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ムシカWeb通信


■ 2010/11/07 ムシカ・ポエティカより 皆様へ 晩秋のご挨拶を

ムシカ・ポエティカでは、コンサートにいらして下さった皆様に、年に四回、季節の便りを郵便でお送りしています。10月末発行の最新号に若干編集を加えたものをこのブログでお届け致します。

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 金木犀の香り、いずかたへ・・・ 秋薔薇が蕾をつけました。十月も終ろうとしております。皆様ご機嫌いかがでしょうか?

 

 恒例の「レクイエムの集い」を来る11月19日(金)午後7時より東京カテドラル聖マリア大聖堂において開催致します。

 今回お聴き戴く音楽はバッハ、メンデルスゾーン、ドヴォルジャークの作品です。バッハ以後、音楽のスタイルが一変したとはいえ、それ以後の作曲家でバッハに興味を抱かなかった人はいないと思います。中でもバッハの遺したものを強く受け継いだ人々には、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスが挙げられ、その少し後にドヴォルジャークが続きます。このような人々はお互いに親近感を抱くようです。ブラームスはドヴォルジャークを高く評価し、ドヴォルジャークもブラームスには万感の思いを抱き感謝していました。

 このたびの三人の作曲家たちに共通することは、彼らの音楽を支える強靭な信仰、聖書やコラールの歌詞の表現の確かさ、そして豊かさです。

 各曲目は、当サイト トップページ掲載のチラシでお伝えしている通りですが、ドヴォルジャークの《聖書の歌》は私たちのコンサートでは初めてお聴き戴く曲です。

 この作品は、ドヴォルジャークのアメリカ時代1894年3月に作曲された10曲からなる歌曲集で、歌詞は16世紀にボヘミヤ兄弟団によってチェコ語に訳された聖書の詩編から採られました。1893年秋から94年春にかけて友人のグノー、チャイコフスキー、ハンス・フォン・ビューローらが亡くなったことが作曲のきっかけとなったようで、ドヴォルジャークの「私的なドキュメント」「信仰の確認」と言われています。                                               

ドヴォルジャーク《聖書の歌》  

   1.   密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ(詩編 97・2-6)

   2.   あなたはわたしの隠れが、わたしの盾(詩編 119・114, 115, 117, 120)     

   3.  神よ、わたしの祈りに耳を傾けてください(詩編 55・2-3 5-9)

   4.  主は羊飼い(詩編 23・ 1-4)

   5.  神よ、あなたに向かって新しい歌を歌い(詩編 144・9  145・2-3, 5-6)    

   6.  神よ、わたしの叫びを聞き(詩編 61・1, 3, 4 63・1, 4-6)

   7.  バビロンの流れのほとりに座り(詩編 137・1-5)

   8.  御顔を向けてわたしを憐れんでください 詩編 25・16-18 20)

   9.  目を上げて、わたしは山々を仰ぐ(詩編 121・1-4)

   10.  新しい歌を主に向かって歌え(詩編 98・1, 4, 7, 8 96・12)

 このたびは椎名雄一郎のオルガン伴奏によりファンダステーネ氏がチェコ語で歌って下さることとなりました。

 

 メンデルスゾーンがどれほどバッハに傾倒したかは今更申し上げるまでありませんが、彼の彼たるところは、単にバッハの上辺をなぞったのではなく、根幹を見抜いたところにあります。メンデルスゾーンの合唱音楽に用いられた和声は、平易な進行でありながら言葉の把握が深く、歌われる歌詞の内容と強く結びついていることに驚かされるのです。聴けば聴くほどに、彼がいかに優れた土台をバッハおよびバッハ以前の巨匠たちから正しく受け継いだかを知らされます。今回はコラールを元にした二曲に詩編55からのテキストをソプラノソロと四声合唱が歌い交わす端正にして優雅な讃歌・・この歌詞はドヴォルジャークの《聖書の歌》第三曲でも歌われます・・を演奏致します。また名曲の誉れ高い《オルガン・ソナタ ヘ短調》を椎名雄一郎のソロでお届け致します。ご期待下さい。

 さて、いよいよバッハですが、彼のモテット《歌え、主に向かって新しき歌を》と双璧をなす《イエス、わが喜び》を取り上げました。バッハのモテットは六曲、いずれも歌詞はドイツ語で、四曲が葬儀のためのものです。この曲は1723年、バッハがライプツィヒの聖トーマス教会カントールとして赴任して間もなく、高級官吏の夫人の追悼礼拝用に作曲されました。

 テキストは二種類・・コラール「イエス、わが喜び」の詩節六篇とローマ人への手紙第八章よりの聖句五つです。変奏されながら進むコラールとポリフォニックに書かれた聖句は交互に歌われ、全体はシンメトリーを形造り、中央にはロマ書八章九節「神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは肉ではなく霊の支配下にいます。」とのテキストが二重フーガで書かれています。非常に凝った造りの一曲一曲を組合わせて不思議な城を建造するという、バッハの得意とする手法で書かれた一品です。

 

ご報告

 シュッツ《白鳥の歌》

 2010年9月17日(金)午後7時開演 

 東京カテドラル聖マリア大聖堂

 

 《白鳥の歌》コンサートは無事終了致しました。

 暑かった夏でしたが素晴らしい練習期間でした。詩編119編全176節をすべて作曲し、そこに感謝の詩編第100編を加え、最後をマリアの讃歌で締めくくって《白鳥の歌》としたシュッツに感謝の気持ちがこみ上げてくる毎日でした。40年以上も私たちを支え導いてくれたシュッツの偉大な人格、強靭な魂に改めて驚き、彼の音楽を実際に演奏する幸せに、黙っていても頬がほころんでくる日々でした。

 共に演奏してくれたシュッツ合唱団メンバー各位、ソロアンサンブルに加わって下さった歌い手の方々、お聴き下さいました皆様、長年に亘り陰に日向にお支え下さる皆様に心より御礼申し上げます。本当に有難うございました。

 二年前に常任指揮者となった淡野太郎の指導・指揮が良い刺激となって、シュッツ合唱団と私との「カップリング」は以前よりなめらかになったように思います。また、小家一彦(アルト)、真木喜規(テノール)、及川豊(テノール)、浦野智行(バス)の各氏がシュッツ合唱団メンバーの今村ゆかり(ソプラノ)、柴田圭子(ソプラノ)、依田卓(アルト)、淡野太郎(バス)と共にソロアンサンブルに加わって下さり、二重合唱十三曲をさまざまな編成で歌うことが出来ました。全曲ア・カペラ、休憩なしの90分が無事終了したのも、いつもながら集中力抜群のお客様のお蔭です。

 その後お聴き下さった方から「・・シュッツはどうやら凄い人らしい、然しその凄さをもっともっと知りたい、味わい尽くしたい・・」とのお便りを戴き、その昔に読んだ『音楽と音楽家』(アインシュタイン著 浅井真男 他訳 白水社 1968年2月20日発行)の中で「シュッツの復活もまた確実なことなのである。」と書かれていたのを思い出しました。「わたしは復活であり、生命である。わたしを信ずるものは死んでも生きる。」と言われたイエスの言葉が実感として迫ってきます。

 

 メンデルスゾーン基金日本支部 2010年度 秋季会員の集い

 10月24日(日)午後2時30分〜5時30分

 日本聖公会 聖アンデレ教会

 

 昨年はメンデルスゾーンの生誕200年を祝って、ドイツへの旅や講演会、音楽会など盛り沢山な忙しい一年でしたが、今年は季節の例会を充実させ、ゆったりとした親睦の時を過ごしました。24日の会では、「メンデルスゾーンとその文化圏に属した人々」・シリーズその1 シューマン というタイトルで、メンデルスゾーン研究者として国際的信頼を得ておられる立教大学教授 星野宏美さんのお話と、シューマン国際音楽コンクールで日本人として初優勝され、現在は国立音楽大学で教えておられる奈良希愛さんのピアノソロとで実に気持ちの良いひとときを持つことができました。

 マズーア・偕子理事長の司会のもと、シューマンとメンデルスゾーンとの交友を星野さんが話して下さいました。またシューマンがメンデルスゾーンの無言歌について語っている文章を星野さんが朗読され、聴き手の好奇心が高まるともう奈良さんのピアノからその曲が流れるという、なんとも贅沢なひとときでした。ドイツでの不幸な弾圧にもめげず、メンデルスゾーンも復活の時を迎えております。今後彼の音楽の底を支える先祖伝来の高い思想性や真の律への恭順が真っ直ぐに皆様に届くことを願っています。

 メンデルスゾーンを愛するフレンズ・メンバーの年齢層は十〜九十代と厚く、研究、演奏、教育、報道、鑑賞などなど、さまざまな分野の方々がおられ、例会には関西からもお越し下さいます。会では同好の志のご参会をお待ち致しております。[連絡先・ http://www.mendelssohn.jp/]

 

ヘルムホルツ そして セディエ 理論と実践   ・その後

  Helmholz の《Die Lehre von den Tonempfindungen als physiologische Grundlage für die Theorie der Musik》が届きました。1877年にブラウンシュヴァイクで出された版の復刻版です。私はこの長いタイトルを、『音感覚についての教え・・すなわち音楽理論に対する生理学的原則』と理解しましたが、間違っていましたらどうぞご教示下さい。タイトルをくだいて言うならば、音楽の理論、法則(ここでは主として倍音や振動数の比率といった物理的原則)に対して、生理学(人間の耳の機能や声帯及び口腔内の動き)の根本原則がどう関わるか、という学問で、中心テーマは「音感覚論」といったところでしょうか。なにしろ670ページもあるずしりと重い本です。

 ドイツ人で医学と生理学を学んだのち物理学者となったヘルムホルツ1821〜1894)は、精密な実験を重ねて、各母音に含まれる倍音を調べ、その振動数と声道の形によって変る共鳴音との関係を明らかにし、音色はそこに含まれる倍音の種類、数、強さによって決まるとの理論を確立しました。声の振動数に対して、最も適正な母音はなにか、が示されたのです。

 物理、音響、生理学者にとっては「当たり前」のことかも知れませんが、私のような「歌い手」はこういうことを知らずに、ひと声出しては、響いた、詰まった、抜けた、よじれたなどと、一喜一憂する毎日でしたから、この理論を知りどれほど頭がすっきりしたか分かりません。

 ヘルムホルツの弟子には、周波数を表す Hzのもととなったハインリヒ・ヘルツという学者がおり、また日本人の教え子には純正調オルガンで名高い田中正平がいます。

 一方、ヘルムホルツより一歳年下のイタリアの声楽家で、優れた教師でもあったセディエ(1822〜1907)は、このヘルムホルツとその弟子のケーニッヒ(優れた音叉を発明)の理論を参考にしながら、「声のスケールに応じて徐々に変る各音固有の明度」という声のチャートを表します。この表では真ん中のドから十二度上のソに至るそれぞれの音に母音が与えられており、ヘルムホルツの表よりデリケートに変化します。その母音を発声するときの口腔内の形と共鳴の具合を一音ずつ正確に修得することによって、「人間」という楽器が天然の法則に沿った歌い方に導かれて行くのです。

 このチャートが優れた歌い手にして卓越した教師でもあるエリザベス・マニヨン女史によって全米各地の大学で声楽科の学生たちに伝えられ、多くの歌手が世界に羽ばたいて行きました。ジェシー・ノーマンもその一人であったことは、前にお伝えした通りです。

 このチャートはソリストの訓練のみならず、合唱歌手にも極めて有効でした。一つのピッチに対し、複数の人間が同じイメージのもとに発声することが可能になったのです。また古今の巨匠たちが、ここぞという言葉に豊かな倍音を生ずる母音を当てていることや、シュッツのように、一つひとつの音を各パートに狂いなく配置することによって、見事なハーモニーの柱が立ち上り響き渡るわけが以前よりも明確に理解出来るようになり、表現に確信が持てるようになりました。

 

おすすめ

 『ある秘密』 

 フィリップ・グランベール著 野崎 歓訳 新潮クレスト・ブックス 

 フィリップ・グランベールはユダヤ系フランス人の精神科医で、『ある秘密』は彼の生い立ちを語った本です。タイトルの示す通り「秘密」を扱った物語ですので、内容をここでお知らせするのははばかられます。しかし私はこの小説の、特に作者の筆致に魅かれました。一つひとつの文が短かく、あたりがシンとするような表現で、まるで確かな眼と熟練の技によって撮られた写真のように場面が続き、気がつくと魂の凍るような一枚が・・・。人が自分の運命を伐り開くにせよ、閉じるにせよ、想像したこともない理由と決断があることを知りました。限られた時期と地域の物語ですが、テーマは人の生と死と愛という普遍的なものです。ご一読を!

 

 『新約聖書 I 』 文春新書

 新共同訳 解説・佐藤 優

 新聞広告を見た途端「やったあ!」と声をあげてしまいました。10月20日のことです。影響力のある人によって『聖書』を読んでみては、という積極的な働きかけがなされたことを嬉しく思ったのです。

 佐藤優は2007年に彼の『獄中記』(岩波書店)に触れて以来ずっと気になっており、以後矢継ぎ早やに出された本を大小硬軟取り混ぜて大分読みました。「気になって」いる理由の第一は、彼が1979年に洗礼を受けたクリスチャンであること、そして神学を勉強したのち外交官を務め、幾度修羅場をくぐろうとも信仰が揺らがなかった人であるということでした。

 この最新刊は序文の第一行目に「新約聖書を宗教に特別な関心を持っていない標準的な日本人に読んでもらうために本書を書いた。」とある通り、新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書を日本人にそのまま読んでもらうことが目的です。佐藤優による「案内」が各福音書の前に置かれ、その福音書の特徴、著者、成立の場所、時期などが記されています。

 「マタイによる福音書」の解説では〈主の祈り〉と〈山上の説教〉について述べられ、「マルコによる福音書」では「神の国」の到来が中心テーマであること、またイエスが喩えを用いることによって人間の無意識を刺激する、という指摘がありハッとさせられました。

 「ルカによる福音書」は「マルコ」を下敷きに書かれたもので、原文を読むと知識人の筆によるものであることが分かるそうです。「ルカ」の書き手は「使徒言行録」の執筆者でもあり、直線的な時間の進め方と演劇的な手法で筋道立ったイエスの救済観が語られているとのことです。

 以上三つの福音書を共観福音書と呼びますが、最後の「ヨハネ」は「初めに言(ことば)があった。」と書き出されているように、全く違う視座を持った福音書です。ロシヤのキリスト教は「ヨハネ」の影響を強く受けており、欧米人との気質の違いもここに原因があるそうです。佐藤優はこの「ヨハネ」の解説で俄然勇気百倍、例えば「イエスの出現によって人間は二者択一を迫られる。神に従うか、神を拒否するかである。神に従うという決断をした人間はイエスをひな形とした生き方を目指すことになる。具体的には、いくつかの選択肢がある場合、最も困難な道を選択することだ。」などと大胆に語ります。   福音書は新共同訳聖書がそのまま掲載されているのですが、イエスの言葉がゴシック体で印刷されているのです。これは良いアイディアです。バッハもマタイ受難曲の自筆譜の中で、イエスの言葉を赤いインクで記しています。

 「非キリスト教徒にとっての聖書・私の聖書論 1 」と題された終章では菅直人の情勢論、柄谷正人の存在論が比較され、興味深いことに唯物論者である柄谷氏の『世界史の構造』(岩波書店)を21世紀の宗教論と高く評価しています。驚いたのは佐藤氏の母上が体験された「沖縄戦」についての一文が、たった今ご紹介したグランベールの『ある秘密』とまるで陽画と陰画のようにピタリと重なったことです。なぜ、と一瞬ギクリとしたのですが、なんとこの二篇、パリ、沖縄、と場所こそ異なれ同時期の記録だったのです。「収容所」がキイワードであること、親の体験を子が語るという形式も同じでした。因にグランベールは1948年パリに、佐藤優は1960年東京で生まれました。

 では皆様、長くなりましたのでこれで失礼致します。冬到来までの静かなひとときをどうぞごゆっくりお過ごし下さいませ。

         2010年10月   ムシカ・ポエティカ 淡野弓子


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