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ムシカWeb通信


■ 2009/07/17 ジルバーマン・モデルによるフォルテ・ピアノ

 今年の本郷教会サマーコンサート(8/23 土 午後5時開演)には、ジルバーマン・モデルによるフォルテ・ピアノという珍しい楽器が登場致します。どんな由来のものかをご紹介しましょう。といっても私自身はピアノの専門家ではありませんし、音楽学者でも歴史家でもないので、ここから先はすべて当日の奏者武久源造さんから聴いた話です。

 そもそもオルガンの名工ジルバーマン(1683〜1753・・・J.S.バッハより2年早く生まれ、バッハより3年長生きした同時代人)の製作したフォルテ・ピアノは、現在ポツダムのサン・スーシ宮殿の博物館にたった1台残されており、この楽器はフリードリヒ大王が注文したものとのことです。大王はこの楽器を大層気に入って、多い時は宮殿内の15の部屋に1台ずつ置かれていたとのことです。しかし今は、残されたこの1台も演奏出来る状態にはないとのこと。

 バッハは1747年5月6日にジルバーマン・ピアノを弾き、フリードリヒ大王も聴いた、という記録があり、またバッハは何度もジルバーマンにあそこが悪い、ここを直せと注文をつけ、ジルバーマンが直したものは気に入ったらしいとの伝聞も。

 ではどんなピアノか、というと、パドヴァ生まれのクリストフォリ(1655〜1731 ピアノを発明した人)のピアノを丸ごとコピーしたかと思えるほどそっくりだそうです。クリストフォリより先へ進んでいるところは、弦を軟鉄弦にし(クリストフォリのピアノは真鍮弦)、チェンバロのレジスターを付けたところで、これは演奏家であるバッハの進言によるものだったのでしょう。

 さて、では何故このジルバーマンをモデルにしたフォルテ・ピアノが武久さんのスタジオにあるのでしょう? 武久さんは各種鍵盤楽器のそれぞれを愛し慈しんで、その楽器ならではの音を引き出す才能の持ち主です。シュッツ合唱団の1985年東西ドイツ演奏旅行の際、楽器博物館の古色蒼然とした多種多様の楽器の前に座ると手で楽器をひと撫でし、鍵盤の下の仕掛けに触れ、楽器の性質を掴むや否やあっと言う間に一曲奏で、さらに次の楽器へ。それぞれの楽器から聴こえてくる初めての音色と、演奏された音楽が心憎いまでにマッチしていて、居並ぶ人々を唖然とさせたのを忘れることは出来ません。以来帰国してからも、彼はこの曲にはこんな楽器、ということに熱中し、チェンバロ、クラヴィコード、ヴァージナル、フォルテ・ピアノ、アンティーク・ピアノと、天沼の彼のスタジオにはいつも5、6台の鍵盤楽器が並び、部屋の一角には工作台が置かれ、床には工具、ワイヤー、木材などで小工場のようです。

 武久さんはバッハやヘンデル、またモーツアルト、シューベルトといった人々の音楽をいろいろな鍵盤楽器で試しているうちに、どうしてもバッハが弾いたらしい「ジルバーマン・モデル」のピアノが弾きたくなり、篤志家の協力を得て、新進気鋭の鍵盤楽器製作家、深町研太さんに製作を依頼し、ついに楽器が出来上がったというわけです。

 さらに部屋の隅には、まだ毛が生えたままの鹿の皮一頭分が紙袋に無造作に詰め込まれていました。武久さんはこのフォルテ・ピアノのハンマー1本1本に、自分で鞣した鹿の皮をくるりと巻き付けては音を出し、という作業を繰り返し、また繰り返して、自分の気に入る音を探っています。鹿の身体の各部分はそれぞれに堅さ、柔らかさが異なり、そのそれぞれを試しているというのです。

 私はこのフォルテ・ピアノと共にシューベルトのリートを幾つか歌ってみましたが、「トゥーレの王」「グレートヒェン」などとの相性は抜群でした。

 こんなわけで、8/23(日)午後5時開演の本郷教会サマーコンサートでは武久氏の演奏でこのフォルテ・ピアノを皆様にお聴き戴くこととなりました。バッハの、2本のリコーダーとのコンチェルト、シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルティータより 武久源造編曲)などが演奏されます。プログラム詳細は近日中にスケジュール欄にてお知らせ致します。[本郷教会:杉並区上荻4-24-5 T.03-3399-2730]


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