去る2/7のSoli Deo Gloria、バッハのカンタータ83番と200番は実にほのぼのとした可愛らしい音楽でした。人が「もう死んでもよい、思い残すことはない」といえるほどの喜びに包まれる状況というものは、そう簡単にはやって来ないでしょう。さらにそのような喜びを音楽で表現するということになると、先ずは作曲する人、演奏する人、聴く人がいて、初めてその喜びが私たちの心と身体に伝えられるのですから、思えば気の遠くなるような話です。
老シメオンがイエスを腕に抱いて「もう死んでもよい」と言ってから2000年、ルカがその様子を記し、さらにこの日を教会で祝おうと決め、教会と信徒は毎年その祝日を守り、バッハが生まれ、この題材でカンタータを書くことになり、その譜面を無くさないように管理した人々がいて・・・いや、カンタータ200番の方はアリア1曲しか残っていなかったのでしたが・・・、読みにくい古文書を解読して印刷譜にしてくれた人がいて、その曲を奏いてくれる人、歌ってくれる人がいて、わざわざ聴きに来てくれた人がいて老シメオンの喜びは私たちの喜びとなりました。シメオンがお宮参りに来た生後40日のイエスを「救い主」と直観しなかったならば・・・?
人の思いを超えたところに神の御旨がある、とは明日のカンタータ144番のテーマです。あるぶどう園の主人が、各労働者の労働時間の長さを無視して同じ賃金を払ったため、長く働いた者が不公平ではないか、と文句を言った話です。主人は「自分の分を取ったらさっさと行け!」とこの労働者の不平をはねのけます。バッハは冒頭の合唱をこのテキストでフーガに仕立てており、「さっさと行け=gehe hin」という言葉に二つの音型を与え、徹頭徹尾この言葉に固執し、問答無用の状況を映し出します。こういうときのバッハのねちっこさは特筆に値します。
続くアルトのアリアも「murre nicht=ブツブツ言うな」との言葉で始まり、この歌の隙を狙うように、器楽が8分音符6個を同音で奏く、という音型がしょっちゅう出てくるのです。この音型は誰の耳にも「ブツブツブツ」と聞こえ、思わず吹き出しそうになります。このアリアは羽鳥典子さんが歌います。
明日2/14、杉並区上荻4-24-5 本郷教会において 午後6時よりローゼンミュラーのカンタータ<神はその独り子を給うほどにこの世を愛された>とシュッツの<神の御旨が常に現れますように>、そしてバッハ・カンタータ144番<おのが分を取りて去れ>を演奏の予定です。ご参会を心よりお待ち申し上げます。