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ムシカWeb通信


■ 2007/10/14 シュッツ合唱団「君が代」を歌う

10月3日(水)ドイツ統一記念祝賀パーティが東京広尾のドイツ大使館公邸で開かれた。ドレスデン市観光局のM氏よりシュッツ合唱団に、このパーティでシュッツのモテット数曲ほか歌ってもらえないだろうか、というメールが来たのは3月末のことであった。水曜日はわれわれの練習日なのですぐにOKの返事をした。それから三ヶ月のあいだに話は少しずつ変わり、7月初旬にはザクセン州経済公社のH女史より長いメール。「開会の宣言の際、日独の国歌を歌い、その後1500人の人がビールやワインを飲み乍ら歩き回る公邸の庭園で、その場にふさわしい民謡などを選曲して欲しい。」 また「面白い<Speisekarte(メニュー)の歌>があるから楽譜を送ります。6声のクォドリベトよ!」という話に。そしてこの楽譜がメールで送られて来た。

そのあとプロジェクト・マネージャーのA.H.さんという女性から、「国歌のあとにカノンを歌って欲しい。庭の四カ所に位置し、グループごとに歌い乍ら行進し、庭園灯のそばを通過すると点灯、という演出にしたいのです。」「庭園灯と同じグリーンのスカーフを巻いて歌って下さい。」「カノンを二、三曲選んでみて下さい。」カノンを三曲選んで送ると「最初のカノンの歌詞は時間的に早すぎるかも・・。まだ雰囲気が盛り上がっていない時なので。」これはと思うものを楽譜ごと送信、が、返事がない。

この頃東京は東京はご存知の通りの酷暑、その中でサマーコンサートの実施、公開講座の準備、<エリヤ>のオーケストラ・メンバーの人選をせねばならず、私は何度も「死にそう、助けて」と悲鳴を上げていた。8/19(日)モンテヴェルディ&シュッツのコンサートが終わったと思うと間もなく、ザクセン州政府の「国際間、地域間の境界を越えた関係」という部署のB女史から「合唱団のメンバー全員の名前を送って下さい」とのメールが。

団内には出欠予定表というものを回してはいるものの、不明の人、予定が変わる人など、確定には意外と時間がかかる。やっと出席メンバーのリストを送る。さらに「祭り」にふさわしい曲を5曲選び、「Speisekarte-Quodlibet」も歌います、とH女史に知らせ、太郎には、とにかく両国歌の楽譜を準備して、と頼む。

ドイツ国歌の4声部の楽譜を太郎が採譜して作成。「君が代」の楽譜はメンバーの中学の音楽の先生である柴田さんに頼んだとのこと。最初と最後がユニゾンで中間が西洋和声4声体の、ドイツ人フランツ・エッケルト編曲のものが中学の教科書に載っている「君が代」であった。正式にはユニゾンであるとばかり思っていたので、驚いた。

8/31 瀬尾さんがドイツから帰ってきた。彼女の名前がリストに載っていないことに気付き慌てて追加を申し入れる。タッチの差でセーフ!  9/8公開講座が終わり、9/12 ボストンへ。留守中の練習はすべて太郎に任せる。ボストンでもドレスデンとのメールのやりとりが続き、初めて、東京のドイツ大使館のT氏とコンタクトを取って欲しい、との連絡、ボストンからT氏に電話を掛ける。「シュッツ合唱団の淡野です」というと流暢な日本語が返ってきた。言葉は良く通じるのだが、10/3の細目に関してはドレスデン勢が来ないとどうにもならないようだ、ということが分かる。私が東京に着いてから、もう一度話し合うことに。

9/28 帰国。その日のメールは、その日に到る迄返事の来なかった「カノン」についてだった。私が最後に提案し、太郎にも練習を頼んでおいた曲が「良い」との返事。ほっとする。

結局前日の10/2(火)午後3時、ドイツ大使館でT氏とドレスデン側スタッフ数名、それに私が初めて顔を合わせる。その中の一人G氏は、聖母教会の室内合唱団と東京でコンサートをした時、付き添っていた人だった。再会を喜び合う。大使館の庭はかなり広く土の部分、芝生の部分、砂利の部分が混在し、でこぼこしており、そこかしこに樹木、日が暮れてから歌い乍ら歩く、という演出はいささか危険ではないかと思った。またすでに用意されているテントや庭園灯、ポスターなどなど「ザクセン」一色なので、各州回り持ちで開催する行事なのか、と思いT氏に訊くと「そうです。ワシントン、モスクワ、東京などの重要都市には大きな州が取り組みます。昨年はブレーメン、今年はザクセン」とのこと。皆で話し合った結果、「カノン」は開会式の行われるテラスの上で動かずに歌う事に決定。その後、庭のあちこちを歩き回り、小曲を歌う場所と時刻の確認をした。その日の夜、細目を合唱団全員に知らせる。もし雨だったらどうするの・・・?

10/3(水)一日中灰色の空。6時45分に全員で入館。ザクセン側で作ってくれた透明感のある薄緑のスカーフを女性は首に結ぶ。白いブラウスに良くマッチし、皆上機嫌。男性は黒いスーツの胸ポケットに。吹き抜けの広間で30分練習。<メニューの歌>は太郎に指揮を任せる。これは、6声部が各々食べたいものを独自のメロディで歌い出し最後に6声全部が合わさると、パーティの席で人が押し合いへし合いし乍ら目指す皿ににじりより、それを手にして満足気に舌鼓を打つ、という情景がそのまま音で聴こえてくるという傑作。各パートのリズム、メロディ、内容がすべて全く異なるクォドリベトというジャンルの歌で、特に第4声部の‘Champignon 〜〜〜’という節を我らがテナー武藤氏がそれは上手に歌うのですでに抱腹絶倒。いよいよ開会式へ。

T氏の先導でテラスに立つ。庭には「1000人以上・・・」といわれている招待客が皆テラスに注目。開会宣言。続いて国歌。最初に「君が代」そして「ドイツ国歌・Einigkeit und Recht und Freiheit(統一と正義と自由)」を歌う。(「君が代」についての思いをここで述べることは控えるが、「君が代」に続けてハイドンの作曲になる「ドイツ国歌」を歌うと、地を這っていた生き物に突如足が生え、背中から翼が伸びて今にも飛び立つのでは、というほど身体が変わる。)  

ドイツ大使 Dearr氏の挨拶に続いてザクセン州首相 Milbradt氏が演壇へ。大使は背が高く哲学者風。首相はふっくらとした好人物、汗をかきながら外を飛び回っているという感じでぐっと庶民的。頭へ抜けて行くような声の大使、腹から地声の首相。

とにかく首相の喜びは本物であった。1952年から存在を廃止されていたザクセン州が1990年10月3日東西ドイツ再統一によって新連邦として加盟、以来この州の学問、文化、芸術の濃厚な歴史、そして経済が今着実に甦りつつあるのだ。

 「ワグナーはドレスデンで生まれ、ライプツィヒではバッハが長年に亘って仕事をしました。」と首相、そう、そしてシュッツがドレスデンに生きたからこそ、われわれはここにいるのだ、と今更のようにザクセンの恐るべき文化遺産に思いを馳せていると、ミルブラート氏は続ける。「皆さん、かのハインリヒ・シュッツはドレスデンにおいて優れた業績を遺した作曲家です。このハインリヒ・シュッツを合唱団の名前に掲げ、彼の音楽の伝統を日本で引き継いでいるハインリヒ・シュッツ合唱団・東京が歌います。」 title0

‘Singet, singet, denn er ist da !’ カノンが鳴り響いた、と言いたいが、室外では限界が。無事開会式が終了。あとは決められた場所と時刻に小曲を歌い、ワインを飲み、好きなものを食べ、人々と会話を楽しめば良いのだ。

普段お世話になっているドイツ語福音教会のヒュープナー牧師に会う。「うれしいわ! あなたたちここに招待されて。」彼女は大柄のふっくらした女性で、その大輪の芙蓉の花のような面差しを眺めているだけでも天の露を味わったような幸せな気分になる。

「うわー、良かった、良かった」と駆け寄って来たのはかのH女史。「クオドリベト聴きました?」と訊くと「Ja, ja」といつものように元気一杯。

「本郷教会ではお世話になりました。」と思いがけないことを言った人の顔を見ると、この催しについて一番最初にメールをくれたM氏。彼は広報・観光会社で働きながらドレスデン聖母教会室内合唱団で歌っているテノールでもある。

 なつかしい旧知の方々に沢山お目に掛かった。合唱団の一人に話しかけて来た人は「わたしはシュッツ合唱団をドイツで聴きましたよ。いやー、まさか日本で聴けるとはねー」と。(!?!) 画像の説明

帰りがけに「室内」で一曲、メンデルスゾーンの「森よ、さらば」を歌う。やっとわれわれ本来の響きに戻る。出口では大使が「ありがとう、また来てくださいね!」。パンのテントで貰った大きな丸いパンはキャラウエイの入ったふっくらしたタイプだった。家に持ち帰り一週間楽しんだ。皆さん、有り難う! お世話さまでした。


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