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ムシカWeb通信


■ 2013/03/06 ムシカ・ポエティカより早春のご挨拶を

 東京は厳しい寒さと幾度もの雪に見舞われ、落ち着かぬ日々でしたが、チューリップの芽も出揃い春も間近かです。皆様、お加減いかがでしょうか。

 新年一月一四日(月・祝)一四時より『第九』—宗教曲としての視点から—の日も大雪でした。コンサートマスターの瀬戸瑤子さんがインフルエンザで休演やむなしというショッキングな状況で、急遽コンマスという大役を引き受けて下さったのは、ドイツ、オーストリアでオーケストラ奏者として豊富な体験をされた山中美樹子さんでした。

 悠揚迫らざる山中さんの姿に演奏者全員が落ち着きを取り戻し、お蔭様で練習の上を行く本番を終えることが出来ました。雪の中を聴きに来ていただいた方々からご丁寧なお便りを戴きました。そのうちの二通をご紹介致します。

 ——昨日は大雪で大変でしたが、新宿文化センターでの喜びがまだ残されて充実した気持ちに包まれています。本当に素晴らしいコンサートをありがとうございました。書きたいことは山ほどあるのですが、特に思い出に残ったことを書かせていただきます。

 当日のパンフレットに次のようなことが書かれていたのが印象的でした。「メロディー、リズム、ハーモニー、この3つの中で人類が生まれる前から存在していたのはハーモニーである。ハーモニーがある定められたリズムに従って配置されることによってメロディーがうまれるのであってその逆ではない。」

 プログラム前半のメンデルスゾーン「バルトルディー」はその意味するところをはっきりと示す演奏でした。混声合唱が溶け合ってあたかも天使の羽のような清らかで愛に満ちた歌声でした。

 メンデルスゾーン「2つの宗教歌」はオルガンが伴奏の男性独唱で、ピアノ伴奏と異なりあたかも男性独唱の声がオルガンの音色と融和するようでした。新宿文化センターのオルガンは日本人のわびさびのようなものに語りかけるようでとっても素敵だと思いました。

 そして第九は大変想い出深い演奏でした。淡野太郎さん指揮は自我を廃した極めてストイックな音楽作りだと感じました。シンプルな指揮棒の動きを逸脱してオケの音が独自に動き出すことなく、また特にティンパニのリズムのうねりやとんがったところが皆無で団員の全てが指揮者の思想に完全に一致しているかのようでした。

 2楽章の前半では、息つく間もないうねるような演奏が好きなわたしは、まるでしんしんと雪が降るかのような演奏に目からうろこでした。

わたしは第九で3楽章を聴いて天国にいるかのような気分になるのがとても好きです。今回の演奏が禁欲的と書きましたがこの楽章だけは別でした。今まで多くの第九を聴いた中で一番自分の理想に近いリズムでした。メロディーはハーモニーの結果であるとの言葉がありましたが、リズムもハーモニーに見事に融和していました。

 この日のオーケストラの配置はコントラバスが左、ティンパニが右で、古い演奏スタイルの配置でしたね。当日はナチュラルホルンや古楽器のトロンボーンなども使用され、音色が美しく興味を覚えました。

 ティンパニも外見は違いがわかりませんでしたが、ばち(なんと言っていいのかわからないのですが)は小太鼓のと同じようなものでしたね。しかし3楽章だけは先が丸くなったものを使っていました。

 もう一つ当日管楽器の音が本当に良く響いて、特に第九はフルート協奏曲なのかと思うくらいフルート奏者の演奏は素晴らしかったです。

 当日一番驚いたのは4楽章です。独唱者と打楽器奏者が3楽章後半の演奏中に入場しました。そして独唱者はステージの右後ろ、2ndヴァイオリンの後方に座りましたね。そしてこれは演奏前から驚きだったのですが、合唱団は男性と女性が交互に並びました。人間の自我を廃して、ただ神の意思がそこに現れるようにとの演出のねらいがあったかのように感じました。ステージの中心に神様が臨在していただくための、信仰者としての第九にこだわりを見ることが出来ました。

 わたしは以前聴かせていただいたカンツィオーネス・サクレの時も感じたのですが、ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京の歌声はしなやかに、軽やかに、聖霊様の満たしがいつも感じられます。炎のような、熱き情熱とはまた違った魅力にあふれて、清らかな霊とともに自らの古き自我を解放させられるかのようです。

 この度は大変思い出に残る時間を与えていただきありがとうございました。

 ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京の皆様の上に、神様の豊かな祝福と恵がありますように。その賜物が用いられ多くの聴衆に聖霊様の働きが届きますようにお祈りいたします。二〇一三・一・一五 篠原謙一                                                                      

 ——大変興味深く聴かせて頂きました。

 最初のメンデルスゾーンは初めて聴くものでしたが、やはり第九の前座にするにはもったいないくらいの大曲でしたね。演奏時間は第九の終楽章にひけをとらないのでは?途中の哀しみの局面でのロマンチックな表情に対し、力強い終曲では「メサイア」や「天地創造」のコーラスを想起させる部分もあって、いかにも大団円という感じ。確かに次の宗教歌によるクーリング・ダウンがないと、いきなり第九というのも気分的に辛かったかも知れませんね。ともあれ、これを聴いて、今秋のエリアも一層楽しみになりました。

 第九は本当に熱演で感動しました。小編成の第九を生で聴くのも初めてでしたが、特にナチュラルホルンの威力は絶大で、独特の音色(倍音外の音はミュートになるから?)で、これまでホルンが鳴っていると余り認識していなかった場所を随分と教えられました。かつては随所で効果的に鳴っていたのでしょう。それと、1階席からは管の奏者はほとんど見えなかったのですが、第3楽章で活躍する第4ホルンは女性だったのですか(ホルンの中で最初に拍手を受けていたのが女性だったので)?いずれにしても困難な楽器を良く吹きこなしておられたと思います。あとピリオド楽器系では革張りのティンパニーが気持ち良かったですね。木管では、第1フルートが(これも女性?)とびぬけて美しく聴こえました。

弦も、あれだけの小編成にもかかわらず、必要十分な迫力を維持しつつ、小編成の美質も生かしており、第3楽章はもちろん、特に終楽章で「ひざまづけ、幾百万の人々」の部分でヴィオラとチェロだけが出てくるところはとても美しいと思いました。

独唱ではバリトン(リストの「キリスト」にも出ておられた方ですか?)が朗々としていて出色でした。

 合唱はいつもながらに素晴らしいものでした。プログラムに記された、終楽章の頂点がフーガにあるというくだりについては、「人間は感動の頂点でフーガを歌う」というある意味人間性の本質に反した(感情の高まりにおいて算数の問題を解くようなものですから)西洋音楽のテーゼを深く理解なさっている淡野氏の慧眼に大いに同意する者ですが、勝手に推測するに、おそらくそのフーガ部を人々の真の感動の集まりと表現すべく、パートをバラバラにして配置されていたものと思います。私は合唱の経験がないので分からないものの、あれではさぞかし歌い辛かったのではないでしょうか。しかし、その困難(?)を乗り越え、強い統御の下で、大きな頂点を築かれていたのが、さすがだと思いました。   

 というように、非常に印象深い演奏会でしたが、実は内心一番目を見張ったのは、プログラムにある第九の訳詞でした。「歓喜の歌」のいわば3番にある、”Wollust ward dem Wurm gegeben”というくだり、TVでやる第九の演奏に出てくる字幕とか見ると「虫にも喜びは与えられ」とか「虫さえ喜び」とかいう具合に訳されていることが多く、これだと、人間も虫もみんなで喜ぼうという、自然も人間も一緒みたいな(日本人好みの?)歌詞に聴こえてしまいますが、それはご存じのように完全な誤りです。Wollustというのは非常に次元の低い快楽、これに対してFreudeは高次元の喜びであって、その対比に虫と人(もしくは大天使ケルビム)の対比を当てることによって、「Freude」を賛美しているのですから。なので、「虫にも喜び」とかいう訳を見ると、その訳者はこの原詩の内容を全然分かっていないように感じられて、失望してしまうのですが、昨日のプログラムの訳は「悦楽は蛆虫にくれてやり」という、もうハタと膝を打ちたくなるような、間然するところのない翻訳で、ここまで訳し切ってしまうというところにも、淡野氏の深い理解を垣間見る思いがしました。

 などなど、衒ったお話を長々と恐縮でした、本当に伺えて良かったです。古楽も楽しいですが、この第九も再演を期待する者です。二〇一三・一・一五                                                                       

 いずれも公演の翌日に寄せられた感想ですが、演奏側の主旨をこれほど明確に、また深く理解して下さったことに驚き、また喜びで一杯です。このような聴き手の皆様とともに音楽の場を共有出来る幸せを感謝せずにはいられません。

 三週間後の二月四日(月)午後七時より 東京文化会館小ホールにおきまして、淡野弓子/小林道夫[歌曲の夕べ]が開催されました。この日のための選曲をはじめたのは二〇一一年の秋でした。歌いたい曲、好きな曲が歌える曲に繋がらないのは当然としても、ひょっとしたら歌えるかも知れないといった曲を取り上げるかどうかといった呻吟懊悩が一年続きました。しかし最初から安全運転を目指したのでは徐々にしぼんで行くのでは、との想いから、勇気を震い起こしていささか厳しいプログラムに挑戦しようと決心、小林先生に曲目と調性をお伝えしたのは昨年の八月末のことです。九月には湯布院の小林先生のお宅をお訪ねし、全曲を通して合わせて戴きました。この日にうまく行かなかった箇所の問題の原因を探りながら少しずつ前進しなければ、二月四日は悄然と舞台を去るのみ、といった寂しい未来、ここはなんとしても乗り切らねばなりません。

 最も手こずったのはマーラーの《さすらう若人の歌》でした。情緒の表現の幅が広く、ということは音域が広く、自分の声帯の限界をさらに先へ、ということでした。

 小林先生はご上京の折々に、本と紙で埋まった残響ゼロの私の部屋で根気よく合わせて下さいました。一月に入ってからは、さらい過ぎで声が嗄れ、先生と太郎から「まずは二、三日歌わぬこと」という事態に。

 無事本番を終えることが出来たのは、まったくもって小林先生の素敵なピアノのお蔭です。二者は対照的ながら良いコンビ、という感想を多くの方から戴き、面映い限りです。この会のあとに分かったことが多々あり、続けて歌って行く力となりました。お支え下さいました皆様に心より御礼申し上げます。

[続く]


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