しました。翌日の身体のきしみは50年前のデビューを思い出させるもので、そうか、再出発なのか、と再び緊張しております。今年は9月と11月の公演で指揮を致しますので、どうかこの老新人をまたビシバシと鍛えて下さい。よろしくお願い申し上げます。
]]>早や3月、冬期オリンピックの話題で華やいでいたとはいえ、天災、人災も絶え間なく、なにか先を急がされているような感じです。私の年齢のせいかもしれません。去る2月4日、満80歳となりました。
そして受難節です。今年もイエス・キリストが私たち人間のために何をなされたのかを憶いシュッツ、バッハの音楽にその意味を聴きたいとの願いから〈受難楽の夕べ〉は次のようなプログラムとなりました。
■<受難楽の夕べ>
2018/3/23(金)19:00開演
東京カテドラル聖マリア大聖堂
シュッツ《カンツィオーネス・サクレ》より
受難モテット 指揮:淡野弓子
J.S.バッハ《オルガン小曲集》より
オルガン・コラール(コラール唱付き)
オルガン:椎名雄一郎
シュッツ《マタイ受難曲》
イエス:浦野智行
指揮/福音史家:淡野太郎
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
東京カテドラル聖マリア大聖堂
全席自由 ¥4,000(一般)¥2,500 (学生)
チケット予約:T&F 042-394-0543 菊田音楽事務所
シュッツのモテットと受難曲を歌う、ということは初めからの計画でしたが、「コラール」を歌いたい、聴きたいという願いから、昨年6月16日東京カテドラルで行なわれた椎名雄一郎・J.S.バッハ《オルガン小曲集》全曲の演奏会を思い出しました。コラール唱(石川洋人/淡野太郎)によってコラールの旋律が歌い出され、オルガンに移るとそのメロディが様々な形で組み込まれ、織り成され一幅の絵のようにコラールの内容を伝えます。それは明快にして重層、バッハならではの、というかバッハここにありの世界、そして演奏でした。
コラールの旋律の現れ方は曲ごとに工夫が凝らされており、バッハが五線紙帖の1ページごとにコラールのタイトルのみを書き記して、長年(およそ30年間)に亘りアイディアが湧くと筆を走らせページを埋めていった様子が目に浮かびます。こういうわけで3/23のコラール唱もソロ、ユニゾン、2声、4声、カノンなどいろいろな形でお聴きいただきたいと思っています。
《カンツィオーネス・サクレ》よりのモテット3曲は久しぶりに淡野弓子が指揮を致します。淡野太郎が常任指揮者としてシュッツ合唱団の指導を始めた2008年から私は本来の声楽の道に戻り、良き師の許でエンリコ・デレ・セディエ著『Vocal Art』によって、自らの身体を楽器として再構築することが出来ました。今、この10年間に気付かされた音の法則、それに基く声の技法を再びシュッツ合唱団に伝える時間が残されていることに喜びを覚えております。
そして、こちらも久しぶりにシュッツの《マタイ受難曲》を演奏することとなりました。思えば私たちが初めてこの受難曲を皆様にお聴き戴きましたのは1969年の受難節でした。ヴィーンから来日されたテノール、クルト・エクイルツ氏を福音史家に迎え、イエスはバリトンの蔵田裕行氏、ピラトはテノールの唐津東流氏が歌ってくださいました。その後幾度か今は亡きテノールの鈴木仁氏に福音史家をお願いし、イエスはヴァン・デ・ワーレ神父、また1985年の東西ドイツ旅行の際のイエス役は当時の若手バリトン、アンドレアス・ゾンマーフェルト氏、1992年にはイエス:(故)宮原昭吾、ピラト:辻秀幸の各氏、2001年には朗唱部分を日本語(杉山好訳)、合唱部分をドイツ語で歌うという実験的な公演も行なわれています。この時の福音史家は淡野太郎、イエスは小原浄二氏でした。思い出は尽きません。今回は各受難曲のイエス役として定評のある浦野智行の登場です。シュッツ《マタイ》は初めてとのこと、ご期待下さい。
ハインリヒ・シュッツ合唱団創立50周年記念コンサート その1
■J.ハイドン・オラトリオ《天地創造》
2018/1/14(日)14:00開演
練馬文化センター「つつじホール」(小ホール)
ガブリエル(ソプラノ):大石すみ子
エヴァ(ソプラノ):柴田圭子
ウリエル(テノール):沼田臣矢
ラファエル(バス):中川郁太郎
アダム(バリトン)/指揮:淡野太郎
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
メンデルスゾーン・コーア
管弦楽:ユビキタス・バッハ
コンサートマスター:瀬戸瑤子
練馬文化センターというわたくしたちにとっては初めてのホールでしたが「このホールなので来易かった」と西武、東武各線から初めてのお客様が沢山いらしてくださったようです。思いがけない喜びでした。
以下、当日のプログラム解説のあとがきに記しました私の想いです。再掲をお許しください。
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ミルトンの『失楽園』(岩波文庫 上・下)に「Harmony」という言葉が出てきます。訳者平井正穂氏は「調和」という言葉を当ておられます。音楽におけるハーモニー、その基本であるドミソとは、三つの音が集まったものではなく、もともと一つだったものが倍音を生んで同時に鳴っている多くの音からドミソが抽出された現象を言います。
ハイドンは《天地創造》の音楽をC音で始めました。一つの音は万物を生み無限に鳴り続けます。私たちが共に歌い奏でるときハーモニーが生まれます。しかしその音は実は私たちが生まれる前から在ったのです。私たちはたまたまその時その音に組み入れられるのです。一つの音が鳴ったとき、もともと在るものに身を投じたのだという思いと、この音は私が出したのだという思いの間には大きな隔たりがあり、この二つを調和させるには困難が伴います。
今からおよそ半世紀前、バッハ演奏には二つの流れが拮抗していました。一つはロマンティックな響きの中でソリストが名人芸を披露するもの、もう一つは普段から合唱を共に歌い、その中からそれぞれの音楽にふさわしいメンバーがソロを受け持つ、というものです。当時カール・リヒターは前者の、わが師ヴィルヘルム・エーマンは後者のスタイルを提唱していました。私は1968年にシュッツ合唱団を設立した際、エーマン教授の考えを基盤とする学びと実践を考え、以来50年が経ったわけですが、やっとこの頃になって現在の在り方が当時の理想に近付いてきたように思います。
オーケストラは曲目によって楽器編成が異なりますので、練習には苦労がつきまといます。ユビキタス・バッハの名のもとに集う奏者たちはここ十数年来バッハのカンタータの演奏を月に1〜2度続けています。曲ごとに楽器編成が異なるため、厳密には毎回同メンバーの練習というわけではありませんが、同じ方向を目指すには恵まれた状況と申せましょう。このバッハ演奏にはシュッツ合唱団、メンデルスゾーン・コーアの有志が毎回参加し、声と器楽の融和にも努力が傾けられています。
今回の《天地創造》の演奏に関して私たちは、各ソリスト、各奏者、各合唱歌手の音が一つの音から生まれたように響くことを目標としました。初めて触れたハイドンの《天地創造》によって、音楽の基本的命題がさらに明確になり、進むべき方向に強い示唆を与えられました。試行錯誤を続けていた私たちにとって、本日の演奏はこれまでの集大成であり新しい出発でもあります。お支えくださる皆様に深く御礼申し上げます。またこれからもお見守り戴ければ嬉しく存じます。
万感の思いと感謝のうちに
2018年1月14日 たんの・ゆみこ
(ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京 主宰)
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お知らせ その1
■本郷教会Soli Deo Gloria 2018
日本キリスト教団 本郷教会礼拝堂 [無料]
都内杉並区上荻4-24-5 JR西荻窪より北へ徒歩10分 Tel:03-3399--2730
聖書朗読:宮崎新 本郷教会牧師
合奏:ユビキタス・バッハ
合唱:H.シュッツ合唱団・東京、メンデルスゾーン・コーア有志 指揮:淡野太郎
3/11(日) 18:00 SDG No.344
バッハ カンタータ第182番(ライプツィヒ後期稿)《天の王よ、汝を迎えまつらん》
4/8(日) 18:00 SDG No.345
バッハ カンタータ第42番《この同じ安息日の夕べ》
4/28(土) 18:00 SDG No.346
バッハ カンタータ第166番《汝はいずこに行くや》
5/20(日) 18:00 SDG No.347
バッハ カンタータ第174番《われいと高き者を心を尽くして愛しまつる》
6/10(日) 18:00 SDG No.348
バッハ カンタータ第76番《もろもろの天は神の栄光を語り》
7/1(日) 18:00 SDG No.349
バッハ カンタータ第147番《心と口と行いと生きざまもて》
7/22(日) 18:00 SDG No.350
バッハ カンタータ第45番《人よ、汝はさきに告げられたり、善きことの何なるか》
8/4(土) 18:00 SDG No.351
バッハ カンタータ第102番《主よ、汝の目は信仰を顧るにあらずや》
本郷教会サマーコンサート2018
8/19(日) 17:00
バッハ カンタータ第69番a《わが魂よ、主を頌めまつれ》
<初期バロックの三大巨匠の二重唱>
(アンサンブルの至高の響きを求めて)
〜モンテヴェルディ、シュッツ、シャイン〜
4/14(土) 16:00 本郷教会★無料★
ソプラノ 大石すみ子
メッツオソプラノ 羽鳥典子
ヴァイオリン 奥村 琳 二宮昌世
バロックチェロ 十代田光子
チェンバロ 伊藤明子
先便でお知らせしました〜理論と実践からなる音楽講座〜の詳細が決まりましたのでお伝え致します。
■場所 日本キリスト教団本郷教会(場所:前述)
■日時 4月10日より6月26日までの毎週火曜日 全12回
音楽理論 16:30~18:00
発声講座 19:00~21:00
音楽理論はギリシャに遡って音楽の音(楽音)と音程を学び、発声講座では倍音発声のトレーニングをしながらさまざまな曲に触れる。
「まこと(マテーマ)、きずな(ハルモニア)の算数教室」
講師 江端伸昭
この講座は、音楽の音(楽音)とその音程について語っていくものです。その主役は、1、2、3、4、・・・という自然数と、その足し算・引き算、さらに掛け算・割り算です。だから「算数教室」なのですが、それを現代の「音楽理論」として、さまざまな雑談を通じてしゃべることを目指しています。
古代ギリシャ語のマテーマ(真理、学ぶもの)は、ピュタゴラス教団の人々が探究したものです。「数」などという意味は含まないので、mathematicsを「数学」と訳すのは本当は誤訳です。ピュタゴラス自身は科学者ではありませんでしたが、マテーマの探究を重んじていたし、また「自然数」や「音と音楽」や「天空の天体」などに大きな興味を持っていました。彼の後継者たちはそれにヒントを得て、メソポタミアやエジプトで古くから知られていた実際的な知識を、「真理を見出す」という立場からさらに深く探究したのです。それがマテーマティケー、「真理を探究によって学び見出すこと」です。
マテーマティケーのうちで、1、2、3、4、・・とどこまでも続く自然数(アリトモス)の探究は、アリトメティケーと呼ばれます。これが「算数」です。ところが、小学校では、自然数の本格的な理論とその哲学的基礎などは絶対に教えられません。だからこそ、算数を大人がまとめ直してみることは大変面白い話題になるわけです。そして、自然数は飛び飛びにしかありませんから、その理論はアナログの中のデジタルの物語になります。
古代ギリシャのハルモニアという音楽用語は、現代語のハーモニーとは違って、「音階」を意味します。部外者にはあっと驚かされる事実ですが、仮に「きずな」と訳しておいたので、その「なぞ」(なぜ)を想像してみていただければと思います。そして、音階の音はやっぱり飛び飛びにしかありませんから、「算数」と関係してしまうのです。オクターヴ・5度・4度といった協和音程の本性も、ここから明らかにされるでしょう。それはまた、20世紀初めに出現した相対性理論や量子力学にもつながっています。[講師]
東京都立芸術高校音楽科、東京芸術大学音楽学部作曲科卒。J.S.バッハの教会カンタータおよびコラール関連作品の研究に携わる。フェリス女学院大学、都立総合芸術高校講師として、踊りながらの楽曲分析の実践を教える。富田庸「バッハ文献集http://www.music.qub.ac.uk/~tomita/bachbib/」の主要貢献者、バッハアルヒーフ・ライプツィヒ運営のデータベース「バッハデジタルhttps://www.bach-digital.de/」の外部協力者。
「倍音発声を学びながら自分の身体を楽器に変えてゆく」〜歌唱、アンサンブル、合唱の基礎講座〜
講師■淡野弓子
音階とはどのようなものかを学び、自分の声帯の機能に結びつけ、明瞭で清潔な音程へ導かれることを体験します。受講生は自分自身の声から倍音の立ち上ることを実感します。そこから当然の結果として長3度、完全5度、完全8度の音程が生まれることを理解し、実際の歌唱に繋げて行きます。この訓練を複数の人と同時に行なうことによって、純正律のハーモニーが生まれます。ア・カペラ合唱の始まりです。[講師]
東京芸術大学を経てドイツ・ヘルフォルト教会音楽大学に学ぶ。68年ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京を設立し2008年まで常任指揮者。1989年〜2001年にかけて<シュッツ全作品連続演奏>を行い全496曲を終了。声楽をアグネス・ギーベル、エリザベス・マンヨンに学び、両師の教えの根幹にあった倍音を用いる発声技法の研究と実践を重ねる。活水学院キリスト教音楽研究所研究員。ムシカ・ポエティカ代表。
1講座 36,000円(全12回)
★どちらか一つの講座受講も可能です。
★いずれもプリント代は別途となります。
■申し込み 下段の申込書に記載されている項目をFAXまたはメールにてお知らせください。
■締め切り:2018年4月8日(日)
■連絡:ムシカ・ポエティカ 淡野弓子
e-mail: yumiko@musicapoetica.jp
Fax:03-3398-5238
研究心旺盛な皆々様のご参会をお待ち申し上げております。ではお元気で麗らかな春をお迎えください。
2018年3月
ムシカ・ポエティカ 淡野弓子
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【音楽理論・音楽実践】講座・申込書
希望講座 音楽理論・音楽実践(○で囲む)
氏名(フリガナ)
誕生 年(西暦) 月 日
住所 〒
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]]>3/4(日)礼拝で宮崎牧師は「ろば(王の乗る馬より低いもの)に乗ってエルサレムに入城されたイエスを群衆は歓呼で迎えた。この人々がこのイエスを十字架に架けろ、と叫んだ。同じ人々だということを忘れてはいけない、」と説かれた。
午後SDGの練習。バッハ・カンタータ第182番《ようこそ、天の王》。譜面作りで礼拝に出られなかった淡野太郎が「この付点がポクポクポクとろばの足取り。「Himmelskönig, sei willkommen, ♪♪♪♬ ♬♪ ♬♬♬♬♬♬〜〜これほどの喜びでイエスのエルサレム入城を迎えた人々は・・・・」と朝の牧師と同じことを言った。「言葉による説教」と「音楽による説教」というバッハ時代の伝統が今不思議な形で日本でも受け継がれようとしている。
オーボエの Momi君、ドイツから元気で帰国。1年ぶりの Obの音色は垢抜けて冴え冴えと響き嬉しかった。本番は3月11日(日)午後6時 <讃美と祈りの夕べSoli Deo Gloria>本郷教会(杉並区上荻4−24−5)にて。[無料]ご参会をお待ち申し上げております。
]]>あっという間に2018年1月が終ってしまいました。1/14の《天地創造》もお蔭様で皆様に喜んで戴くことが出来ました。日頃のお支え、そして当日お聴き下さいました皆々様に厚く御礼申し上げます。
さて、「西欧文化の源流」という朝日カルチャーの講座の一環として2/16には「ヨーロッパ音楽とキリスト教」という大それたタイトルでお話をすることになっているので昨日は立川教室へ。今日のお講義は中島公子先生。「イエスの復活とキリスト教の誕生」というテーマでした。イエスの死の意味:「天の国」における価値の逆転。イエスは「最低の死」を我が身に引き寄せ、ひとりの味方もいない失敗の人生を締めくくることによって、この世の価値基準を180度転換させた、と確信をもって言い切られた中島先生。私は非常に勇気付けられ、本来、澄んだ空気、善い水などと同じレヴェルで存在しているであろう純粋な音楽について話そうと思いました。これは現状で「音楽」とされている様々な姿の全部とは言いませんが、かなりの部分で常識化している価値観をひっくり返す考えで、自分の生徒や合唱団には日常的に語っていることですが、いろいろな方にお聴き戴く公開の講座での発言は若干の勇気を必要とします。が、実際のところ老い先短い私が躊躇っている時間は無いのです。今、語らねば! いらして下さい、と申し上げたいのですが、すでに満席とのこと、機会はまだ有ると思いますのでその節はまたよろしくお願い申し上げます。
]]>年の暮のごあいさつを
2017年もあと僅かとなりました。「夢に向かって進む」は人間に許された大きな幸福のひとつだったはずですが、周囲を見渡すと不穏このうえなく、未来を語ること自体が危うくなってきているのを感じます。由々しい現実と言わねばなりません。
宗教改革500年であった今年、幾度となく頭をよぎった言葉、それはルターの「明日世界が滅びようとも、私は今日小さな林檎の苗を植えるだろう」でした。そうです。私たちは歌い続けねばなりません。
2018年、ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京は創立50年を迎えます。語りにくい未来とはいえ我々にとっては大切な節目となる1年ですので、4回のコンサートと新しい講座を計画致しました。第1回は新年の《天地創造》
です。
ハインリヒ・シュッツ合唱団創立50周年
記念コンサート その1(チラシ・当サイトTopPage)
■J.ハイドン・オラトリオ《天地創造》
2018/1/14(日)14:00開演
練馬文化センター「つつじホール」(小ホール)
ガブリエル(ソプラノ):大石すみ子
エヴァ(ソプラノ):柴田圭子
ウリエル(テノール):沼田臣矢
ラファエル(バス):中川郁太郎
アダム(バリトン)/指揮:淡野太郎
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
メンデルスゾーン・コーア
管弦楽:ユビキタス・バッハ
コンサートマスター:瀬戸瑤子
全席自由 ¥4,000(一般)¥2,500 (学生)
ハイドン(1732-1809)は愛想がよく楽天的な人だった、ということです。こういう話を聞くだけでも気が楽になりますね。またモーツアルトの勉学について世話をし、ベートーヴェンの才能を認め弟子にしました。苦労人であった彼も晩年はヴィーンに居を構え、じっくりと宗教作品に取り組みます。《天地創造》は創世記、詩編、そしてミルトンの『失楽園』からの言葉による台本(男爵ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン作—原作は英語)のドイツ語訳につけられたオラトリオで、1796年から98年にかけて作曲されました。
宗教音楽において、数字「2」は人を現し数字「3」は神あるいは天的なものを象徴するというのが大方の形ですが、『天地創造』においては、第一部、第二部がラファエル、ウリエル、ガブリエルの三天使がソロ、もしくは三重唱で登場し、第三部に至ってアダムとエヴァが生まれると彼等の二重唱で話が進行するのです。ハイドンが世界の始まりをこのような数字の象徴で語ったのは興味深いことです。こんなわけで今回のソリストはいずれもアンサンブル経験の豊富な歌手が務めます。
オーケストラはこの世に生まれ出てくるものすべてを描写し、特に獣や鳥はその種類毎に異なった楽器、音型が使われています。
今回はヴェテランのコンサートマスター瀬戸瑤子のもと、本郷教会のSDGで日頃から声楽・合唱作品と共に演奏しているユビキタス・バッハのメンバーが集いました。
合唱は和声進行が明晰で歌詞の内容に一致しており、その他の修辞法も大旨バロック期に用いられていたものですが、過剰な装飾がそぎ落とされ、典雅高貴といった趣きです。シュッツ合唱団とメンデルスゾーン・コーア合同で歌います。
2018年を清新なハイドンの音楽とともにお迎えください。ご参会を心よりお待ち申し上げております。
ムシカ・ポエティカ2017
■<レクイエムの集い>
~魂の慰めのために~
2017/11/21(火)19:00開演
三鷹市芸術文化センター「風のホール」
〜合唱と歌曲による追悼の調べ〜
指揮/バリトン:淡野太郎
メゾソプラノ:淡野弓子
ピアノ:江端津也子
ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
~魂の慰めのために~という副題にある「魂」は生者の? 死者の? 両者共に、との考えでやってきましたが、『アウグスティヌス講話』(山田晶 著)には、この世に生きている人は「苦しい」と口に出して言うことが出来るが、死んでしまった魂はどんなに苦しくとも人に伝えることが出来ない。そんな魂にとってただ一つの慰めは祈りである、とありました。このようにはっきりと書かれていたので私の気持ちもさらに確かにされました。「集い」では、親しい人を亡くされて悲しんでおられる方々の、そして彼の世へ旅立たれた方々の「魂」よ安かれ、との祈りを歌に変えてお届けしたいと思いました。
さて本番前、淡野太郎の合唱練習には私も何度か足を運びました。最初のうちは(例によって)1時間経っても数小節しか進みません。どういうことをしているのかというと:
●各パートを全員で歌う。
●その際、音程を横に取るのではなく、必ず何調の第何音かを確認し、和音から和音へあたかも水面を跳ぶ小石のように旋律を歌う。石から石の間はレガート。(このためのテクニックは別にあるのですが、ここでは省きます。)
●次にS+B、A+Tのように気を付けなければいけない箇所の確認を2声ずつ行う。
●いよいよ全員で一つの和音を出すのだが、これには順番がある。根音→第2倍音→第3倍音→のように根音から高次倍音へ向けて順序正しく声を出す。この場合、低次倍音は振動数が低く高次倍音は振動数が高いので、おのずと各声部の声の色が変わる。ダメ出しはアルトのように歌うべきピッチが話声と同じ位の振動数であったときに不用意に生の声を出したときや、ソプラノがバスから第4or5or6倍音であるにも関わらず張り上げてしまったときなど。
この他に勿論言葉の発音、子音の位置、言葉の内容に向かって心をどう整えて行くか、などなど課題は山積です。2008年に指揮者の座を太郎に受け渡して以来10年、折りにふれて練習を見てきましたが、一体何人の人がこれを理解し、技法をマスターするだろう、と心配の種は尽きませんでした。事実、なんとかして欲しい、という直訴も何度かあり、その度に説明したり、もう少しの辛抱だ、と言ってみたり大変な騒ぎでした。
が、演奏会前日の11/20になって心地良い和音が何度も響き、オヤ、と思ったのです。どの曲も和声進行がはっきりと分かり、作曲者がなにを言いたいのかが音で伝わってきたのです。ちょっと驚きました。ルドルフ・マウエルスベルガーがドレスデン大空襲のあと一ヶ月半後に廃墟と化した都を悼む合唱曲《Wie liegt die Stadt so wüst》では燃え盛る炎の音が聴こえてきたのです。成る程、作曲者の表現したかったことを声で伝えるとはこういうことだったのかと思いました。
当日は字幕の助けもあり、神学的には非常に難しいテキストもお客様は納得された様子、ほっと致しました。
ドイツ・リートはどの曲も思ったよりはるかに名曲で、いやあこれは大変、心を引き締めまた解き放って、さらに、さらに、さらわねば、という日々でしたが、江端津也子さんの実に土台のしっかりしたピアノに支えられ、気持ちよく歌えました。それにしてもこんなに毎日大天才とばかり付き合っていて大丈夫なんだろうか? と不安になるほど、どの詩も音楽も飛び抜けたものでした。かのゲーテがギリシャの大詩人アナクレオンに頭を垂れ、墓の前で呟いた言葉にヴォルフが淡々と曲を付けた・・・このような事実を実感出来る演奏家という仕事もまた贅沢なものではあります。感謝!
■朝日カルチャーセンター立川
西欧文化の源流
「ヨーロッパ音楽とキリスト教」
〜リズム・メロディ・ハーモニーの働き〜
講師 淡野弓子
2/16(金)15:30~17:00
朝日カルチャーセンター立川教室(JR立川駅
駅ビル ルミネ9F) 042-527-0411
受講料:2808円
申し込み:朝日カルチャーセンター立川教室
人間は「想像力」を駆使し、一生を費やして技を鍛え、さまざまな芸術作品を生み出してきた。その作品の放つ美やエネルギーは時に神性を感じさせ、「神」の存在を告げる。その営みは太古から今に至るまで地上のあらゆる場所に生き続け消えたことがない。
ヨーロッパ音楽の三原則といわれるリズム、メロディ、ハーモニーは自然界の法則と一致しており、同じく自然界の生き物「人間」の心身と強い関わりを持っている。キリストの教会ではこれらの特性を活かし、音楽によって神を讃美するに留まらず、音楽によって説教者の語る内容を伝えるということを考えた。バッハの教会カンタータはこの音楽による説教の良い例といえよう。
受講生はシュッツ、バッハらの現したさまざまなフレーズを声にし、旧・新約聖書の言葉がなぜそのようなリズム、メロディ、ハーモニーになったのか、またそれらの音楽を演奏したり聴いたりすることによって人間にどのような変化が起こるのかを実際に体験する。読譜力不問。(講師・記)
ハインリヒ・シュッツ合唱団創立50周年
記念コンサート その2(チラシ・当サイトTopPage)
■<受難楽の夕べ>
2018/3/23(金)19:00開演
東京カテドラル聖マリア大聖堂
シュッツ《カンツィオーネス・サクレ》より 受難モテット
J.S.バッハ《オルガン小曲集》より
オルガン・コラール(コラール唱付き)
オルガン:椎名雄一郎
シュッツ《マタイ受難曲》
イエス:浦野智行
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
指揮/福音史家:淡野太郎
東京カテドラル聖マリア大聖堂
全席自由 ¥4,000(一般)¥2,500 (学生)
来年は私も講座を開き、そこで倍音発声のトレーニングをしながらさまざまな曲に触れ、ゆくゆくはシュッツを歌って下さる人材を育てたいと考えております。
それにはまず、音楽の基本をギリシャに遡って理解して戴くことが必要と考え、作曲家・音楽学者の江端伸昭先生のお講義から始めたいと思います。今のところは仮予定として大筋のみお知らせ致します。
■講師 江端伸昭
倍音列の話の根底にあることについて筋道の通った算数の話をすることと、それが古代ギリシャや古代中国の音楽理論の話につながっていることが必要なので、自然数の掛け算の話になって、量子力学のエッセンスまでたどりつくことになります。例えば、まだ量子力学の根本微分方程式をシュレージンガーが発見していなかった時期に「どうして自然数が出てくるんだ、自然が跳躍しているじゃないか」と騒いでいたときからすでに、ピュタゴラスだ音楽だ〜と言って楽しんでいた物理学者がいたわけですが、その本質はまさに倍音現象にあります。[講師]
〜倍音発声を学びながら自分の身体を楽器に変えてゆく試み〜
■講師 淡野弓子
私たちが明瞭で清潔な音程で歌うには、なんらかの根音の上に響く倍音を用います。受講生は自分自身の声から倍音の立ち上ることを実感します。そこから当然の結果として長3度、完全5度、完全8度の音程に導かれるということを理解し、実際の歌唱に繋げて行きます。この訓練を複数の人と同時に行なうことによって、純正律のハーモニーが生まれます。ア・カペラ合唱の始まりです。[講師]
火曜日 12回
註:会場の都合(他行事との折合い)が
確定して後、詳しい日程をお知らせ
致します。
音楽理論 16:30~18:00
発声講座 19:00~21:00
■場所 日本キリスト教団本郷教会(予定)
■受講料 2講座 66,000円(全12回)
1講座 36,000円(全12回)
★どちらか一つの講座受講も可能です。
★日程詳細/場所は2018年1月中に
確定致します。
yumiko@musicapoetica.jpにご連絡下さい。
〜★〜☆〜★〜
今年も大変お世話になりました。皆様のお支えに心より感謝申し上げます。
善き新年をお迎え下さい。
2018年12月
ムシカ・ポエティカ 淡野弓子
]]>来週の火曜日、11/21 午後7時より三鷹市芸術文化センター「風のホール」にて恒例の<レクイエムの集い>を開催致します。~魂の慰めのために~という副題がついておりますが、この「魂」は生者の? 死者の? との??をお持ちの方もおられるかと存じます。両者共に、との考えでやってきましたが、先頃読んだ『アウグスティヌス講話』(山田晶 著)に、この世に生きている人は「苦しい」と口に出して言うことが出来るが、死んでしまった魂はどんなに苦しくとも人に伝えることが出来ない。そんな魂にとってただ一つの慰めは祈りである、とありました。随分はっきりと書かれていたので私の気持ちもさらに確かにされました。「集い」では、親しい人を亡くされて悲しんでおられる方々の、そして彼の世へ旅立たれた方々の「魂」よ安かれ、との祈りを歌に変えてお届けしたいと思います。ご参会を願いつつ。
当サイトのToppage でチラシをご覧戴けます。
↓またThe Japan Times 紙が告知を掲載して下さいました。
https://www.japantimes.co.jp/events/2017/11/14/music-guide/classical-music-guide/requiem-gathering-consolation-souls/#.Wgr2ZrpuLIU
]]>先生のご出席は毎年いらしてくださる生物の桜井先生@98歳! 先生は毎日自炊@お得意はゴーヤチャンプル。朦朧としたところ皆無。割れんばかりのハイ・バリトンで「こんなに元気な80歳の同窓会は初めてです。ぜひ来年もがんばって下さい。」とのお言葉。
S子さんのピアノと私の歌で30分のミニ・コンサート。ドイツリート大好きの人が多くてビックリ。Y子さんが私の席に来て、いきなり彼女のバッグから中身を全部外に出し「このバッグを差し上げたいの。歌があんまり素敵でなにか御礼にと思ったけれど、これしかなくて。私が作ったものです。」と。それは黒の綸子の布を8センチ四方の袋状に縫ったものを何枚も花びらのように繋ぎ合わせたもので非常に手が込んでいる。私は驚いて「あなたのものはどこにしまうの?」と訊くと「いえ、こんなものはビニールの袋に入れて帰ります。」
私はこの2、3日、あんまり物を落とすので、バッグを変えないと、と思っていたのです。本当に嬉しかった。Y子さんは中学時代「ラジオで素敵な声を聴いたわ。フィッシャー・ディースカウというバリトンよ。是非聴いてね。」と教えてくれた人。中学時代からの古い友達たちとはいえ、今日はまた新たに素晴らしい方々に出会った気分。感謝!!
]]>高校の音楽の時間、端正なスーツ姿の ”輝氏” こと岩永輝先生は「シューベルトの音楽などは日常でいくらでもお聴きになれるでしょうから、やはり授業ではこういうものを」と仰って、教科書はリスト、ブラームス、グノー、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、グリーク、ヴォルフらの歌曲がずらりと並んだ近代歌曲のアルバムだった。私たちは放課後も音楽室でそれらの歌を次々に歌っては「いい曲!」「すごい!」と興奮していたのだった。こんな時、どんな面倒な譜面でもすべて初見で伴奏してくれていたのがS子さん。
先週は彼女と来週同窓会で歌う歌曲を合わせ、なんといっても岩永先生は本物を教えて下さったという話になり、ほぼ同時に口をついて出たのは「ヴォルフ!」だった。ヴォルフの《隠遁》や《園丁》は良く歌った。私が今歌っているドイツリートの大半はこの曲集に入っていて、ボロボロながら今も大切にしている。そして、岩永先生にはどれほど感謝してもしきれないという憶いで眼が霞む。
明日はいよいよ同窓会。S子さんとの30分コンサート。岩永先生を知らない人は一人もいないはずだ。そうだ、トークは岩永先生についてにしよう。
]]>9/11(月)ベルリンへ向け列車で移動。この日は独日協会センターのホールで独日協会合唱団との交歓演奏会です。準備を進めて下さり、ツアーコンダクターでもあるカトリン・シュミットさんが、月曜日という日の集客を最後迄心配されていましたが、なんと満席。
‛独日協会合唱団′の<ほたるこい>で開幕。ドイツ人も日本人も共に日本語で「ホ、ホ、ホタルこい」と迎えられた時には、これまで “独日文化交流” などという表現で難しく考えていたことがスッと消え、我々シュッツ合唱団の気持ちもパッと開いてメンデルスゾーンの<Abschied von Walde 森をあとに>で返礼。続いて ’独日′が シューベルトの《鱒》をモーツアルト風、ベート−ヴェン風、ワグナー風の編曲でそれは面白く歌い、我々は An die Nachtigall と題して夜鶯にまつわる歌を歌いました。そのあと ‛独日’ の野崎織音さんがロッシーニの《アルジェリアのイタリア女》からのアリア<Cruda sorte>が堂々と披露され、盛り上がったところに Homesong medley と題された数々のドイツの歌。最後には太ったバリトンの男性のソロと合唱で、有名な<Berliner liebt Musike>が歌われ雰囲気は最高潮に。予定では休憩のあとに我々のステージということだったのですが、カトリンさん曰く「休憩のあとで人が帰ってしまうと惜しいから休憩無し」とのことでなんとこのベルリンソングのあとすぐに我々のシュッツ<Veni rogo 来れ王よ>を歌うということに。そしていよいよ武久源造作曲《万葉集》です。
《万葉集》は「いろはにほへと」によるファンタジアに始まり「なかなかに」「恋い恋いて」「にぎたずに」(ソロ曲/合唱曲)、「ひんがしの」がそれぞれヨーロッパの中世かた後期ロマン派までの作曲技法を駆使して作られており、日本語の歌詞が分からなくても音楽によって話が伝わるというもの。作品については次の機会に譲りますが、「船が出ようとしている」とか「日が沈み月が昇る」といった内容がすべて伝わったのには驚きました。続いてルターの歌詞によるシュッツのモテット<Vereih uns Frieden われらに平和を>を歌い終幕。
終演後は食事会。ここでは飲めや歌えやの騒ぎになり、日本の「花」に始まり童謡を次々に歌って最後は「第9」。やはり異国で同朋の人に出会うと独特の情緒が湧いて来るのでしょうか。笑いあり涙ありの素晴らしい邂逅でした。次回はエアフルトでのコンサートをお伝えします。
]]>ブラウンシュヴァイクでの《天地創造》、聴衆6000人まで行かなかったようですが、それでも次から次へと人が席に着き、空席が埋まって行く様子は見ていて楽しいものでした。入り口のチェックは非常に厳しく、爆弾が紛れ込み火災が起こった時の対策には万全を尽くしていました。
プログラム解説では、初演はハイドンが指揮をし、鍵盤はサリエリが弾いた、とか、フランツ皇帝がハイドンに、《四季》と《天地創造》ではどちらがお奨めですか、と尋ねたところ、「それは《天地創造》ですよ。なにしろここでは天使が口をきき神について語るのですから。」との答えだったとか面白い事が沢山書かれていました。
音楽が始まり快調に進みます。良い演奏のあとには拍手が起こるという、オペラや歌舞伎のような雰囲気で、普段慣れ親しんだ「オラトリオ」のコンサートとは大分趣きは違いましたが、これはハイドンの《天地創造》の持つ分かり易さ、親しみ易さにあるのでしょうか。最初の何人かの方々の挨拶のなかに「ひょっとしてフェミニズムからは文句が出るかもしれませんが、この曲は実に誠に素晴らしく・・云々」というのがあり笑ってしまいました。これは第3部でアダムとイヴがこの世に誕生した時、イヴがアダムに向かって「あなたの意志は私の掟、主がそう定められたのです」と語る台詞を指しているのでしょうか。しかし後に続く二人の愛の2重唱は音楽も演奏も絶品で後には大きな拍手が起こりました。
カーテンコールはソリスト、オケの奏者に続いて各合唱団の指揮者が壇上に呼ばれ深紅の薔薇が1本ずつ贈られました。太郎も私もこのお褒めに与り、ここで手渡された薔薇一輪は今迄に贈られた沢山の花束の中でも強く心に刺さり、私にとっては50年の合唱指揮人生のハイライトだったかも知れません。
演奏会後のパーティはまたまた思いがけないものでした。南アフリカナミビアの人たちが嬉しさの余り故郷の歌と踊りを始め、回りにいた人たちも皆その輪の中に入ってきたのです。私は鼻こそ小さかったとはいえ、どこからみても子象のような歌い手さんと手を取り合って歌い踊り実に生まれ変わった気分でした。
今日はあと10分でホテルを後にしますので、この先はまた後ほど。皆様、お元気で!!
]]>9/10(日)VW-Halleにて行なわれるハイドン《天地創造》の練習が始まりました。
9/7、8の練習では800人とは思えない実に静かで澄んだ歌声が響き、しかも皆が確実に同じ方向を目指していることが分かりました。指揮者のヘッカー氏は《天地創造》のテキストが言わんとしていることと、ハイドンの音楽との繋がりを明確に捉え、800人の声を実に丁寧に引き出し乍ら、流麗高雅な演奏へと導きます。その指揮は、ひと言で言うなら彼の謙遜な人柄と音楽と人間に対する深い愛から発せられたもので、歌い手も奏き手も、まずとても穏やかな気持ちで音を発し言葉を伝える事が出来ました。
GPのあとで配られたプログラムを見ると、この催しにかけた入念な準備が窺え、なるほどと思いました。800人の合唱といっても個人単位ではなく全て教会合唱団、またはそのような音楽を専門にしているグループ計28団体で成り立っていたのです。ブラウンシュヴァイクの合唱団、ヴォルフェンビュッテルなどドイツの合唱団に南アフリカのナミビア、チェコ、イングランド、インド、日本からの参加。教会音楽という共通の土台が見知らぬ人々の声をここまで一つにするのか、と驚きました。プログラムにはこの各合唱団の名称、写真、指揮者名が記され、なんと最後の2ページには歌う人全ての名前が記されています。
さてこれから会場目指し出発です。ではまた。
]]>2017年9月10日、ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京はルター宗教改革500年を記念してハイドンの《天地創造》を歌う、というコンサート http://oratorium.info/ に参加します。なんと演奏者800人、聴き手6000人とのことです。ドイツ・ブラウンシュヴァイクの教会合唱団のメンバーに加え、イギリス、インド、ナンビア、チェコ、そして日本の、志を同じくする合唱団が集うとのことで、私たちの期待も日に日に高まっています。
9月11日にはベルリンで、13日にはエアフルトで歌います。このベルリンとエアフルトのプログラムはシュッツほかヨーロッパの音楽に加えて我らが武久源造作曲《万葉集よりの6つの歌》で構成されていて、これは恐らくドイツの皆々さまに喜んで戴けるのでは、と練習も興奮の度を増しています。
万葉の時代、人々の心が現今とは比べものならぬほど広く大らかで、核心をついた表現とその言葉の力はまことに驚くべきものがありまが、武久源造はこの詩人たちのエネルギーに西洋中世のオルガヌム、ポリフォニーの技をぶつけ、そこへ日本の民謡をからめて豪壮にして繊細な世界を表出することに成功しています。この《万葉集》はドイツでの欧州初演に先立って来たる8月20日(日)午後5時、本郷教会サマーコンサートにおいて、作曲者のオルガンとともに初演されますので、どうかお聴き逃しのないよう、心よりお奨め申し上げる次第です。 プログラム詳細は後便にて。
]]>ああ、終りました! ブラウンシュヴァイクと東京を繋ぐ Skype記者会見。KMD Prof.Hecker vs. Yumiko Tanno, Gründerin und Leiterin des Heinrich-Schütz-Chores,Tokyo
覚えているうちに会話を記録しておきましょう。
Q:ハイドンの《天地創造》を演奏したことは?
A:未だありません。
Q:練習は今どれくらい進んでいますか?
A:第1部、第2部が終るところです。
Q:シュッツ合唱団の構成は?
A:25名ですが男声が少なく、女声が多い、という状態で・・・
Q:アハハハ、我々もそうなんですよ。なんで男声が少ないんですかね。ところで、ドイツ語はどうやって学んだのですか? 皆さんドイツ語が出来るんですか?
A:何人かの人はドイツで学んだ人たちです。私たちはかれこれ50年シュッツを歌っているのですが、シュッツの音楽からドイツ語と音楽の緊密な関係を学び、その勉強のお蔭で、ハイドンの音楽とドイツ語の関係も非常に明確に分かります。
Q:素晴らしい! ところでシュッツの名を合唱団の名としたのはどうしてですか?
A:1963年9月にドイツから Westfälische Kantorei が来日し、東京で Prof.Ehmann 指揮によりシュッツの《Ich hebe meine Augen auf(我、山に向かいて眼を上ぐ)》を歌ったのです。私はその時生まれて初めてシュッツの音楽を聴いたのでした。なんという音楽! 私は深い感銘を受け、シュッツをもっと知りたいと思い、すぐにエーマン教授に手紙を書きました。返事が来ました。ヴェストファーレン州ヘアフォルトの教会音楽学校へいらっしゃい、と。私は出かけエーマン教授の許でみっちりとシュッツを学ぶ事が出来ました。日本へ帰り、シュッツの音楽をもっと皆に知ってもらいたいとの思いから1968年に「ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京」を設立し、40年間指揮者として働きました。今は私の息子が指揮をしています。
Q:おお、なんと! 失礼でなければ教えて下さい。今あなたはお幾つなのですか?
A:79歳です。
Q:いやあ、われわれとシュッツ合唱団との出会いは素晴らしいものとなるでしょう。嬉しくてドキドキします。
A:私たちもです。皆、それは喜んで練習しています。
Q:合唱団の皆さんに、それから息子さんにもくれぐれもよろしく!
A:有り難うございます。伝えます。
Q+A:ではお会いするまで! お元気で! さようなら!
指揮者のヘッカーさんの表情は喜びで一杯という感じでした。ま、とにかく終ってホッとしています。皆様の応援に感謝!! ありがとうございました。
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