今夜の舞台、桃子は下り番なのですが、代役のスザンナの調子がちょっと心配な状態で、いつでも代われるようスタンバイしていて欲しい、と劇場の人に言われ、家には居るものの、電話がいつかかってくるのか落ち着きません。代役の代役はなんというの?
前にも書きましたが、この<フィガロ>は単なるモーツアルトのオペラではありません。ボーマルシェはご存知のように<セヴィリアの理髪師>と<フィガロの結婚>の脚本を書き、その後<罪ある母>という第3部にあたる物語を書きます。<セヴィリアの理髪師>も<フィガロの結婚>もロッシーニとモーツアルトのオペラで有名ですが、<罪ある母>はミヨーのオペラがあるとはいえ、それほど一般的な話ではないでしょう。簡単に<罪ある母>を説明しますと、フィガロがスザンナと結婚式を挙げたのち、伯爵夫人はレオンという男の子を産みます。父親はケルビーノ。要するにこの重大事件を知らずに観る<フィガロ>は、屋台骨のない家で、いつ床が抜けるのかを心配しながらの、1日のドタバタで終わってしまうのです。
40年ほど前、私はM音大がベルリンのB教授を演出家として招いて<フィガロ>を上演することになった際、B教授の通訳として毎日舞台の上を駆け回った、という経験があります。B教授曰く「この物語の登場人物はそれぞれ影の部分を持っている。これが一瞬の声や仕草にフっとよぎるのが面白いのだ。」そう、この隠された部分を表立っては見せず、しかし曰くありげだったり、言うにいわれぬ寂寥感や悲哀がにじむたたずまいとなりながら、どこからみても軽快な歌を歌っていたり、大胆な欲望の表明だったりするわけです。
今上演されているオペラ芝居<フィガロ>はフランス革命以後、同等の人間となったフィガロと伯爵の会話から始まります。回想シーンに本当のオペラが演じられるのですが、伯爵夫人と「レオン」、そして「ケルビーノ」との関係という重大な後日譚がフレームとなっているので、どのシーンにも人間心理の深層が垣間見え、さらにその「隠された」ということを示すために、この舞台では各人物があらゆるところに「隠れて」いるシーンが頻発、しかもそこから現れる人物が常に意表をつくので、まさに息つくひまのないスリルの連続です。さらに革命後20年ほどたった「現在」の老いた登場人物たちの「台詞による芝居」と彼らの回想シーンとして「音楽(モーツアルトのフィガロ、時にドン・ジョヴァンニの d-Moll のコードやロッシーニのセヴィリアの一節が効果的に使われる)によるオペラ」が代わるがわる現れ、また同時進行する時もあり、さらに、重要場面で人物が横を向いていたり、観客に背を向けている時にはカメラがそれを撮り、舞台上のスクリーンに大写しになるのです。
かくの如く、時間が三層になったような、また見えるはずのないものがあっさり見えてしまうといったような、アイディアの限りを尽くした構成、演出、演技、歌唱、照明、撮影は実際の公演ではステージマネージャーの Cue 一つにかかっています。
話は冒頭に戻り、おなかの上に携帯をのせて仮眠していた桃子に遂に電話が・・・「すぐに劇場に来てほしい」ではなく、「今夜はこのまま大丈夫だろう。しかし来週のスケジュールは大幅に変更されるかも知れない。」との話がステージマネージャーから。桃子は本番中なのに彼はどうして電話なんかすることが出来るんだろう・・と思った途端「失礼。camera, cue 25, light, cue125」と彼は電話を切らずに本来の仕事を。彼の仕事はある意味指揮者より大変です。照明の指示、撮影の指示、Video画面の指示・・・・その上一人ひとりの歌手のコンディションを見ながら、場合によってはすぐに下ろして他の歌手にスウィッチすることまで考え、実際に歌手に電話してくるのですから。
この公演に関する記事、批評は以下のSiteで。
http://www.sfstation.com/figaro-a9251
http://www.insidebayarea.com/ci_9106822
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2008/05/01/DDRB108F7A.DTL&hw=figaro&sn=001&sc=1000
http://www.beyondchron.org/articles/Figaro_the_Best_Theatre_Company_in_the_World_Curse_of_the_Starving_Class_Thought_Provoking_5630.html
もう 先生がお帰りになる日が近いのですね!<br><br>ステマネもインペクも 神経がえらいことですね<br><br><br>ちなみに 代役の代役。。。?<br><br>大昔 親戚の叔父が 高校野球でキャッチャヤーの補欠の そのまた補欠でした。<br>親戚中で バケツ といっていました ・・・<br>細川政権で大蔵大臣でしたが・・ほんとはバケツなのです!<br><br>お気をつけてお帰りください