2014/9/15(月・祝)午後3時 三鷹市芸術文化センター「風のホール」 [日本声楽発声学会創立50周年記念演奏会] として、柴田南雄《宇宙について》ほかを演奏します。
昨夜この曲に参加する指揮者3名が集まる。話し始めた途端から盛り上がり、細部に至るまでほとんどの打ち合わせがスイスイと進み、最後はビールで前祝い。柴田南雄、歿後18年の今、我々をこれだけ鼓舞する彼の醒めた気迫、只ごとではない。
合唱シアターピース《宇宙について》(1979)についてはこれから少しずつご紹介致します。
コメントではないのですが、もし許されるなら、一人の爺さん(といっても9月に73歳になるだけですが)の思い出話を述べたいと思います。<br><br>1985年9月から10月にかけて、シュッツ生誕400年を記念して行われた、当時在籍していた東京シュッツ合唱団のドイツ演奏旅行の西独における「宇宙について」の演奏に関してです。<br><br>東京での練習では谷口さんという方が第1章のbhur,bhuvah,svarというSoloを、担当していたのですが、西ドイツには行けないということで、急遽私が担当することになりました。<br><br>東京での練習だけでなく、ドイツに入っても声が出ず、もうだめかと思っていたのですが、本番では突然声がスポンと出て、皆も弾かれたように歌ってくれ、自分自身も驚きながら感激しました。<br><br>皆で動きながら歌った第6章の諸民族の祈りを「だんじくさま」でまとめる役も務めました。<br><br>東ドイツには行かず帰国したのですが、ヘアフォルトでの演奏テープを指揮者から託され、柴田先生にお届けしたことも覚えています。<br><br>また、これは帰国後のことですが、全音の楽譜の35頁にある奇声については、東京カテドラルでの演奏会当日の練習時に、キャーキャー声を出していたら、カテドラルの係の人がびっくりして駆け込んできて、何事ですか、といわれたことも思い出します。<br><br>当時の演奏がどのようものであったかの評価は、指揮者の淡野さんにお任せします。私的なとりとめのない話で、失礼致しました。演奏会が実り多きものとなりますよう祈っております。
進藤正明さま<br>思いがけないコメントを戴き、望外の喜びです。今回の《宇宙について》演奏にあたって、多くの方が、あの時はこうだった、という話をして下さり、やはりこの曲は歴史に残る作品なのだということを実感しています。もしご都合が合うようでしたら是非聴きにいらして下さい。
コメントではないのですが、もし許されるなら、一人の爺さん(といっても9月に73歳になるだけですが)の思い出話を述べたいと思います。<br><br>1985年9月から10月にかけて、シュッツ生誕400年を記念して行われた、当時在籍していた東京シュッツ合唱団のドイツ演奏旅行の西独における「宇宙について」の演奏に関してです。<br><br>東京での練習では谷口さんという方が第1章のbhur,bhuvah,svarというSoloを、担当していたのですが、西ドイツには行けないということで、急遽私が担当することになりました。<br><br>東京での練習だけでなく、ドイツに入っても声が出ず、もうだめかと思っていたのですが、本番では突然声がスポンと出て、皆も弾かれたように歌ってくれ、自分自身も驚きながら感激しました。<br><br>皆で動きながら歌った第6章の諸民族の祈りを「だんじくさま」でまとめる役も務めました。<br><br>東ドイツには行かず帰国したのですが、ヘアフォルトでの演奏テープを指揮者から託され、柴田先生にお届けしたことも覚えています。<br><br>また、これは帰国後のことですが、全音の楽譜の35頁にある奇声については、東京カテドラルでの演奏会当日の練習時に、キャーキャー声を出していたら、カテドラルの係の人がびっくりして駆け込んできて、何事ですか、といわれたことも思い出します。<br><br>当時の演奏がどのようものであったかの評価は、指揮者の淡野さんにお任せします。私的なとりとめのない話で、失礼致しました。演奏会が実り多きものとなりますよう祈っております。
進藤正明さま<br>思いがけないコメントを戴き、望外の喜びです。今回の《宇宙について》演奏にあたって、多くの方が、あの時はこうだった、という話をして下さり、やはりこの曲は歴史に残る作品なのだということを実感しています。もしご都合が合うようでしたら是非聴きにいらして下さい。