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ムシカWeb通信


■ 2010/11/11 チェコ語

 ほとんど日常化している作業のひとつに「訳詞」があります。コンサートで外国語を歌う場合、不可欠なものです。カテドラルでは字幕のスクリーンを置くことが許されていませんので、特に大切です。いろいろな難しいことがあります。左列に記された原語が右列の日本語にさっと移れれば問題はないのですが、その通りに書くと奇妙な日本語になってしまうことがしばしば起こるので、ここが一番悩むところです。

 歌われている歌詞や単語と音楽は、その旋律線や和声にそのまま反映されていることが多いので、肝心な箇所に違う日本語を置くことだけは避けたいのです。

 しかしこんなことは全く悩みのうちに入らない事態に直面したのです。これまではドイツ語、ラテン語、イタリア語、英語の間を行ったり来たりでした。「楽譜」「辞書」「聖書」の三つがあればなんとか窮地は脱したのです。が、今回、ファンダステーネ氏が「チェコ語で歌うから」と言われたドヴォルジャークの《聖書の歌》ほど驚いた代物は初めてでした。チェコ語の楽譜を永島陽子さんにお借りし、じっと見詰める。アルファベトはラテン文字です。ひょっとしてロシヤ語のような文字? と思っていた私も、一瞬ホッとしたのですが、それは束の間、アルファベトの上に小さなアクセントのようなものが左から右、右から左に、またチェックを入れる時のような逆山形が r,s,c,n,z,e,n.i などなどに付いているのです。小さな○の付いた字もあります。逆山形をハーチェクといい、アクセントはチャールカといって、このような符号の付いた文字は15種類あるということです。

 先ず歌詞を打ち込まねば、と始めたのですが、今申し上げた小さな符号のついた文字はAppleWorksでは受け付けられず、Wordの畑でやっと芽が出ました。しかし知識皆無の外国語を入力するということが、これほど困難なものであるとは、これまで考えたこともありませんでした。普通は無意識のうちに音読して入力しているのですね。なんと発音して良いか分からないとなると、ほんとうに一字一字見比べながらの作業となるのです。また、文字の並び方が非常に特殊で、これも凝っと見詰めては見るものの、キイに向かうと思っても見ないところへ指が向かうので、そのたびに不安になり、いちいち確かめねばなりません。最初の夜は一曲仕上げただけで疲労困憊し、止めてしまいました。

 10曲のチクルスなのですが、すべて詩編だということでしたので、どこかで安心していたのですが、これも勘違いでした。作曲家というものは、単語を繰り返したり、並べ替えたりする人種、ほんとうに聖書に書いてある通りドヴォルジャークが作曲しているのか非常に心配になり、チェコ語の聖書を探しました。これもやっと、という感じで教文館から送ってもらう。辞書は数日前に渋谷の紀伊国屋書店で買ったのですが、これは活字が大きく、見安い辞書です。若干お手軽版といった感じですが、この辞書の他には見当たらないので選択の余地はありませんでした。今度はLANGENSCHEIDTのチェコ対ドイツ語の辞書を買おうと思います。辞書と一緒に「チェコ語のしくみ」という本を購入、これは役に立っています。

 やっとの思いで全テキストを打ち終わり、聖書と照らし合わせる。小さな相違点はあったものの、ほとんど聖書通りだったので、胸を撫で下ろす。しかし次は訳です。不思議にも、このチェコ語の聖書は、肌触りがドイツ語とは随分違い、皆目分からないというのに、深くて強い感じが伝わってきます。はて、どんな日本語が合うのかしら?

 チェコ語の聖書はフスの弟子たちによって1415年に出されたとのこと、ルターの生まれる68年前、ルター訳ドイツ語聖書より100年以上も前のことです。また自説を曲げずに焚刑となったフスが、かのチェコ語アルファベトの特別符号を考え出したとのことです。

 そっと辞書を引く。想像した通り、素直に単語が見つかりません。変化がすさまじく、ちょっとやそっとの勉強では歯が立ちません。名詞には男性、中性、女性名詞があり、その上男性名詞には「活動体」と「不活動体」があるのです。「てにをは」は七項目で硬変化と軟変化があります。キャー、字引が引けないという最悪の事態に・・・大袈裟でなく生きた心地もせぬまま気が付くと私は大風邪を引いていました。仕事部屋が冷え込んでいたのに気が付かなかったのです。チェコ語はロシヤ語の出来る人には簡単らしいですが、手遅れです。

 しかしです。この《聖書の歌》の音楽は素晴らしく、恐る恐るチェコ語で歌ってみると、なんだかドイツ語よりは歌いやすく、言葉そのものの情が深い、という感じです。ようし、チェコ語の勉強は続けよう。


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