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ムシカWeb通信


■ 2010/01/20 あっと言う間

 あっと言う間に時が経ち、と何度言い訳をしたか分からない自分にほとほと愛想がつきかけていたのですが、この「あっと言う間」に3目は進むのが編み物の妙。とにかくなにがなんでも「編みたい」気持ちが最優先の3週間、ボーッとしている時は皆無だったと言って良いのです。2枚の自分のセーターが編み上がったので、暫くは毛糸も編み棒も隠し、さあ仕事だ!

 1/13(水)日吉の慶応キャンパスへ。その前の週から<マタイ>の練習に参加している藤本君がシュッツとハイドンを歌う、ということと、指揮はシュッツ協会メンバーで慶応で音楽を講じておいでの佐藤望さんとのことで、馳せ参じました。シュッツを歌うメンバー18,9名の立ち姿は極めて新鮮! 器楽メンバーとポジティーフ・オルガンが加わり、モテット「Die Himmel erzaehlen die Ehre Gottes もろもろの天は神の栄光を語り」が歌い出されました。出だしのソプラノはちょっと慎重になり過ぎたかな、と思いましたが、進むにつれて、音楽のエネルギーが皆によく行き渡り、きっぱり、さっぱり、荘重にして繊細、深遠にして快活なシュッツの世界が繰り広げられて行きました。2曲目は「Singet dem Herrn, ein neues Lied 歌え、主に向かって新しい歌を」です。2重合唱を声と器楽の掛け合いにし、なかなか面白く聴きました。ひょっとして器楽が前、合唱がうしろ、という配置を左右に分けた方が音楽が分かりやすかったかも、と思いましたが、圧倒的な音楽そのものの質の高さは瑣末のさまざまをさっと一祓い、うーん、やっぱりかなり例外的な力を秘めた音楽でした。なにはともあれ、他団体のシュッツを聴く、というチャンスはあまり無いので、非常に感激しました。老婆心ながらひとこと言うとすれば、ドイツ語の歌詞を歌う時は、名詞と動詞を同じトーンで歌わない、ということでしょうか。特にドイツ語の動詞は発音した途端にその言葉の動きが伝わる、という顕著な特質があるので、歌の中でいくらでもピッタリした表現が可能です。特にシュッツは単語ごとの短いフレーズの中で、動画のように音を動かし、踊らせ、黙らせ、寝かしつけます。このようなことを緻密に分析し、それぞれの表現を考え、与えてゆくことによって、言葉はいやでも身に付いてくるのでは。

 2/9に発ってミネアポリスに行く計画があるので、このところ、桃子との電話しきり。そこへ茜が割り込み、信じられないようなことを言うので「バババカ」承知でその一端を。

 「あのね、わたし、かぜひいちゃったの」「外はさむいの」「マイナス7度なの」「ごはんをたべたらデザートがほしいの」「おかあさんはデザートたくさん持ってるの」これ全部日本語です。「デザート」の発音が完全に日本語なのと「マイナス7度」が泣かせます。母親が、日本人に伝わるように華氏ではなく摂氏で教えたとは。

 家庭内で日本語が喋れるのは桃子のみですから、放っておけば子供たちが「英語のみ」になるのは時間の問題、彼女も必死なのでしょう。桃子は幼児期から少女時代にかけて、ポルトガル語→日本語→英語→日本語という経緯を辿り、特に日本に帰って来た直後の小学校3、4年のころ、家の中で「ワン、ツー、スリー」と何度も日本風に発音してから外に遊びに行く、という苦労をしていたので、茜にはカタカナ英語を完全に日本語として学習させているのでしょうか。

 どんな原語で育ったか、は、特に外国語の歌を歌う場合の重要問題であることは無論ですが、それ以上に、普段「自分」をどう認識しているか、「他人」とどう向き合っているか、ということが、例えばドイツ語で「Ich 私は」と歌うときの表現にバッチリと影響してきます。まず日本語では「私は」「私の」「私に」「私を」とそれぞれ歌うとしますと、「は」「の」「に」「を」が「私」より大切に扱われるでしょう。ドイツ語では「Ich」「mein」「mir」「mich」と一度に言い切ってしまうので、言う前から相当の覚悟が必要です。日本語では「私」と言ってから周りの空気が「は」と言わない方がいい、と言っているような気がしたら「にも・・」などと逃げを打つことが可能です。この人称代名詞を言う時の微妙なニュアンスが、良くも悪くも歌い手の「歌のたたずまい」に大きな影響を与えているように思います。私が特にシュッツの音楽から学んだことは、この「Ich」は他ならぬ歌っている「私自身」で、他の誰でもない、ということでした。

コメント(3) [コメントを投稿する]
_ やまとみのぶ 2010年01月21日 09:56

毎回の練習は、日々発見の連続です。ドイツ語の歌い方一つで、どう聞き手に伝わるか、メンデルスゾーンコアに入り、初めての勉強でした。若いときのようにすんなりと自分の中に吸収できない歯がゆさは有りますが、何度か挑戦しているうちに、出来たときの感動がたまりません。言われなくても出来るようになる日が来ると信じ、続けていきたいと思います。<br>ところで、先生の編み物の話、頭を空っぽにするために、、、<br>。昨夜、着ていらしたセーターが、素敵な手編みだったので、もしや、今回作られた作品かなと拝見していました。

_ Y .TANNO 2010年01月22日 10:08

やまとさま<br>この年末年始、編み物に感謝、また感謝の日々でした。まず編んでいる最中の脳の静止状態がたまりません。勿論本当に静止したら大騒動ですが、波ひとつない海、動きはあれど極小、とでも言ったらよいのか、こんなに心が鎮まるものであったとは! さらに、日常の極く短い時間、何秒間であっても、編みさえすればそれは確実に完成へと近付くのです。「ああ、時間の無駄、時間の無駄」と自分を責める時間が減っただけでもストレス解消でした。また今回は選んだ毛糸が段々に色の変るもので、一段の目数によって現れる色合いが変り、常に思いがけない彩りとなるので、一目ひと目の作業が愉快、愉快の連続でした。この毛糸を三色用意し、なにも参考にせず、自分の気の趣くままに配色を変えて行きました。寸法はちょっと編んでは我が身に当ててみる、という原始的な方法で、これも気楽でした。一枚目を編んでいるときは、この次は誰のセーターにしようかな、などと恐いもの知らずの思い上がった夢を抱きましたが、出来上がってみると、お世辞にも上等とは言えず、これはいけないとすぐさま二枚目に取り掛かったのです。これも反省点、改良点満載の作品でしたが、昨夜思い切ってメンデルスゾーン・コーアの練習に着て行きました。見ていて下さったのですね。有難うございます。最低10枚位は編まないと次のステップには行けないと思いますが、これから暫くはお休みです。こんな贅沢な時間は残念ながら当分持てそうもありません。

_ 藤本 桂太 2010年01月26日 17:39

淡野先生<br><br>この間は来て頂きありがとうございました.<br>20歳周辺の生徒だけで歌うシュッツ,少しでも若いエネルギーを皆さんに与えられたかなあと思います.ただある意味「若い」演奏なるようではいけませんが(笑)<br><br>今度先生のセーターに注目してみますね.


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