11/7 金 カテドラルでのコンサートが無事終了致しました。午後2時過ぎ、ショーン・ライアンさんと守安夫妻のリハーサルが始まりました。ライアンさんのホイッスル、それは30cmほどの細くて、煙管ほどの黒い「管(くだ)」でしたが、ライアンさんの身体を通過した空気が吹き込まれると、深々としていながら澄んだ光のような、哀しげでありながら優しく、人類の思いをすべて包括したような、大地と天が結ばれたような音が聖堂内をゆっくりと回遊したのです。
その第一音で私は安堵しました。一番心配だったプログラム、シュッツ→アイルランド→シュッツ→バッハ→アイルランド は恐らくなんの疑問も残さずに繋がり、大きな一つの手から注がれた天からの贈り物のように私たちを包むに違いない・・・・
<レクイエムの集い>は年に一度、11月2日の万霊節(お盆のような日)か、それに近い日に開催しています。始めた理由は二つありました。一つは、1985年のシュッツ合唱団初のドイツへ演奏旅行という喜ばしい出来事を、真っ先にお伝えしたいと思った方々がすでに他界されていたので、その方々への感謝を込めてレクイエムを歌いたかったこと、もう一つは、長年日本に住まわれていたあるドイツのご婦人が、「私が死んだら一体誰がレクイエムを歌ってくれるのでしょう」と心細げに呟かれたという話を伝え聞き、そうだ、追悼したい故人のお名前をプログラムに掲載し、共に音楽を聴くひとときを持ったらどうだろう、と。
そういうわけで、この日の音楽は先ず選りに選ったものが求められています。守安さんからショーン・ライアン氏のことを伺ったのは昨年の9月末、以来1年1ヶ月をかけてこの日の曲目の準備がなされてきました。守安氏曰く「ショーン・ライアンは、今はやりのアイルランド音楽からは『完全に』一線を引いた、とても哲学的、瞑想的、精神的な、魂に響く深い音楽(演奏と歌)をされる方で、僕がアイルランドのすべての音楽家の中で、最も、尊敬、かつ信頼している人です。そして彼の本領はシリアスな『ラメンテーション』(アイルランドの音楽の中で、死者を悼む曲に対してつけられるタイトル)にあることを確信しています」と。世界のあちこちで常に演奏しておられるというライアン氏も、この日の曲目を誠心誠意選び出しては、各地のホテルから守安さんに知らせて下さったとのことでした。
コンサートはシュッツの、天使が亡くなった人の魂を天に導く<死者は幸いなり>というのモテットから始まりました。続いて、18回同じ通奏低音が奏でられ、上声は2〜5声のアンサンブルが1回毎に次から次へと組み合わせを変えながら、18詩節に亘って生と死について歌うという、やはりシュッツの<わがこと主に委ねたり>というコンチェルトが演奏されました。この世のはかなさをかこちつつも、最後には神に浄福の死を願うこの曲は、g から始まるドーリア調でしたから、最後の音は勿論 g でした。
ライアン氏と守安夫妻が登場、ライアン氏が吹き出したホイッスルの最初の音、それはまごうことなき g 音でした。無論事前に調性の打ち合わせたわけではないのです。この偶然のお蔭で、シュッツからアイルランドの伝統音楽への移行は驚くほどスムースで、常識的には考えられないプログラム構成の最初の難関をクリアーしたのでした。
ライアン氏のホイッスルがなり出した瞬間、聴き手の四肢、五臓六腑、五感そして第六感はことごとく笛の音に吸い寄せられ焦点を結びました。すべてのざわつきが消えたあの一瞬、なにかが光りました。午後のリハーサルでは聖堂内に陽の光が差し込んでいて、土や草の香りのする音でしたが、とっぷりと暮れた秋の夜、全身を耳とした人々と共にある夕べの響きは、天の彼方から、また地の底からショーン・ライアン目掛けてやってきたもろもろと彼の肺に流れ込んだ風の音、それはまぎれもない人間の心の深層に届く音・・・・・
守安功・雅子さんのライフ・ワークであるアイルランド17世紀の作曲家オキャロランが自分のために作ったレクイエムが、功さんのフルートと雅子さんのハープで続きます。この、曲から曲へのタイミングが絶妙で、奏者も楽器もどんどん変わって行くのですが、音楽のみが流れ奏者が表に出ないという、ある意味での究極の演奏家の姿を見る思いでした。
休憩後の第一曲はシュッツの、亡くなった妻マクダレーナに寄せる哀悼歌でした。シュッツがいかに妻を大切に思っていたか、愛していたかが伝わる、まことに沁みじみとした歌で、ファンダステーネ氏の包容力のあるテノールが、シュッツの優しさと力強い復活の信仰を切々と歌い上げ、またひとつシュッツの知られざる側面を伝えたのでした。
いよいよバッハのカンタータ8番です。こんなに美しい冒頭合唱は数あるカンタータの中でもやはりピカ一です。今回はバッハの第二稿で演奏したので、調性が初稿のホ長調から二長調に移調され、オーボエ・ダモーレの吹いたオブリガートはヴァイオリンに変わっています。
瀬戸瑶子さんの音色は、ヴァイオリンというよりむしろヴィオラがなり出したような深々としたもので、これまたショーン・ライアンの地下水を汲み上げたような音と同根のものでした。音大を卒業したばかりの奥村琳ちゃんも瀬戸先生と一緒にオブリガートの第2ヴァイオリンをしっかりと奏きました。岩下智子さんの時を刻むフルートは正にパーフェクト、実にスカッとした印象です。ピチカートに終始する弦楽も、ダモーレ2本にコールアングレの木管3声も、反対側に位置した椎名雄一郎さんの弾くポジティーフオルガンと良いアンサンブルを聴かせ、今年で丸五年となる本郷教会でのバッハ・カンタータチクルスの成果が少しずつ表に現れてきているようです。これからも「教会暦によるバッハ・カンタータシリーズ」を地道に続けて行きたいと思いました。
最後のステージは再びアイルランド音楽です。ここで二度目の偶然が! バッハのカンタータは d で終わったのです。そして・・・、続くショーン・ライアンの最初の音、もうお分かりでしょう。そう、d だったのです。なんということでしょう!
非常に突飛なアイディアかと思われた「アイルランド音楽」と「シュッツ&バッハ」は半ば天に助けられ、お互いにこの世の姿かたちは異なれど、生前は親しく語り合っていた兄弟のように、稀に見る幸いな出会いが果たされたのでした。
お客様は、それぞれ追悼なさりたい方々の思い出とともに聴いて下さったのでしょう。アイルランド音楽の最後の曲<わたしは眠っている>が終わったときには、滅多に聴けない、本当の感動からのみ生まれる拍手が鳴り止まなかったのでした。 コンサート直後にヴィオラ奏者のDavid Schicketanz さんが、次のような感想を下さいました。
Wieder habe ich ein außergewoenlich schoenes, besonderes, ergreifendes Konzert erleben duerfen. Vielen, vielen Dank!! David
シュッツ合唱団ソプラノの武井紀子さんは次のような感想を。
素晴らしい追悼の夕べを持つことができました。あの方々この方々、めったに思い出さない両親のことまで・・・・。皆様からも、よかったよかったと、沢山の言葉をいただきました。個人的にはびっくりしたことがありましたので忘れないうちにと、お話します。ライアンさんの歌声のなかに、二度あったのですが、歌声と別の音が突然降ったといいましょうか・・倍音の魔術でしょうか、地を這ってうごめいていた音が突然後ろの壁を伝ってグレーブルーの靄となって天に渦巻き、別のかなり強い音になって上から響いてきたのです。次の瞬間それは歌声で消さましたが、初めての経験でした。アイヌのムックリに似た声の響きもありました。大平原に立って遠くの大きな森を見ているようでした。貴重な経験をいただいてありがとうございました。感謝申し上げます。
ライアンさんの歌声! 森が歌い出したような響きでした。長くなりましたので、今日はこの辺で。 Y.T.