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ムシカWeb通信


■ 2008/08/09 「君が男だったらねえ。」

 8/7付朝日新聞夕刊 佐々木閑「日々是修行」に次のようなことが書かれていた。

‘今から100年ほど前、ドイツにエミー・ネータという女性の数学者がいた。数学の流れを根本的に変えるほどの天才だった。相対性理論と格闘中のアインシュタインにアドバイスしたこともある。一流の数学者であることは誰もが認めていたが、それでも彼女は生涯、まっとうな職につくことができなかった。身分の低い、薄給の生活を続け、最後はアメリカに渡り、53歳で死んだ。彼女がここまで社会的に差別されたのはなぜか。女性だったからである。「女は男より頭が悪い。だから知的活動は無理だ」という偏見が彼女を不幸にしたのだ。’ー後略ー

 声楽のレッスンに来られるH子さんも数学者だ。国際学会には各国から女性の数学者が沢山集まるので、心強く楽しい、と言っておられた。幸いというべきか、H子さんに限らず私の周りには女性の、その道のエキスパートが、皆一様にケロリとした顔で彼女たち自身の仕事を楽しんでいる。それぞれのご苦労は無かったはずがない。しかし男社会で働く女性の場合、苦労を顔に出している暇もない、というのが実情だ。愚痴をいう時間に好きなことをし、好きなものを食べ、好きな人と会話を楽しむ。ここで養った鋭気が新しい発見、作品を生む。

 Y子さんはついこの間まで大学教授であった。心理音響学のドクターで一級建築士でもあるので、毎日何も考えなくても一万歩以上歩くそうだ。なんで万歩計なるものがこの世に存在するのか、と言っていた。彼女の仕事は教育の他に大きな駅から市民の家の設計まで多岐に亘り、その他騒音や空気汚染の問題に関わり、公私を問わず大車輪の毎日である。が、彼女の趣味の広さも唯事ではない。私の知っている限りでも、マラソン、スキー、登山、油絵(展覧会には毎回出品)、パッチワーク(こちらも展示がある)、晩酌、そして合唱。およそ40年間、彼女のドイツ留学期間を除いてほぼ週2〜3回歌っている。勿論年に数回のコンサートはすべて出演。

 佐々木老師が「偏見」とされた「女は男より頭が悪い。だから知的活動は無理だ」との言葉は私のみるところ、「女は男より数等頭が上。男とは違う働き方をする。時代の社会制度がこの女性の頭の働きを取り入れることが出来なかったのは、その制度を構築した男たちの頭の限界を示している」といった感じだが、ここは我が師アグネス・ギーベル女史が好んで口にした言葉「Na ja, sie sind die Maenner! まあ仕方がない、彼らは男だから!」で終わりとしよう。              

                                

 私自身が指揮者になろうと思ったころの事情はこんな具合だった。大学で指揮法の先生だった山田一雄氏は「君が男だったらねえ。僕はすぐに弟子にするよ。」 金子登氏は「今君のしているシュッツをどこまでも徹底的にやりなさい。」 女に棒は振れないのはなぜか、ということをもっと露骨に言った男性指揮者もいたが、彼の台詞をここに書く必要はないだろう。

 私が指揮をしたコンサートの後で「このような道に娘を進ませたお母上は実に勇気がおありですね」と言われたことがある。私の家族はもともと子供が音楽の専門家になることには反対していたので、私は「そう見えますか?」と言ったと思うが、その人は私ではなく私の母親を絶賛して帰られた。

 その母親はあと40日ほどで90歳になる。ついこの間彼女から電話がかかって来た。普段より一段と低い肚の底からの地声で「もういい加減にやめなさい!」と言う。「止めなさい、って何を?」と訊くと「音楽」とひとこと。練習だ、本番だ、とわめき続けた娘の40年に最後の引導を渡すつもりらしい。「分かった。近じかそちらに行きます。」と言って電話を切る。三日後奈良へ。母は異常なほど頭が冴えていて、過去の出来事を昨日のことのように話す。私が抱えていったコンサートの写真を見て、「あらY子さん」と言いながら中学時代の彼女の様子を事細かに喋り出した。私が「私の後は太郎が指揮をするからね。もう心配しないで」言って太郎の指揮姿の写真を見せると「ああ、やっぱり指揮者は男に限る」と宣うた。

 私はほとんど本能的に指揮をし、本能的に子供を生んだ。このような人生の送り方そのものが、母の生き方からすれば言語道断なのであろう。苦々しい思いを抱いての40年だったのなら、私は誠に親不孝な娘だった。遅きに失した感は否めないが、彼女の眼の黒いうちにシュッツ合唱団の指揮者を交代し、ほっとしてもらいたい。 [Y.TANNO]


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