トップ «Andrew 輝(アキラ) 最新 ミネアポリスにあった!»

ムシカWeb通信


■ 2009/09/03 ミネアポリスより

 ご無沙汰しております。時差が14時間あるため、常に眠く、思いどうりに行かぬ日々。しかしそれも1週間を過ぎたのであれば最早時差のせいにはしていられないでしょう。やっと皆様に近況お伝え申し上げます。

 まず驚いたのは、2歳10ヶ月の子供から“Yumiko! I need you”と言われたことです。自分のしてもらいたいことを頼むだけの話なのですが、“you”という単語は強烈でした。母親から「茜、日本語で!」と言われ「おばあちゃま、こっち来てえ」と言い直し、絵本を読むことに。彼女は自分で1冊ずつ慎重に選び、全部日本語の絵本を抱えて来ました。それも1週間たつと英語の本が増えてきます。音読の場合、喉の負担からいえば英語の方が楽なのです。抑揚が身体の動きを誘うので,使う筋肉が分散されるのでしょうか。

 と、去る8/23(日)に行われた本郷教会のサマー・コンサートで歌ったバッハの詩編51が思い出されました。ペルゴレージの傑作<スターバト・マーテル>のラテン語歌詞をドイツ語の詩編51に変えて、12章であった原曲がバッハの手品によって14(バッハの数)章となった非常に注目すべき作品です。

 バッハは特に1734年の秋頃から1738年頃にかけてラテン語で書かれたポリフォニー作品の研究に没頭し、パレストリーナやカルダーラを編曲したとのことですが、50代のバッハがペルゴレージが24歳の時に書いた1736年の<スターバト・マーテル>に注目し,ラテン語に付けられたその旋律にドイツ語の歌詞を載せてみた、という実験にはただならぬものを感じます。すでに200曲近くのドイツ語のカンタータを書いてみて、やはり腑に落ちぬ点があったのでしょうか。イタリアの流麗な旋律の謎を知りたかったのでしょうか。

 歌った側から率直に言うと、非常に「歌いにくい」歌でした。実は1993年の受難節にも、アグネス・ギーベル(Sop)と私(Alt)でこの詩編51を演奏したのです。私としては、ドイツ人の名バッハ歌手、ギーベル先生は喜んでお歌いくださるもの、と勝手に思い込んで、譜面をお渡ししたのですが、「おお、なんてこと! 冗談ではない。これは音楽ではない。歌いたくない。歌えない。」と大騒ぎに。たしかにヨーロッパ産の歌を日本語で歌え、と言われて「ああ、良かった」と思う邦人声楽家はそう多くはないはずです。ドイツ語なら良かろう、と思ったのは浅墓なことでした。

 ある言語に則した旋律を他国語で、というテーマは下手をすると命懸けの議論になりますので、今日のところは降板致しますが、あの大バッハ先生がこういうことに興味を持っておいでだった、ということに、私は以前にも増して非常な親近感を抱いた次第です。「歌いにくい」とはいえ、8/23/09の演奏はなかなかうまくいったのでは!?

 さて、当日の呼び物は‘ジルバーマン・モデルによるフォルテ・ピアノ’でした。鍵盤奏者というものはどんな曲でも鍵盤で弾いてみたくなるらしいのですが、バッハはとくにその傾向が強く、ヴァイオリン・コンチェルトのヴァイオリン部分をこのフォルテ・ピアノに移したのが<鍵盤と2本のリコーダーによるコンチェルト ヘ長調>BWV1057です。鍵盤でヴァイオリンのように聴かせるには、この‘ジルバーマン・モデルによるフォルテ・ピアノ’はなかなか良いのでは、とは奏者武久源造さんの説明でしたが、確かに武久さんの腕にかかると、ヴァイオリンのソロ部分のメロディックなラインがとても奇麗でした。リコーダーは淡野太郎と小俣達男さん。以前シュッツ合唱団のテノールだった小俣さんは、夏休みとあって名古屋から出てきて下さり久々の共演でした。

 というわけで、無伴奏ヴァイオリンのための<シャコンヌ>もこれまでにブゾーニ、ブラームス、ラインベルガーその他多くの作曲家による編曲がありますが、今回は勿論武久源造編曲でした。この‘ジルバーマン・モデルによるフォルテ・ピアノ’から出て来た響きは一言で言うと「一寸先は闇」といった世界でした。次に鳴る音の響きの予測がつかないというか、一瞬も気をそらせたくない時間でした。「一寸先」が天国的に輝く時もあれば、底無し沼に引きずり込まれたような時もあり、とくに両極端なものを一挙に見せる技をもったバッハの、曰く言い難いねじれの美学が感じられる演奏でした。

 最後はシュッツ合唱団によるバッハのモテット<すべての異教徒よ、主をほめよ>が歌われました。4声の合唱に通奏低音のみの曲ですが、こちらは一点の曇りも無い晴れた空の下で、あらゆる人々が歓声を挙げているような音楽です。人間の声の可能性、その未来を感じさせ、バッハの多次元に亘る藝術の根源を見たように思いました。


編集